ハンガリー文芸クラブ例会 2008-08-02 大島一
『トランシルヴァニア:その歴史と文化』(コーシュ・カーロイ著/田代文雄監訳,
奥山裕之・山本明代訳
総督府時代(p.127〜149)
概況
1683年,ウィーンでトルコ軍敗北
1686年,ブダ奪還(Lotharingiai Karoly←フランツ一世(マリア・テレジアの夫)の祖父)
ロートリンゲン公カールは軍をトランシルヴァニアに駐留
1691年,レオポルト勅令の受諾,レオポルト皇帝に忠誠
初代総督 (kormanyzo),バーンフィ・ジェルジュ (Banffi Gyorgy)
1699年,カルロヴィッツ条約(karlocai beke)
ハプスブルクの支配下に
総督府体制
自治の喪失
勅令ではトランシルヴァニアはオーストリアからの独立が明記
あくまで紙の上でのもの
現実:オーストリア風へ
大貴族のウィーン傾倒
結果,トランシルヴァニアの自治権が縮小
戦乱時の自治独立から,平和時の植物的生存へ…
一時的混乱
ラーコーツィ・フェレンツ二世率いるkuruc軍のトランシルヴァニア侵入
1704年,ラーコーツィはトランシルヴァニア公に
1708年,trencseni csata でクルツ軍敗北→崩
安定
カール三世(マリア・テレジアの父)の統治下
鉱山開発,郵便業務,塩の専売,武装した都市から開放的な都市へ
民族意識の萌芽
自治精神の絶滅→トランシルヴァニア共通意識の喪失
ルーマニア人の民族的覚醒
1781年,キラーイフェルドにおけるルーマニア人とザクセン人同権宣言(ヨーゼフ二世)
1784年,ウルシュ・ニコラエ(ホリア)による要求(モツィ人の蜂起)
a. フニャド県をルーマニア民族の領地にせよ
b. 貴族制を廃止せよ
c. 誰もが税を払え
d. 貴族の領地を民衆へ分配すべし
1789年のフランス革命以前の話である
なお,1785年にはヨーゼフ二世による農奴解放
1791年,ルーマニア人の同権を求める要望書
i. 他の三民族(ハンガリー人,ザクセン人,セーケイ人)と同等の市民的権利をルーマニア人に与えよ
ii. 二つのルーマニア人の宗教に,四つの公認宗教と同等の権利を与えよ
iii. 人口の比率に従って,ルーマニア人にも公職を分担させよ
期待されるような返答はなし
文化
背景
ウィーン風バロック様式の流入→文化的停滞期,だが当然の流れ(戦乱から平和というこの時代において)
従来の伝統的トランシルヴァニアの共通意識→弱化
各民族がそれぞれ集団感情を表すようになる→民族間の排他主義へ…
経済面
クルツの混乱がもたらした経済的危機から脱出
ナポレオンの大陸封鎖により,アジアからの物流が黒海からトランシルヴァニアを経由するようになるつかの間の景気
出版,芸術
セベンに「エルデーイ・マジャル通信」(初のハンガリー語による政治新聞)
コロジュヴァールに「トランシルヴァニア学術家協会」
1821年,コロジュヴァールに常設の国民劇場
文学
Mikes Kelemen(1690-1761)の『トルコからの手紙 (Torokorszagi levelek)』
(http://mek.oszk.hu/00800/00880/html/)
総督時代は創造的な時代ではなかった
美術,建築
貴族的ウィーン風のバロック様式
ブラショフの都市風景,コロジュヴァール,マロシュヴァーシャールヘイの大型の民間建造物
一般大衆の家などもバロック様式
この時代の壮麗な遺産
ハンガリー人のプロテスタント教会
ザクセン人とハンガリー人の陶芸
これらはゴシック様式を保ちつつ,バロック様式を発展させたもの(ツォプフ様式(copf stilus)*1など)
ルーマニア人の芸術
木造教会様式:民衆的ゴシック様式と東方教会のビザンチン様式の調和
宗教画→専門の宗教画学校(ソルノク-ドボガ県のニクラ)
ルーマニア人民衆のための宗教芸術
総括
トランシルヴァニアの民衆共同体意識の弱化→意識的な民族的分離の開始
現在に至る,各民族独自の民族的特徴を反映した民衆文化の発達
諸民族の状況
ザクセン人:特権的地位の維持,しかし発展の可能性はない
ハンガリー人,セーケイ人:創造力の衰退,共同意識の崩壊,政治的弱体化
ルーマニア人:民族的自覚と意思の成熟と,それを後押しする人口増加による活動的勢力へ
*1
辮髪様式。柱頭から垂れ下がる辮髪のような装飾が特徴