チャート・ゲーザ『父と子』について

(作家・作品紹介、及び語用論的援用による作品分析)

 

大島 一

mailto:hadzsi@mvd.biglobe.ne.jp

 

0. はじめに(チャート・ゲーザについて)

チャート・ゲーザ Csath Geza (1887-1919)

作家・音楽評論家・医師。十代より文才を発揮し、従兄の詩人コストラーニの勧めで文芸誌「西方」に短編小説を発表、自然科学の視点と実在の不条理性が奇妙に織りなす特異な作風で注目された。バルトークを最も早く評価するなど音楽評論でも活躍。第一次大戦に従軍、モルヒネ中毒のため、戦後の混乱期に自殺した。『魔術師の庭』(1908)などの短編集がある。(徳永、1998)

 

 ハンガリーの作家、音楽評論家。ブダペシュトで医師となるが、第一次大戦中、前線で重病にかかり、以来、モルヒネ中毒が高進、故郷サバドカ(スボティツァ)で新婚の妻を射殺、まもなく自殺した。10代で絵、音楽、文筆に天才を示し、叔父の詩人、コストラーニの勧めで新聞や文芸詩「ニュガト(西方)」に短編や音楽批評を発表。グロテスクな病的世界を描き、新しい文学の道を開いた。主な作品に短編集『昼下がりの夢』 Delutani alom (1911)、悲喜劇『ヤニカ』 Janika (1911)などがある。バルトークを最初に評価した人物の一人。(『集英社 世界文学大辞典2 (1997)』)

 

1. 日本において入手・読書可能なチャート・ゲーザ作品

 日本語訳では徳永 (1998)の「父と子」の他に、以下のみが確認された:

「蛙 (A beka)」チャート・ゲーザ 岩崎悦子訳(『東欧怪談集』沼野充義編 河出書房新社 河出文庫 1995/1/10)

 

 インターネットでは、ハンガリー電子図書館(MEK (Magyar Elektornikus Konyvtar))の“Csath Geza”のページで以下の作品を見つけることができる:

A varazslo halala

A varazslo kertje

A varazslo kertje (短編集)

Anyagyilkossag

Az albiroek es egyeb elbeszelesek (短編集)

Delutani alom (短編集)

Fekete csond

Muzsikusok (短編集)

Naplo: 1912-1913

Schmith mezeskalacsos (短編集)

Valogatott elbeszelesek

 

 また、MEKホームページ内の「古典ハンガリー文学作品」 (Klasszikus magyar irodalom)の「西方(ニュガト)」(Nyugat, 1908-1920)では、そのデータベース検索ページもあり、“Csath Geza”で検索すると、46件の項目がヒットする。「西方(ニュガト)」には数多くの音楽批評が載ってあり、そちらも興味深い。

 

2. 作品の特色 ―morbid(モルビッド)的観点から―

 本作品のテーマは、チャート・ゲーザが彼の医学生時代から取り上げられたものである (Uj Magyar Irodalmi Lexikon, 1994) 。アメリカ帰りのハンガリー人、ジェトヴァーシュ・パールは父の遺体がある病院にあることを知り、遺体を自分の手で埋葬するために、病院の教授にお願いする。教授は遺体が人体標本として病院内に保管されていることを確認し、その標本をジェトヴァーシュ・パールに返すことを承諾する。そしてジェトヴァーシュ・パールは人体標本となった父と再会となる。

 その遺体の遺族側に対して、医学、すなわち科学進歩を標榜し、遺体引き渡しに難色を人々の精神性が、現実の世界との矛盾ともいえて、それは、自然科学的視点の不条理性と繋がる。解剖学教授は、冷徹と思われるほどの科学至上主義であり、遺体に対して全く情は持っていない。それは機械的行動、冷静な発話からも伺える。このことは、作品において、その人体標本の作成の仕方を説明するジェトヴァーシュ・パールの長い話から伺える。そこでは、「埋葬なさる前に、まず遺体を完全に切り刻んで、その身体の断片をかき集めて棺の中へお入れになるということ」や、「父の骨は熱湯で茹でられて標本用の骨格に組み立てられたのでしょうか。」といったいわゆる、ブラック・ユーモア的な記述がある。

 一方、ジェトヴァーシュ・パールは、現実世界における極めて一般的な人情を持ち、長く離れていた父への情愛をもって遺体を引き取ろうとする。そして作品の最終場面では、この両者の概念が交錯し、結果、“骨格標本とその息子の奇妙な踊り”が導き出される。

 

3. 語用論からの援用による対話分析 ―グライスの「協調の原理」から―

 上述の結果を言語学的分析によって説明することも文学作品分析において興味深い結果を導き出されると考えられる。ここでは、語用論において有力な理論である、グライスの「協調の原理」を用いて、上記の解剖学研究所の所長の考えを証明してみたい。

