2008年ハンガリー文芸クラブ例会 2008年8月2日 柴 なほ
1848年−1918年 まとめ
Kos,Karoly.Transylvania,Kolozsvar,1934
(田代文雄監訳『トランシルヴァニア』恒文社、1991年、pp.151-153)
参考年表
1848年 パリ2月革命
最後の身分制議会(11月12日〜1848年4月11日)
3月15日 ペシュト革命
4月7日 初の自主責任内閣、バッチャーニュ政府設立
8月31日 ハプスブルク国王、ハンガリー大蔵省、国防省の独立的活動の制限を図る。
フランツ・ヨーゼフの統治(12月2日〜1919年11月21日)
1868年 ハンガリーとオーストリアの和協 (註 国内問題の自治を明記、外交、防衛の財政を共通事項であることを承認)
1914年 第1次世界大戦勃発
1918年 カーロイ・ミーハイ内閣(10月31日〜1919年1月8日)
11月24日 ハンガリー共産党結成
1919年 土地改革法発布(註 戦線より復員兵)
1920年 3月1日 ホルティ・ミクローシュ摂政に選出
6月4日 ハンガリー、トリアノン条約に調印(註 1919年よりパリ講和会議が開かれ、トリアノン条約によりトランシルヴァニア、
クロアチアなどの地域が切り離された)
年表出典 Ervin,Pamlenyi.A history of Hungary,Budapest,1973(田代文雄、
鹿島正裕共訳『ハンガリー史』恒文社、1980年382項以下) 註は柴による。
1848年4月通過法案
議会、独立責任内閣、国民軍、分離地区の併合、トランシルヴァニアとの統合に関する諸法律で独立の基礎がおかれる。
問題点・・・農民問題と少数民族問題
農民開放は農奴分与地にしか適用されず(農民の5分の2、耕地面積の20%)
トランシルヴァニア議会は5月まで農奴解放をしなかった。また、非マジャ
ール系諸民族は一般的な市民的自由しか享受できず、その民族的要求は考慮さ
れなかった。
ハプスブルクの動き
時同じくして4月25日宮廷は新憲法を発表、ハプスブルク君主国の全民族に平等な権利を約束。ところが、
ハンガリー・トランシルヴァニア統合に関して態度を決めるために議会を召集するという約束を破る。
ルーマニア知識人のうごき
5月15日バラージュファルヴァの民族集会
司教ジャグナの率いるルーマニア人聖職者グループなどが中心。民族運動の中
央機関として「ルーマニア民族委員会」の結成が決められた。賦役貢租の廃止
など公的決議のほかに、ハンガリー・トランシルヴァニア統合へ反対。農民は
解放を待ちきれずに賦役拒否、などするようになった。トランシルヴァニア政
府が委員会を解散するが、ナジセベンなどで活動をつづけハンガリー人など民
族間の対立が強まった。
・・・古来の自然な結合性をもつ文化的な生活様式の喪失
参考文献 同上(書)、308項以下
羽場久み子『ハンガリー革命史研究』(勁草書房、1989年)