映画古今東西
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『菊次郎の夏』 北野武/1999年・日本

遊び心溢れる優しいロードムービー。目的地から帰途へつく間に一番の見所を持ってくるロードムービーのセオリーに反した構成が良い。旅をしているのにほとんど移動シーンがないのも特徴的だ。主役の少年が全然可愛くないのも重要なポイント(笑)。本作でも省略のセンスが冴え渡る。
『木靴の樹』 エルマンノ・オルミ/1978年・イタリア


『儀式』 大島渚/1971年・日本

戦後日本の思想闘争の歴史を、家父長制度(=日本帝国主義?)の大家族に置き換え、鋭い抽象性をもって表現した硬派な作品。国家の欺瞞を「モラルが欠如した儀式」を通して暴いていくという着眼点が凄い。花嫁不在で進行していく披露宴のシーンは圧巻だった。冷ややかな緊張感が一貫して漂う映像、虚構の様式美を感じさせる戸田重昌の美術、不安感を煽る武満徹の音楽、いずれも素晴らしい。ただ激動の時代をまったく知らずに育った世代にとっては、あくまで過去認識のための異色教材の一つでしかないような気がする。本作には小津映画のような現代性はない。

『傷跡』 クシシュトフ・キエシロフスキ/1976年・ポーランド

国営事業と住民と家族の問題に忙殺される工事責任者を追ったドキュメント風人間ドラマ。体制側に盲従できない官僚によってあぶり出されていく国の、柔軟性の欠乏、密室的な行政、言論の自由の束縛。当時のポーランドを支配していた社会主義政権に対する批判精神が色濃く滲んでいる。最後、主人公が執拗にヨチヨチ歩きの孫に立ち歩きを促す姿からは、"ソ連という鎖を断ち切り、一人歩きをしなければならない"という監督の想いが伝わってくる。その意味では1980年から始まる自由化運動「連帯」を予見した作品と言えるのかもしれない。ところで、まったく関係ないんですが、ポーランド(に限らず東欧諸国全般に言える事ですが)には美少女が多いですなぁ(笑)。

『奇跡』 カール・テオドール・ドライヤー/1955年・デンマーク

もし宗教映画というジャンルがあるとすれば、本作は間違いなくその最高峰に位置することでしょう。人間の信仰心が少々のユーモアとシニカルを交えながらゆったり描かれていくホーム・ドラマ(と言っても長廻しによる会話や厳密に計算された人物の配置と動作、流れるようなシーン繋ぎなど演出は厳格そのもの)、しかし終盤には素晴らしく荘厳な宗教劇へと変貌していきます。"宗教"と"映画"の幸福な出会いとも言うべき美しいショットの連なりにはただただ溜息が出るばかりでした。まるでジョン・フォードの映画を観ているような幸福感に満たされる屋外ショット、村人が賛美歌を歌うシーンの絵画のような構図、妻の難産で途方にくれる夫の傍に突然フレームインし「神の恵みあれ」と一言いうやスッとフレームアウトしていく次男の荒唐無稽さ。失踪した次男を家族が探し回るシーン(『ミツバチのささやき』で家族がアナを探すシーンの原形はここにあった!?人が名前を呼び叫ぶという行為は実に映画的なイメージなのかも)。安らかな死に顔でベッドに横たわる妻のショットも衝撃的でしたね。壁もシーツも掛け布団も枕も全てが白一色という中にくっきり浮かび上がる妻の黒髪、息を呑むほど美しく恐ろしいイメージです。それにしても最後の、まさに「奇跡」が起きてしまう宗教劇のシーンは本当に圧倒されましたね。「何なんだこれは?」と(笑)。棺の背後の窓一面から差し込む真っ白な光。緊張感と心地良さが平然と同居しているような、それこそ映画を通して自分自身も宗教的体験を味わってしまったような不思議な感覚です。神の眼差しを思わせる棺側から捉えられた映像、左右に重々しくパンするキャメラにはどこか威厳さえ感じられます。訪れる奇跡の瞬間、少女の緩やかな微笑み、蘇生した妻の緩やかな所作、"映画"があからさまに露呈する"静のアクション"には鳥肌が立ちました。何という見事な簡潔さ。この作品を観てしまった後では、ベルイマンの宗教映画も何やら辛気臭くて退屈な"宗教ドラマ"に思えてしまうのですから価値観の相対性というのは恐いですね。ドライヤーが生み出す聖なるイメージは、純然たる寓話であることのしがらみから解放され、観る者に常識や理屈を超えた神秘的な感動を与えてくれます。

