岩崎悦子
1.コルタイ・ラヨシュ監督の映画『運命ではなく』について(2003年8月3日、Hajdu naplo(?))
資金調達のために、すでにイギリスのRenegadeと、ドイツのEturoartsが参加すことが決定、今イスラエルのMagic Media や、フランス、イタリアの企業と交渉中である。
キャストは、ハンガリーの俳優として、Benedik Miklos,Schell Judit,Mate Gabor,Paudits Bela が決まっており、主人公の少年は、これまで数百人の少年の中からも該当する少年が見つからなかったが、11歳のブダペシュトの少年に決まった。ただ、撮影監督が未定。
3. 『ケルテース・イムレ(Kertesz Imre)』 (Szirak Peter著, 「同世代作家」シリーズ、Klligram Konyv-
Kiado, 2003年)
ケルテースの伝記も読めるのでないかと期待したが、『運命ではなく』に始まって、その他の文学作品5点、『ガレー船日記』、エッセー『別の誰か』、およびその他のエッセーの9章に分かれた、作品中心の本である。ちょっと目を通した段階だが、作品の分析、背景、ハンガリーでどう迎えられたかが、描かれている。付録に、ケルテースの作品のついて論じられた、新聞や雑誌の記事のリスト(全部ではない)、ケルテースの著作リストと翻訳リスト、履歴のデータが載っている。
4. 『人間の深さ 既刊と未刊のケルテース・イムレについての論評(Az ember melye―Irasok
Kertesz ImrerQl a mult es jovQben)』 (KQbanyai Janos編, Mult es JovQ Kiado, 2003年)
ケルテースの『ガレー船日記』から、『運命ではなく』執筆時の日記の引用、講演記録「カネッティを翻訳すること」、ヨゼフ・ロートの『ヨブ記』の翻訳の一部に始まり、表題にもなった、『運命ではなく』についての評論「人間の深さ」他、11評論・エッセーが収録されている。その中には、Heller Agnesの書評『文化としてのホロコースト』と、『運命ではなく』 を20年後に再読してというエッセイや、「ケルテース・イムレっていったい誰なんだ?」という、FejtQ Ferencのノーベル賞受賞が発表された時にミラノの新聞に掲載されたエッセーも収録されている。まだ全部は読んでいないが、おもしろい。
5. 『ヨブの賞 背景と受容 (Job dija―Hatter es recepcio)』 (KQbanyai Janos著, Mult es JovQ
Kiado, 2003年)
4.の本を編纂した、ケーバーニャイ・ヤーノシュの、ケルテース・イムレ、および彼の作品が書かれた背景と、それがハンガリーでどう受け止められたかについての評論。初め、4.「あとがき」として書かれたものが、1冊の本となった。
私は、パラパラとページをめくっただけであるが、「背景」「受容」という章タイトルの2章の他に、Konrad Gyorgy, Nadas Peter, Esterhazy Peterの3人の受け止め方をまとめている、「受賞の可能性がある、ハンガリーのノーベル賞作家たちによる、ケルテース・イムレのノーベル賞について」という題の第3章、第4章は「最大の活字メディアとケルテース・イムレのノーベル賞」という副題をもつ、「機会を捉える」、第5章は「自身の幻影の代わりに、保守派の幻影」という副題をもつ、「最終的な事実曲解」、第6章は「ケルテースの2人の小姓」という副題をもつ、フェルデシュ・アンナとシャーンドル・イヴァーンの二人に触れている「有効な自発性」、そしてケルテース関連の論評(外国誌からも)のリスト、インタヴュー、ケルテース自身のエッセイ等のリスト、受賞発表時のお祝いの言葉のリストが続く。
補足 :月刊誌「アルフェルド(Alfold)」5月号がケルテース特集を組んでいたので、ハンガリー図書協会に送ってくれるように頼んできたが、まだ届いていない。
ケルテース自身の本
『ガレー船日記』 (1992年初版、第5版、MagvetQ)
『ある物語(Egy tortenet, 『記録』の改題)』 (1993年初版、第2版、MagvetQ)
『ストックホルムのスピーチ 2002(A stockholmi beszed 2002)』 (2002年、MagvetQ