映画古今東西
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『海外特派員』 アルフレッド・ヒッチコック/1940年・アメリカ

さすがはヒッチコック。反ナチのプロパガンダ映画でありながら、極上の娯楽サスペンスになっている。虚虚実実の駆け引き、ウィットに富んだユーモア、人物造形の面白さと言った脚本の巧みさもさることながら、やはり、奇抜で天才的な視覚効果と演出、これが何と言っても素晴らしい。雨中の暗殺シーンにおけるアップとロングと俯瞰の大胆なモンタージュ。階段、群集、傘、路面電車を巧みに利用した構図の妙。風車小屋や飛行機墜落のシーンでも「んな、バカな」という疑問はそっちのけ、その見事な映像演出にただ舌を巻くより他ないのである。緩急織り交ぜた物語構成も秀逸。

『怪談』 小林正樹/1965年・日本


『階段通りの人々』 マノエル・デ・オリヴェイラ/1994年・ポルトガル=仏

階段通り沿いの長屋風建物に住む貧しい人々を描いたちょっと奇妙な味わいの人情悲喜劇。"恵みの箱"をめぐる醜い争いから"災い転じて福となす"女性の顛末など寓話性の高い物語でもある。階段と踊り場を舞台に見立てた高低差のある人物配置が、ユニークな視覚効果を生んでいる。路地のような狭い空間も面白い。大袈裟な所作やセリフ回し、時間の経過を「時の踊り」というバレエで繋いでしまう大胆なショットなど、とにかく舞台臭の強い作品だった。人の良い酒場の主人、そこで穏やかにファドを奏でる老教授、二人の表情と佇まいが素晴らしい。温もりのある小品。

『害虫』 塩田明彦/2002年・日本

これは塩田版の『テス』だ。美少女の受難譚。そう、かのグリフィスがリリアン・ギッシュを虐めて以来の伝統的な映画のモチーフである(笑)。簡潔な演出と静的なショットが生み出す心地良い映画のリズム。絶妙にズレていく反復ショットとか、意外性のあるカット繋ぎとか、もう心憎いほど鮮やか。突き放したような厳しい最後が切なくも清々しい。ナンバーガールの音楽も良かった。不安感と疾走感がない交ぜになったようなノイジーなギター音。『どこまでもいこう』、そして『月光の囁き』と、塩田明彦は質の高い小品を撮ることができる今の邦画界ではとても貴重な監督だと思う。

『カイロの紫のバラ』 ウディ・アレン/1985年・アメリカ


『カウボーイビバップ劇場版 天国の扉』 渡辺信一郎/2001年・日本

正直期待外れでした。まず話の軸となるバイオ・テロ&ハッカー犯罪という設定が既にハリウッド映画やジャパニメ映画で散々描かれているので新鮮味がありません。ビバップらしいディテール凝りまくりの世界観、美術に「おお〜っ」となるも話のリズムにキレがなく特に中盤〜後半は間延びするせいか少し退屈しちゃいます。プロット自体も平凡で意外性や目新しさがありません。かなり手の込んだ犯罪計画なのに最後は主人公とボスキャラの格闘戦(まるでセガール映画のような)というのも・・・。最後も呆気なさ過ぎて拍子抜け(あまりにオチがベタすぎる〜T_T)。TV版のビシャスが絡む一連のエピソードのほうが個人的には良かったし、何よりもそれらエピソードで濃厚に漂っていたハードボイルド的雰囲気が劇場版では薄れ、ハリウッド的な外面の格好良さばかりを意識した作りになっているのがどうにも納得できませんでした。そもそも私は「マッシュルーム・サンバ」とか「闇夜のヘヴィロック」のようなオフ・ビート感覚の異色エピソードが好きなので、正攻法すぎる劇場版のストーリー&演出に魅力を感じなかったのは当然なのかもしれませn。またビバップの命である音楽もキャッチーでノリノリなヴォーカル曲ばかりなのが解せません。劇場版でもあのライ・クーダー風の切ないギターやブルース調の渋いメロディーが聴きたかったですね(でもオープニング・ナンバーはお気に入り)。で、キャラクターについてですが、オヤジキャラの輝ける頭!じゃなくて星、ジェットがあまり活躍しないのは大いに不満アリ!スパイクがいくら主人公で人気抜群とは言え一人目立ちすぎです。やはりフェイやエド(+アイン)ら全員が見事なアンサンブルを奏でてこそのセッションでありビバップでしょ〜。新キャラも魅力不足。エレクトラはまだ良いとしてもヴィンセントはただのサイコ野郎で全く感情移入できません(でも磯部勉さんの声はハマッてます)。過去の部分が簡単に語られすぎなんですよねぇ。この二人の過去をもっと映像を交えて丁寧に描いていればラストも感動的になったと思うのですが・・・。そんな訳で普通に娯楽長編アニメとして観る分にはそれなりに楽しめますが、TV版をこよなく愛する私には不満タラタラな内容でした。最後に一言・・・こんなよそ行きビバップなんて嫌いだーっ!!(笑)