『奇跡の海』 ラース・フォン・トリアー/1996年・デンマーク


『奇跡の人』 アーサー・ペン/1962年・アメリカ

本作はもともとブロードウェイの戯曲が原作で、スタッフもキャストも皆同じメンバーで構成されているそうです。なので映画も舞台劇のような密度の濃い展開を見せます。そうなると必然的に注目しちゃうのが、役者の演技・・・これがもぉ壮絶。凄すぎます。アン・バンクロフトとパティー・デュークの演技を超えた表現力に終始圧倒されっぱなし。2人が最初に出会うシーン。サリバン女史が、ヘレンのそばでスーツケースを置く、「ドスン!」という音にヘレンが過敏に反応する。その絶妙な呼吸。食事作法を教える場面での延々と続くかのような格闘(凄まじいです、ホント^^;)。ヘレンが女史の顔をさぐりながら一緒に顔マネするところのユーモラス。後半、ようやく作法が分かってきたかに思われた食事のシーンでヘレンが何度もナプキンを落とすその緊張感。そして圧巻なのが、ラストの有名な「ウォーター」のシークエンス。冷たい液体に触れることで、それが「WATER」であること、「物には全て名前があり、その名前が物を表わす」ということをヘレンが理解する劇的な瞬間。ここで見せるパティー・デュークの神々しいまでのアップに、堪らず涙が溢れ出てきました。全身が震えるくらいに美しい表情。ヘレンが真の人間へと覚醒する一瞬を見事に捉えたダイナミック且つカタルシスのある素晴らしいショットですね。

『季節の中で』 トニー・ブイ/1999年・アメリカ


『ギター弾きの恋』 ウディ・アレン/1999年・アメリカ

もうウディさんてば巧すぎ〜! 語り口の面白さ、暖色系で品のある映像、音楽センス、どれをとっても超一級の名人芸!原形となってるフェリーニの「道」同様とても切ない話ではあるのですが観終えた後の余韻は何とも温かく心地良いです。ショーン・ペンも呆れるくらいに演技達者。そして口が不自由な少女を愛嬌たっぷりに演じるサマンサ・モートン。彼女の笑顔(口元がすっごくキュート*^^*)にすっかり中てられちゃいました。この可愛さは只事じゃありません。

『気狂いピエロ』 ジャン=リュック・ゴダール/1965年・フランス=伊


『キッズ・リターン』 北野武/1996年・日本


『キッド』 チャールズ・チャップリン/1921年・アメリカ

子役のジャッキー・クーガン君には参りました。あの逃げっぷり、豊かな表情、絶品です。可愛らしい衣裳も◎

『機動警察パトレイバー THE MOVIE』 押井守/1989年・日本


『機動警察パトレイバー2 the Movie』 押井守/1993年・日本


『W]V 機動警察パトレイバー』 遠藤卓司/2001年・日本

これって本当にパト? 私はてっきり「はぐれ刑事純情派」のアニメ版かと思いました(笑)。基本設定は確かに原作の「廃棄物13号」なんですが、予想を遥かに上回る特車二課のチョイ役ぶりには愕然を通り越して怒りすら湧いてきました(怪獣との戦闘描写もかなり淡白)。活躍を期待した後藤隊長も最後まで中途半端な存在でしかありません。演出と脚本も悪くはないですが、いかんせん地味すぎます。主役の刑事2人もこれまで映画やドラマで散々描かれてきた紋切り型の造形で魅力に乏しいですし・・・。これならパトシリーズでお馴染みの松井刑事にお出まし願ったほうが後藤隊長とのカラミも含めて断然楽しめそうなのに、と鑑賞中何度も思ってしまいました。本作は「機動警察パトレイバー」でありながらパト(らしさ)が不在です。つまり自衛隊だけでもドラマとして成り立ってしまうという致命的欠陥の為に自滅している作品だと言わざるを得ません。それと、今までパトの世界ではOVA、漫画、劇場版、TV版いずれも人が殺される、或いは死体などの描写は意図的に排除されていたので、人が大勢死ぬ本作にはすごく違和感を感じました。それにしてもなぜ視点が刑事中心なんでしょうか。堂々とパトの名を冠しておきながら・・・。製作者の意図が分かりません。
『機動戦士ガンダム』 富野喜幸/1981年・日本


