映画古今東西
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『偶然』 クシシュトフ・キエシロフスキ/1982年・ポーランド

3つの「if」によって描かれる青年の運命の顛末。撮影当時の混沌としたポーランド情勢に対する怒りとも絶望とも取れる痛烈なアイロニーに満ちた恐ろしい悲劇だった。非常に重苦しい内容ではあるけれど、そこはやっぱりキェシロフスキ、多くの素晴らしい細部が、映画の快楽のツボを心地良く刺激してくれる。転がるコインと浮浪者の顔、駅ホームの移動撮影、奥行きのある構図、階段をのっそり下るバネの玩具、ジャグリングをする二人の男、巨大な眼鏡などなど。3つの「if」でそれぞれ主人公に深く関わる3人の女優もすこぶる魅力的だ。最後、離陸する飛行機を背面から捉えた望遠ロングショットの美しさ!それだけに「直後の大爆発、墜落」には息が止まった。しばし呆然。

『草ぶきの学校』 シュイ・コン/1999年・中国

NHKドラマのような生真面目さと温かさを持ったノスタルジックな小品。やっぱり素朴で無邪気な子供を捉えた映画には独特の輝きがある。表情豊かなアップショットが何とも魅力的だ。TVゲームとコンクリートの世界で育った今の日本の子供たちが観たら一体どんな反応をするのだろうか。

『孔雀王』 ラン・ナイチョイ/1988年・日本=香港


『クジラの島の少女』 ニキ・カーロ/2002年・ニュージーランド=独

クジラと少女の心温まる交流の物語だと勝手に想像していたので、先住民族の因習と近代化の齟齬というシビアなテーマにはいささか困惑してしまった。美しいロケーションは添え物でしかなくて、あくまでも真面目なドラマとしての姿勢が貫かれている。対立する両者の架け橋となる少女パイを演じるケイシャ・キャッスル・ヒューズは期待通りの名子役でした。"泣きの演技"の素晴らしさ!

『クッキー・フォーチュン』 ロバート・アルトマン/1999年・アメリカ


『グッドモーニング・バビロン!』 パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ/1987年・イタリア=仏=米


『グッドモーニング,ベトナム』 バリー・レヴィンソン/1987年・アメリカ


『グッバイ、レーニン!』 ヴォルフガング・ベッカー/2003年・ドイツ

やっぱり"嘘"がドラマの核心をなしている映画は面白いですね。壁崩壊後のドイツを東側の視点から描いた点が新鮮でしたし、何よりもあの『時計じかけのオレンジ』を陽性の笑いと大真面目な愛の物語として換骨奪胎してみせたベッカーの着想には意表をつかれました。資本主義社会をたっぷりと揶揄して、東ドイツへのノスタルジックな想いをちょっぴり覗かせながらも、最後にはきっぱりと社会主義の時代は終わったと宣言する監督のメッセージには爽やかなものを感じました。

『グーニーズ』 リチャード・ドナー/1985年・アメリカ


『熊座の淡き星影』 ルキノ・ヴィスコンティ/1965年・イタリア

近親相姦を扱った家庭悲劇。「死にゆく街」ヴォルテッラの寂寞とした風景、閑散とした大邸宅が醸し出す頽廃的な雰囲気は、古典劇を題材にした愛憎物語の舞台にぴたりとマッチしている。独特の空間・構図の美を感じさせるロングショットや、白黒のコントラストを強調した映像も地味ながら見応え十分。健康的で肉感的な肢体とは裏腹に、終始、陰鬱な表情と鋭い眼差しで苦悩するクラウディア・カルディナーレが良い。破滅的な弟を演じるジャン・ソレルもデカダンな雰囲気を匂わす。最後のシークエンスは圧巻。まさに映画編集の醍醐味ここにあり、という感じ。いやはや脱帽。

『蜘蛛巣城』 黒澤明/1957年・日本

激しい雨と霧と風、人物配置と構図の様式美、森を駆け抜ける騎馬武者、城内を埋め尽くす兵士、動く森のスペクタクル、躍動する軍勢を捉えたロングショット、突き刺さる無数の矢、三船敏郎の表情、あまりにもストレートで力強い骨太の映像。雰囲気は静的でも、映像はすこぶる饒舌である。