3.1. グライスの「協調の原理」

協調の原理

量:適当な量の情報を提供すること、言いかえれば、

 1. あなたの提供するものが必要な限りの情報を含んでいるようにすること。

 2. あなたの提供するものが必要以上の情報を含まないようにすること。

質:あなたの提供するものが真実のことであるようにすること、言いかえれば、

 1. 自分で虚偽であると信じているようなことは言わないこと。

 2. 自分が十分な証拠を持たないようなことは言わないこと。

関与性:関係のあることを言うこと。

様態:明晰な言い方をすること、言いかえれば、

 1. 表現の不明晰さを避けること。

 2. 曖昧さを避けること。

 3. 簡潔な言い方をすること(不必要に余計なことは言わないこと)。

 4. 整然と提示すること。

[以上、Grice (1975)に手を加えて引用]

(Leech (1983), 同書翻訳から)

 

 グライスの協調の原理とは、その基本原則である「話し手と聞き手は、言語伝達において互いに協調すべきである」ということから、上述の4つの原則、つまり、量、質、関与性、様態の原則が導き出され、それにしたがってコミュニケーションが展開するというものである。実際の言語伝達において、以上の原則が守られることはまずないが、かといって、それはこの「協調の原理」を全く無視しているということは意味しない。もし、この原理が日常言語において全く関与できないとすれば、その会話参与者らは意思伝達をなしえないと考えれられるからである。

 

 語用論が文学などにも言語学的分析を応用するための武器となる(小泉, 1993)と考えて、本発表の対象である、チャート・ゲーザ「父と子」にこの「協調の原理」を適用することにする。

 

3.2. 分析

 この作品では、「父と子」の子である、ジェトヴァーシュ・パールと、解剖学研究所の教授との会話のやりとりがその題材にできるかもしれない。ジェトヴァーシュ・パールはなんとかして父の遺体を引きとりたく、教授にお願いするわけであるが、一読する限りでは、教授は「異議なく(nem vonakodom)」引き渡すことにするとあるので、なにも問題がないように見える。しかし、その直前の発話では:

 

「もしも、父上の骨格が残っておるのなら... (de ha a csontvaz megvan)」

 

そして、その後、助手に対して:

 

「ちょっと調べてくれたまえ、先月か先々月に、ジェトヴァーシュ・パールというかたの遺体を処理したかどうかをね。もし処理済みだったら、その遺体から講義用の人体標本を製作したかどうかもだがね。(nezesse meg, a mult honapban vagy az azelRttiben dolgoztak-e fol Gyetvas Pal nevi hullat, s ha igen, keszitettunk-e belRle elRadasi csontvazat.)」

 

このように、ジェトヴァーシュ・パールが確認して来たことである「遺体がこの病院にあること」を、教授はあえて、その遺体の有無を調べさせようとする。そして、助手が調べて来た結果、助手は教授にこう言うわけである:

 

「先生がそう指示なさったと存じますが。(amint meltoztatott mondani)」

 

 教授は、骨格標本の名前まで記憶してはいない、だからこそ、助手に調べさせた、というのが妥当な解釈であろう。だが、もし、教授がこの来訪者が来て、彼の父の標本が残っていたという事を察知していたのなら、あえて、助手に調べさせるという事は問題になってくる。なぜなら、教授の先の発話は、上述の「協調の原理」のうち、質の原則の「質:あなたの提供するものが真実のことであるようにすること、言いかえれば、1. 自分で虚偽であると信じているようなことは言わないこと」に違反することになるからである。つまり、教授は何もかもわかっていて、あえて知らない振りをしたと考えることができる。そして、この「原則の逆用」にこそ、会話の含意ともいうべきものが盛り込まれているのである。したがって、この分析から分かることは教授は言葉の上では、ジェトヴァーシュ・パールに彼のその父親の骨格の譲渡を承諾してはいるが、その根底では、医学のための大事な骨格標本を失うのは口惜しいと考えている。このような所からも、教授の医学・科学至上主義、そして、自然科学の不条理性が浮かび上がってくる。

 

4. まとめ

 

参考文献

小泉 保 (1993) 『日本語教師のための言語学入門』、大修館書店.

田代 文雄 (1990)「革命とフォークロア ―モーリツ・ジグモンド―」(『ロシア革命と東欧』、 羽場久み子編)、彩流社.

徳永 康元 編訳 (1998) 「父と子」(『青ひげ公の城 』収録), 恒文社.

Leech, G. (1983) Principles of Pragmatics. Longman, London(池上・河上訳『語用論』、1987、

紀伊國屋書店).

Levinson, S. C. (1983) Pragmatics. Cambridge University Press.

 

辞典等

『世界文学大辞典』(1997)、集英社.

Uj Magyar Irodalmi Lexikon (1994), Akademiai Kiado, Budapest


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