『機動戦士ガンダムU 哀・戦士篇』 富野喜幸/1981年・日本


『機動戦士ガンダムV めぐりあい宇宙篇』 富野喜幸/1982年・日本


『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』 富野由悠季/1988年・日本


『機動戦士ガンダムF91』 富野由悠季/1991年・日本

とても好きな作品。新ガンダム・サーガのプロローグ的な内容なので確かに不親切なところや物足りなさはあるけれど、それを補って余りあるメカと戦闘描写の格好良さ、そして要所で炸裂する富野節の魅力!本作の続編が諸事の都合で未だに作られていないのが残念でならない。

『キートンのゴルフ狂の夢』 バスター・キートン、エドワード・F・クライン/1920年・アメリカ

とことん荒唐無稽なストーリー展開が清々しい刑務所内ドタバタ喜劇。キートンらしいスペクタクルなアクション性はないけれど、ゴムにすり替えられた絞首台のギャグ、警察官に追われるシーンの珍妙な行進、大男との対比ギャグなど見所はそれなりにある。題名が思いっきりネタバレ(笑)。

『キートンの大列車追跡』 バスター・キートン、クライド・ブラックマン/1926年・アメリカ

キートンが走る!列車が走る!!縦横無尽のアクション・コメディ。玩具をいじくるみたいに列車を操り利用するキートンの魔法のような演出術にホレボレしてしまう。終盤のたたみかけるようなモブシーンや橋から落ちる列車のロングショットも圧巻の迫力だ。散々な目にあいながらも健気にキートンの手助けをするマリアン・マックが妙にお茶目で良い。それとキートンの廻し蹴り。キマってる!

『キートンの探偵学入門』 バスター・キートン/1924年・アメリカ

キートン搭乗のバイクが、走る車の間を物凄いスピードで蛇行しながら縫うように通り抜けていくシーンが圧巻。超ロングショットで繰り広げられるハイパー・アクションの数々。バナナの皮で足を滑らすキートン、その豪快な転びっぷり。ド派手にかっ飛ぶキートン。でも表情は全く変わらない!

『キートンの化物屋敷』 バスター・キートン、エドワード・F・クライン/1921年・アメリカ

キートンinお化け屋敷。この設定だけで面白さは保証されたようなもの。オバケや骸骨男に扮した悪党どもとのドタバタ、意表をつくギミックの数々(組立て人間っ!)、そして期待を裏切らないキートンの超過剰なリアクション(でも無表情)。まさにドリフの原点ここにあり。執拗に繰り返される"平らになる階段"のギャグが、痛快なオチへの見事な伏線になっている。あと、逃げるキートンが画面からフレームアウトする際に一瞬カメラ目線になるところが妙に印象的だった。お茶目だなぁ。

『キートンの船出』 バスター・キートン、エドワード・F・クライン/1921年・アメリカ

脈絡のない筋と表現の誇張による純粋アクションの爽快さ。始まるなり崩れ落ちる家、橋をくぐる為の大掛かりなギミック、キートンの豪快かつ見苦しいクロール(笑)、沈まない碇、海上を転がり回る船(壁を駆け回るキートン!)、船底から噴水のように溢れ出てくる水、ひたすら己の肉体を痛めつけるキートンのマゾヒスティックな笑いには圧倒される。家族みな溺死と思いきや、どんどん水が干上がって、いつのまにか浜辺に着いてしまう人を食ったようなシュールなラストも秀逸だった。