『クラッシュ』 デヴィッド・クローネンバーグ/1996年・カナダ


『クラッシュ』 奥山和由/2003年・日本

ドキュメンタリー映画としての凄み、インパクトはありませんが、凄惨な事故から立ち直っていくレーシング・ドライバー太田哲也の姿を捉える、というその事実だけが圧倒的な感動を生み出していきます。ただ、事故以後の5年間があくまでも断片的に語られるだけなので、何の事情も知らなかった自分としては、ちょっと物足りない部分もあったかもしれません。しかし、レーサーに対する畏敬の念を改めて感じずにはいられない作品でしたねぇ。太田氏の著作である「クラッシュ―絶望を希望に変える瞬間」と「リバース―魂の戻る場所」を読んでみたくなりました。

『グラディエーター』 リドリー・スコット/2000年・アメリカ

大スペクタクルな超大作というふれ込みの割には思ったよりも渋かったですね。確かに冒頭の戦闘シーンはシネスコサイズを生かして凄い迫力だったし、コロシアムの闘技シーンにも度肝を抜かれましたが、全体的にはかなりオーソドックスなドラマが展開されていたなぁというのが正直な感想。また主要キャラが少ないのでその分じっくり人物が描けているかというとそうでもなく、主役のマキシマス以外は描き方が中途半端でキャラが弱い気がしました。皇帝コモドゥスは誰からも愛されなかったが故に歪んでしまった悲しい人物で、完璧な悪になりきれないところが人間臭くて良いのですが、いかんせん最後が格好悪すぎましたね(笑)。演じるホアキン・フェニックスは表情に狂気を漂わせて熱演していますが、なぜか印象は薄かったです。映像は文句無しに素晴らしく、特にスローモーションの使い方は特筆モノ。剣闘シーンでの砂塵が舞ってそこに光が当たるところなどはゾクゾクするほど美しいです。やはり映像的には冒頭の戦闘とコロシアムのシーンが良かったですね。それとマキシマス役のラッセル・クロウ。このオッサン最高です。とにかく渋い!男臭い!強くてストイックでまさに男の美学全開といった感じ。この男っぷりにあのメグ・ライアンもコロっといったわけなんですねぇ(笑) ストーリーがやや大味で細かい描写に欠けてた感はありましたが、155分という長尺をほとんど退屈せずに観れてしまうのだからさすがはリドリー・スコットです。

『グランド・ホテル』 エドマンド・グールディング/1932年・アメリカ


『クリスティーナの好きなコト』 ロジャー・カンブル/2002年・アメリカ

世の良識家とやらが観たら腰を抜かすこと間違いなしの超お下劣なロマコメ。女性たちの男性化を極端にカリカチュアライズした痛快な怪作と言っても良いかも。どうしようもなく下品なのにキャメロン・ディアスがいると何故か微笑ましく観れちゃうのは『メリーに首ったけ』と同じ。天性のコメディエンヌなんだろうな。個人的には清楚な顔してやることがエゲツないセルマ・ブレアが一押し。

『クリクリのいた夏』 ジャン・ベッケル/1999年・フランス

いわゆるノスタルジックな癒し系映画なんですが、クリクリという少女は言わば狂言回し的な存在で、物語は自然に囲まれたとある沼地に住む人々と彼らを巡る友人達との心温まる交流が描かれていきます。観終わった後に体中の毒素が分解されるような気持ちの良い映画でした。

『クリフハンガー』 レニー・ハーリン/1993年・アメリカ


『クーリンチェ少年殺人事件』 エドワード・ヤン/1991年・台湾


『グリーン・デスティニー』 アン・リー/2000年・アメリカ=中国

んー思ったよりも淡白な作品でしたねぇ。血沸き肉踊るチャンバラ活劇というよりは中国武術を独特の様式美で表現した上品な作りになっています。で、独特の様式美=ワイヤーワークということになるのですが、どうもこの技法を優雅さに用いると滑稽なだけになってしまうようです。この映画のウリである人が空を飛ぶシーンは如何にもワイヤーで吊られています、って感じだし、何と言っても足をジタバタさせているのがムチャクチャ恰好悪いんです(笑)。やっぱりワイヤーワークは演出スピードと切れ味鋭い動きがあってこそ活きると思うのですが・・・。ただアクションシーンの型の美しさ、流麗な動きの数々は、まさに舞踏と呼ぶに相応しい素晴らしさでした。ストーリーの方はもうちょっと何とかして欲しかったなぁという不満が残ります(大きな破綻はないにせよ、いかんせん構成が弱く盛り上がりに欠けすぎ)。 チャン・ツィイーの入浴シーンと彼女が酒家で大暴れするシーン、それと竹林での戦闘シーン(息を呑む美しさ!)、竹林傍の東屋でくつろぐチョウ・ユンファとミシェル・ヨーのツーショットが印象的でした。最後は思わず目が点、お口あんぐり(笑)。