『帰らざる河』 オットー・プレミンジャー/1954年・アメリカ

西部開拓時代、成行きから激流を下るハメになった父子と歌姫の物語。何と言っても素晴らしいのが、酒場で唄うモンロー!これに尽きますね。肩や腰をゆったり微妙に揺らす独特の動き、ハスキーで甘ったるい歌声はまさに妖艶そのもの。脚の美しさを際立たせる色鮮やかなドレスや踊り、そしてキャメラワークが印象的です。それと違った意味で鮮烈なのがジーパンにシャツというカジュアルな服装をしたモンロー。これがもうパッツンパッツンで凄いことになってます。河下りシークエンスでの合成と実写の凄まじい落差も今となっては爆笑、いや感動ものの名シーンですね(笑)。ラストに流れる「River of no Return」は何度聴いてもグッとくる名曲です。

『顔のない眼』 ジョルジュ・フランジュ/1959年・フランス=伊

「ブラック・ジャック」に出てきそうな恐ろしい話を描いたホラー作品です。ただホラーと言ってもこれ見よがし的な演出は一切なく、独特の雰囲気と映像で静かに恐怖心を煽っていく見せ方が秀逸です。地下室の陰湿さ、皮膚移植の淡々とした描写、ゆったりと動く仮面姿の少女、響き渡る動物達の鳴き声等々・・・。解放した動物達と共に森の奥へと消えて行く少女の後姿が印象的でした。救いようのない人間悲劇ですが、冒頭でアリダ・ヴァリが人形(もち劇中では死体)を必至に引きずって川へ放り込むシーンは思いっきり笑えます。

『鏡の中にある如く』 イングマール・ベルイマン/1961年・スウェーデン

舞台も人物構成もとにかくシンプル、だからこそ心の深部に達する力を持っている。二重人格、近親相姦、神、などをモチーフにした人間悲劇ですが、そのどうしようもなく重い物語を、演出の力でグイグイ引き込み、見せ切ってしまうところはさすがベルイマン監督。ハリエット・アンデション(唇が色っぽい)がトランス状態になっていく様子、エロティックな手の動き、ひび割れた壁に映る波の揺らぎ、突如耳をつんざくヘリの音、叫び・・・強烈、実に強烈。

『鍵』 エブヒム・フルゼシュ/1987年・イラン

背が小さい、団地住まい、内側からドアを開けられない、という事実が思わぬ事態を巻き起こすシチュエーション映画。ムハンマド少年の悪戦苦闘ぶりをユーモラスにスリリングに淡々と描いた何とも可愛らしい小品です。初めは些細なハプニングの連続で微笑ましく観ていられますが、ガス漏れが発生してからはさながらサスペンス映画のような緊張感に包まれます。後半は家の中に隠されていた鍵を少年が如何にしてゲットするか!という展開になるのですが、これがも〜とにかく歯痒いこと歯痒いこと。しまいにはハラハラドキドキを通り越してイライラしてきました(笑)。でも少年の健気な頑張りには拍手。ただしMVPは少年に散々こね回された挙句部屋に監禁され終始泣きじゃくりの赤ちゃん・・・かな?(^^;