『昨日・今日・明日』 ヴィットリオ・デ・シーカ/1963年・イタリア=米


『ギブリーズ episode 2』 百瀬義行/2002年・日本

最初の「華麗なる勝負」は面白いが、その後はイマイチ。最新のCG技術を駆使して作られた恐ろしく地味な小編。これも「千尋」景気がなせる余裕なのか(笑)。

『騎兵隊』 ジョン・フォード/1959年・アメリカ

物語的には今ひとつだし、アクション場面も『駅馬車』のようなダイナミックさに欠けています。さすがに馬の描写は絶品でしたが、ジョン・ウェインとウィリアム・ホールデンは何か中途半端な感じ。でもコンスタンス・タワーズが良いんですよね〜。無骨なヤンキーどもを相手に一歩も引かない南部女の逞しさ!北軍の高官を招いた晩餐会での立ち回りなど、まるで一幕ものの上質な諷刺喜劇のような楽しさがあります。そんな彼女が捕虜の身となって北軍と行軍する内にどんどん弱々しい存在になっていくのですが、ある唐突(しかし、あたかもそれが当然の成り行きだったかのごとく)な展開を境にパッと再生してしまうシーンの何とも言えない痛快さ。つまりこの作品は、騎兵隊でもジョン・ウェインでもなくコンスタンス・タワーズの映画だったんですね。フォードはとかく「男の作家」というイメージで語られがちですが、女性を素晴らしく魅力的に描くこともできる作家なんだということが本作を観ただけでも良く分かります。正直、作品としては面白くありませんでした。でも最後、ジョン・ウェインがコンスタンス・タワーズの頭に巻かれた水色のスカーフをそっと外す場面のアップショットの美しさ!そのスカーフを首に巻いて爆破炎上する橋を背に颯爽と馬で走り去っていくジョン・ウェインの格好良さ!!そして、結局はこう呟いてしまうんです"これが映画なんだ"と(笑)。

『君がいた夏』 スティーヴン・カンプマン/1988年・アメリカ


『君よ憤怒の河を渉れ』 佐藤純弥/1976年・日本


『逆噴射家族』 石井聰亙/1984年・日本


『キャスパー』 ブラッド・シルバーリング/1995年・アメリカ


『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』 スティーヴン・スピルバーグ/2002年・アメリカ

スピルバーグらしからぬ淡白さに戸惑うも、良い意味で軽味のある粋な小品になっている。ソウル・バス風のOPデザインが洒落ているし、ウィリアムズ御大の音楽も地味ながら効いている。ディカプリオの颯爽としたペテン師ぶりが痛快。こういう役をやらせると抜群に巧い。ただ尺は長すぎかも。

『キャット・ピープル(81年版)』 ポール・シュレイダー/1981年・アメリカ


『キャパ・イン・ラブ・アンド・ウォー』 アン・メークピース/2002年・アメリカ

関係者のインタビューを中心にロバートEキャパの生涯を綴っていくドキュメンタリー。5つの戦争を撮った伝説の戦場写真家としてよりも、むしろキャパの女性遍歴に焦点を当てているのが面白い。特にイングリット・バーグマンとの秘恋のエピソードは興味深かった。随所に出てくるキャパ本人のスチルも印象に残る。人懐こッそうな笑顔、黒々とした極太の眉毛、人生の陰影が刻まれた瞳。

『キャバレー』 ボブ・フォッシー/1971年・アメリカ

ライザ・ミネリの圧倒的な存在感!ふっくらしなやかな肢体、クールで情熱的な歌声、クリックリの大きなタレ目と表情の素晴らしさ。そのとてつもない吸引力は母親ジュディ・ガーランドに勝るとも劣りません。キャバレーの退廃的で猥雑な活気と、ナチス台頭という不吉な影、そして歪んだ三角関係が、ドラマティックにではなく淡々と溶け合うように描かれていく様が、静かな不安と緊張感を生み出して暗い時代の到来を感じさせます。ヒトラー・ユーゲントの青年が歌う場面の不気味な美しさも印象に残りました。楽曲ではラストの「Cabaret」が最高でしたね。身震いするほど格好良いです。そうそう、忘れてはいけないのがキャバレーのMCジョエル・グレイ。パワフルでコミカルでとことん猥褻、まさにボブ・フォッシー的世界の体現者と言うに相応しい見事なパフォーマーぶりでした。