『グリーンマイル』 フランク・ダラボン/1999年・アメリカ


『クルーシブル』 ニコラス・ハイトナー/1996年・アメリカ


『狂った夜』 マウロ・ボロニーニ/1959年・イタリア

フェリーニの『青春群像』ローマ(でも微妙に郊外)編といった趣で、都会の小洒落たワルどもの無軌道ぶりと刹那的な快楽指向をたった一夜の出来事を通して描いた小品。邦題はちと大袈裟な気もしますが、なかなかに楽しめました。ちなみにパゾリーニの脚本だったりします。

『クール・ランニング』 ジョン・タートルトーブ/1993年・アメリカ


『クレイジー・イングリッシュ』 チャン・ユアン/1999年・中国

独自の英語習得術とパフォーマンスで中国全土に「クレイジー・イングリッシュ」旋風を巻き起こす李先生の熱血ドキュメンタリー。李氏のやり方はかなり強引で極端な方法に思えるが、受験のためだけの単語、文法、文型の受動的な勉強になってしまっている非実践的な日本の英語教育よりはずっと効果的なのかもしれない。ここでも一つの目的に勇往邁進する中国人民の結束力の凄まじさ、その一端を垣間見ることができた。内容としては李氏のお決まりのパフォーマンスを延々と見せられる構成がちょっと退屈。もっとインタビュー映像や客観的な視点も入れて欲しかった。

『グレイス・オブ・マイ・ハート』 アリソン・アンダース/1996年・アメリカ


『紅の豚』 宮崎駿/1992年・日本


『黒い罠 完全版』 オーソン・ウェルズ/1958年・アメリカ

環境と状況によって変化していく、人間の善悪の相対性を描いたフィルム・ノワール。冒頭のクレーン撮影による鮮やかな長廻しで始まる本作はまさに映画技法の見本市。中でも接写による極端なあおりアングル(ほとんどの室内シーンで天井がくっきり映っている)の多用は、不気味な圧迫感と不安感を終始一貫して感じさせる巧妙な仕掛けになっていて、この映画の最も特徴的な部分と言える。他にも、繊細な照明による強烈な光と影のコントラスト、モーテルの不条理劇を思わせる展開、暴力シーンの躍動感溢れるモンタージュ、国境の歓楽街の空間造形、僅かな出演ながら忘れ難い印象を残すマレーネ・ディートリッヒなど、とにかく見所満載。やや掴み難い物語の流れでさえも、混沌とした雰囲気を醸成する一助になっているのだから恐れ入る。これだけアクの強い映像と演出とキャスティングでありながら、少しもこれ見よがし的にはならず、寧ろ、きっちり調和の取れた映画話法になってしまっているのだから、やっぱりオーソン・ウェルズという人は只者じゃない。

『クローズ・アップ』 アッバス・キアロスタミ/1990年・イラン


『黒猫・白猫』 エミール・クストリッツァ/1998年・仏=独=ユーゴスラヴィア

底抜けに明るく楽しくエネルギッシュでハチャメチャなコメディです。本物のジプシー達も多数出演してるだけあってその熱気にはただただ圧倒されるばかり(特にゴッドファーザー演じるジイサマが最高!)。彼らの個性溢れる表情だけでも観ていて飽きませんね。独特のこってりした色調に彩られたダイナミックな映像美も相変わらず絶好調。ジプシーとマフィア、小人の花嫁と巨人、美男美女、お尻で釘を抜く巨女、酔っ払い神父、賑やかに音を奏でるブラス団、さらに猫やアヒルや豚やヤギら動物達、果てはウンコ(笑)まで加わって画面内は大混乱!この最高に愉快なお祭り絵巻はまさにクストリッツァ・ワールド全開と言った感じです。引退宣言撤回後にいきなりこんな素敵な映画を発表しちゃう監督に一言。「辞めるならあと10本撮ってからにしてください」

『グロリア』 ジョン・カサヴェテス/1980年・アメリカ

少年と女ギャングの逃避行。まさにジーナ・ローランズの独壇場。恐るべき吸引力を放つ女優の一挙手一投足に目も心も釘付け。消えることのない不安と困惑の表情から次々と繰り出される大胆な行動、そのコントラストが強烈。マンハッタンとブロンクスの情景の切り取り方も素晴らしい。

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