メッセージ

■6月26日 礼拝

聖書 申命記8章11~20節

わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。 ヨハネ4:34

 

 イスラエルの民が40年間、荒野の旅に導かれたことは、試みによって心の内を知り命令を守るかどうかを知るため(申命記8:2)、また、恵まれた生活を送るようになるなら、心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう(申命記8:14)と書かれています。イスラエルが荒野でつぶやいたことは、人間的には当たり前のことです。エジプトを出た時、20歳以上で約束の地カナンに入ることができたのは、カレブとヨシュアの2人だけで、他の人は荒野で滅ぼされてしまいました。旧約聖書は、私たちに対する訓戒であり、警告であると書かれています。私たちは、色々な経験の中で、不当な苦しみに遭うとどうなるでしょうか、つぶやいたり、自分は正しいと言い訳をしたり、また、家庭も平和で、恵まれた生活をするようになると、神様を頼らなくてもやっていけると心に高ぶりが生じたりしないでしょうか?苦しみの中でも、信仰を失わないために、私たちの信仰がはっきりすることが大切です。イエス様は、「だれでも水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネ3:5)と言われました。霊とは、「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」(ヨハネ6:63)とあるように、御言葉です。苦しいに信仰にかたく立つことは、努めて御言葉に従うことです。弱さのために、神様に信頼せず、自分の思いのままになってしまうことがあるかもしれませんが、悔い改めて従うことが求められています。努めて、信仰によって御言葉に従っていくとき、内に住まわれる神様に触れることができるのです。