『ギャベ』 モフセン・マフマルバフ/1996年・イラン=仏

現在と過去が平然と同居する不思議な世界で語られる愛のファンタジー。美しい自然描写と目が眩むほどの原色に彩られた作品です。

『キャリア・ガールズ』 マイク・リー/1997年・アメリカ

ひょっとしたらマイク・リーはジョン・カサヴェテスのエッセンスを受け継いでいる現在唯一の作家と言えるのかもしれない。会話シーンがとにかく凄いのだ。人も言葉も恐ろしいくらいに活き活きと生々しく迫ってくる。俳優の所作とセリフだけで、何故こんなにもワクワクしてしまうのだろう。毒気と茶目っ気の危ういバランス。カトリン・カートリッジのキレっぷりも半端じゃない!鬼気迫るパフォーマンスには思わず息を呑んで見入ってしまった(それだけに早すぎる死が本当に悔やまれる)。

『ギャング・オブ・ニューヨーク』 マーティン・スコセッシ/2001年・アメリカ

混沌とした黎明期のNYを描いた大作だが、見てくればかり立派で映画としての面白味が決定的に欠けている。ワクワクするようなショットは一つも出てこなかった。脚本も練りすぎて却ってまとまりが悪くなった感じ。嗚呼ぁスコセッシ・・・(T_T)。ダニエル・デイ・ルイスの存在が唯一の救いだった。

『CURE』 黒沢清/1997年・日本

人間の抑圧された殺意が引き出されて起こる惨劇を描いたサイコ・スリラー。初めて観る黒沢清作品。ショットの力強さと奇妙な編集のリズムに強く惹かれた。静かな映像でありながら、異様な緊張感があり、露骨に怖いショットよりも、その前後のショットの方が断然怖い。これは音の使い方も大きく影響していて、ジワジワと精神を圧迫するような息苦しい雰囲気が全編を覆っている。言葉ではなく、映像が饒舌な映画らしい映画だと思う。ただ、後味は悪いかも。役所広司はやっぱ巧い!

『吸血鬼ドラキュラ』 テレンス・フィッシャー/1957年・イギリス

クリストファー・リーのドラキュラは雰囲気抜群で妖しげな色気も絶品ですが、それ以上にヘルシング教授演じるピーター・カッシングの冷静沈着で知性的な立ち居振る舞いにシビレてしまいました。ホラー映画と言っても恐怖演出は控え目で、心臓に杭を打ったり血を吸うシーンなどはむしろエロティックという表現の方がしっくりくるくらい。省略を多用したスマートな語り口といい、適度な抑制といい、実に上品で洗練された味わいがあります。ゴシックホラーの魅力であり醍醐味ですね。

『救命士』 マーティン・スコセッシ/1999年・アメリカ

スコセッシ監督お得意の都会の狂気を描いた作品。絵も話も暗いトーンで押し通されていますが、緩急織り交ぜた演出と夜の映像美、アクの強いキャラ達の魅力が観ていて飽きません。ニコラス・ケイジも巧いです。わりと否定的な意見が多い作品みたいですが私的には良作だと思います。