『ガキ帝国』 井筒和生/1981年・日本


『隠し砦の三悪人』 黒澤明/1958年・日本


『崖』 フェデリコ・フェリーニ/1955年・イタリア=仏

フェデリコ・フェリーニ監督初期の代表作で、50に手が届こうとしている中年詐欺師アウグストの葛藤、そして破滅を描いた人間ドラマです。ちょっと渋めの内容とは言えさすがはフェリーニ監督、要所要所でハッとするような映像を見せてくれます。例えば大晦日パーティー(人々の異様な熱気、上流階級の醜悪さが描かれている)の後、アウグストが明け方の静かな街をトボトボと歩くシーン。同監督の「青春群像」でも同じようなシーンがあるのですが、この何とも寂しげな雰囲気が観てて切なくなります。それともう一つ、アウグストが久しぶりに再会した娘(可愛い!)と映画を見に行く場面。しかしそこには以前アウグストが売った偽の抗生物質で兄を失った男がいます。娘の前で警察に連行されるアウグストの悲痛な表情・・・、この一瞬にして天国から地獄へと落とす容赦のない描写。しかもラストではさらに救いようのない展開が用意されています。人間の持つ愚かさや狡さを徹底的に見せつけられる恐い恐い作品でした。主役のアウグストを演じるブロデリック・クロフォードという俳優が実に良かったですね。良心の呵責に悩みつつも仕事を止められない中年男の苦しみを見事に表現していました。期待していたジュリエッタ・マシーナは出番が少ないせいもあってかあまり印象には残りませんでしたねぇ。

『影武者』 黒澤明/1980年・日本


『陽炎座』 鈴木清順/1981年・日本

前作「ツィゴイネルワイゼン」同様奇妙なお話。今いる場所を当人すらも理解していないような始まり方はまさに夢的。登場人物の不気味さにかけては「ツィゴイネル〜」以上かも。松田優作のすっとぼけた演技(表情)が抜群。また息を呑むような美しいビジュアルが全編に散りばめられているのが特徴で、特にラスト近くのめくるめく映像絵巻はまさに清順美学全開って感じで圧巻でした。あまりに観念的な映像世界なのでストーリー性を重視する人には敬遠されると思います。自分は例によってメロメロでしたが(笑) 独自の映像スタイルを持っている作家はやっぱカッコイイ!
『過去のない男』 アキ・カウリスマキ/2002年・フィンランド=ドイツ=仏

この映画は沢山の"唐突"によって成り立っている。記憶喪失になるのも、脈が停止したあとに起き上がるのも、川辺で寝ているのも...(中略)...銀行強盗も、妻に良い男がいるのも、寿司を食べるのも、み〜んな"唐突"だ。それが面白い。笑ってしまう。そして暖かい。気候も生活も寒そうだけれど、人も映像もポカポカしている。これがカウリスマキなんだ。「人生は前にしか進まない」「うつ伏せで死んでいたら仰向けにしてくれ」。富や過去なんて関係ない、どうせなら楽天的に進もうじゃないか!音楽と酒とユーモアと共に!!最後の結末は"唐突"なんかじゃない。当然の結果が待っている。ゆっくりと横滑りしていく貨物列車のリズムこそ今の映画に必要なものなのかもしれない。

『画魂 愛、いつまでも』 ホァン・ショーチン/1992年・中国=台湾


『カサブランカ』 マイケル・カーティス/1942年・アメリカ


『カジノ』 マーティン・スコセッシ/1995年/アメリカ

3時間という尺に怯んで視聴できずにいたのですが、中々どうして見応えのある作品でした。内容的には如何にもアメリカ的な金と権力で一時代を築き上げやがて滅びるという盛者必衰モノでしたが、カジノの裏側を徹底的に見せていく語り口が面白く飽きさせません。ただやっぱりちょい長すぎる感はありました。シャロン・ストーンとデ・ニーロの絡みはもっと少なくしても良かったかも。それとジョー・ペシ!もう絶品ですね。存在感ありまくり。あんなに渋くて格好良いのに喋ると途端に目玉オヤジになるところも最高(笑) 「リーサル・ウェポン」シリーズでももはや欠かせないお方ですがこういうアクの強いバイプレイヤーって大好きですね〜。

『カスパー・ハウザーの謎』 ヴェルナー・ヘルツォーク/1974年・西ドイツ

塔の中で成人した外界も言葉も知らない男がある日突然文明に触れた事で起きる悲劇を描いた非常に寓話性の強い作品。冒頭の風で激しく揺れる草原の映像は衝撃的でした。生き物のように動く風の描写は「となりのトトロ」で観られますが、実写では本作が初めてかも。このワンショットだけで忘れ難い作品。