『侠女(上集・下集)』 胡金銓/1971年・香港

"香港の黒澤"と言われるキン・フー監督の代表作です。今までイメージとしてあった香港映画とはテンポもアクション様式も全然違っているのが新鮮でした(でも話の組み立てはとんでもなく大雑把・・・笑)。上集のクライマックス竹林での剣術アクションは、林に指し込む自然光と静寂な雰囲気(尋常ならざる美しさ!)が相俟って緊張感がありながらも優雅なアクションシーンになっています。まだワイヤー技術がなかった時代で飛んだり跳ねたりはトランポリンを用いてるそうです(当時は斬新だったのでしょうが今観るとかなり滑稽)。流れるような素早いカッティングが格好良いですね。ちなみにこの竹林でのアクションは「グリーン・デスティニー」に多大な影響を与えているのだとか。そして下集。上集とは打って変わって展開されるアバンギャルドなストーリーに唖然茫然。ただ映像と演出はとにかく奇妙でパワフルです。そのあまりに観念的で不可思議な映像世界に意味もなく引き込まれてしまいました。それにしてもなんて大胆な終らせ方・・・。この破綻ぶりはある種感動的ですね(笑)。

『恐怖のメロディ』 クリント・イーストウッド/1971年・アメリカ

面白い。ヒッチコックを陰鬱に、緩慢にしたような上質のサスペンス。一つの会話で次々ショットを積み重ねていくトリッキーな手法や長く溶け合うディゾルヴ、かっちり決まったロング・ショットなど随所に作家イーストウッドのセンスが光る。ストーカー女を演じるジェシカ・ウォルターが最高。

『恐怖分子』 エドワード・ヤン/1989年・台湾=香港


『霧の中の風景』 テオ・アンゲロプロス/1988年・ギリシャ=仏


『ギルバート・グレイプ』 ラッセ・ハルストレム/1993年・アメリカ


『キル・ビル Vol.1』 クエンティン・タランティーノ/2003年・アメリカ

いや〜強烈。参りました。ポップでキッチュ。映像と音楽の一体感。映画が不健康に躍動している。ここまで徹底的に映画と戯れることができてしまうタランティーノはやっぱり愛すべき映画ジャンキーだ。設定はハチャメチャでも、構成は大胆にして緻密。だから、とにかく観ていて気持ちが良い。巨大料亭の空間演出も見応えがある。血しぶきや残酷描写というのは、極端まで行ってしまうと、ふいに可笑しさや爽快さに転化してしまうものらしい。ユマ・サーマンとルーシー・リューの日本語も最高。こんなにチャーミングな日本語(しかも、どこか優しい)がアメリカ映画で聞けるなんて。「イ・ク・ヨ」、「キ・ナ」の場面では目頭が熱くなった(笑)。ソニー千葉が出てくるシークエンスの不思議な濃密感にも完全にノックアウト。ただ、アニメ・パートは長くてクドかったかも。Vol.2が楽しみ。

『疑惑』 野村芳太郎/1982年・日本


『疑惑の影』 アルフレッド・ヒッチコック/1942年・アメリカ

エリセの『エル・スール』にポスターが出てくるヒッチコックのハリウッド進出初期作品。とある家庭の穏やかな日常に小さな変化(叔父の来訪)がおこり、やがて一家の少女が恐ろしい真実を知るまでをジリジリと地味に不気味に展開させていく見事な心理サスペンス。主演のジョセフ・コットンが惚れ惚れするような演技を見せてくれる。一見凡庸な人間がふとした瞬間に見せる異常な眼が怖い。ヒロインのテレサ・ライトも良い。清潔感のある柔らかな表情でかなり自分好みかも。

『銀河英雄伝説 わが征くは星の大海』 石黒昇/1988年・日本


『銀河英雄伝説 新たなる戦いの序曲』 清水恵蔵/1993年・日本


『銀河鉄道の夜』 杉井ギサブロー/1985年・日本

言わずと知れた宮澤賢治原作によるアニメ映画。次々と現れる幻想的で生と死の暗喩に満ちた映像が美しくも怖いです。静かで緩やかな演出のリズムが何とも言えない心地良さを生んでいます。個人的な思い込みかもしれませんが、ジョバンニの大きく見開いた瞳がアナ・トレントの黒い瞳に重なりました。細野晴臣の音楽が圧倒的に素晴らしい。最後の常田富士男のナレーションも秀逸。アニメ化された童話原作の一つの頂点を極めた作品だと思う。

『キング・オブ・コメディ』 マーティン・スコセッシ/1983年・アメリカ


『禁じられた遊び』 ルネ・クレマン/1951年・フランス


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