『風が吹くまま』 アッバス・キアロスタミ/1999年・イラン=仏

前作「桜桃の味」と同じ「死」というテーマを扱ったものですが、作風はより実験的でユーモラスになっているのが特徴です。携帯電話が鳴る度に主人公が小高い丘へと車を走らせるシーンはいつものキアロスタミ作品に観られる大いなる反復運動なんですが、夜を一切描写せず、シンプルな場面転換だけで時間の流れを表現していったり、登場人物達がほとんど声だけで画面に出てこなかったりと変わった演出も試みています。主人公が「死」を取材する過程で、あるがままの「生」を見せつけられ体験し生きる事の大切さを知る・・・。ヘタに作れば説教的であざとい作品になってしまう題材ですが、本作では美しい映像とほんの少しのセリフでそっと静かに教えてくれるのが素晴らしいですね。映画のメインビジュアルにもなっている主人公と医師がバイクに乗って黄金の稲穂道を走るシーン。医師の「死後の世界が美しいかなんて誰にも判らない。そんなものより目の前のブドウ酒の方が美しい。響きのいい約束より目の前のブドウ酒だよ」というセリフが印象的でした。テヘランから700キロ離れた場所にあるというクルド人の村。このロケーションの圧倒的な美しさを観るだけでも価値のある作品でしたねぇ。絵になる風景とはまさにこの村を指すのかもしれません。

『風と共に去りぬ』 ヴィクター・フレミング/1939年・アメリカ


『風の丘を越えて/西便制』 イム・グォンテク/1993年・韓国

旅芸人を描いた映画と言えばアンゲロプロスの「旅芸人の記録」という傑作があります。彼等の芸はその国の文化、伝統を色濃く体現し、その旅程は国の風俗や風土を鮮やかに映し出す。本作「風の丘を越えて」はパンソリと呼ばれる民衆芸能を題材にした映画で、貧しい生活を送りながら国を流離う父と姉弟の悲喜交々が描かれます。芸に対し一切の妥協をしない厳格な父、歌の資質がある姉、片や才能無く太鼓もロクに叩けない弟。やがて弟は生活に嫌気がさし家族を捨てる。そして追い詰められた父は己の為、芸の為と娘に恐ろしい運命を科します。「おまえは声が綺麗なだけで”恨”(ハン)がない」という父。その感覚はあらゆる辛苦を味わい尽くさねば会得できないのだという・・・。あまりに厳しく深遠な思想とも言うべきこの感覚が本作の核となる部分であり強く惹かれる要素でもあります。雄大な草原となだらかな丘を超ロングで捉える中、一家が楽しそうに歌い踊りながらゆっくりと画面手前までやって来る長い長いワンシーン、ワンショット。アンゲロプロスやキアロスタミの作品が見せてくれたものと同じ感動がここにもあります。そして圧巻なのはラストシークエンス。歌と太鼓、汗と涙、家族の哀と愛・・・それらが渾然一体となって噴出される。それはまさに映画の奇跡が起きた瞬間。ズシリと重暗いものが心の奥に沈んでいくような、しかし、その一方で強烈なカタルシスを感じながら、半ば放心状態でエンドロールを眺めたのでした。

『風の谷のナウシカ』 宮崎駿/1984年・日本


『風の中の牝鶏』 小津安二郎/1948年・日本

敗戦による性倫理の乱れを、夫婦の危機と再生を描くことによって浮き彫りにする。小津映画独特のユーモア感覚は排除され、全編にわたって暗い雰囲気が漂っている。田中絹代の階段落ちという突発的な"動のアクセント"によって停滞していた物語が一気に収束へと動き出すところが良い。

『家族の気分』 セドリック・クラピッシュ/1996年・フランス

どぎつくてあからさま、でもユーモラスで温かい家族の機微が丁寧に優しく描かれた味わい深い小品でした。脚本と俳優が素晴らしかったです。

『ガタカ』 アンドリュー・ニコル/1997年・アメリカ


『カッコーの巣の上で』 ミロス・フォアマン/1975年・アメリカ


『勝手にしやがれ』 ジャン=リュック・ゴダール/1959年・フランス


『カットスロート・アイランド』 レニー・ハーリン/1995年・アメリカ


『カップルズ』 エドワード・ヤン/1996年・台湾


『ガーデン』 マルティン・シュリーク/1995年・スロヴァキア=仏

何とも微笑ましい小品。聖書の伝説を大らかにセクシャルに換骨奪胎した人間味溢れる愛の寓話で、やはりデビュー作と同じ章仕立ての構成によって物語が展開していく。映像的には前作の方が好きだけれど、作品としての面白さは本作の方が上かも。主人公とその父親のあまり意味の無いすっ呆けたやり取りが妙に可笑しい。散髪し合うシーンとか、替わり番こに車を運転するシーンとか、レストランではしゃいで追い出されちゃうシーンとか。ほんわか明るい音楽も心地良かった。

『哀しみのトリスターナ』 ルイス・ブニュエル/1970年・フランス=伊=スペイン

没落中年貴族の養女となったトリスターナの半生を不気味な静謐さを漂わせながら描いた愛憎劇。頽廃的なブルジョアへの批判精神と人間の不道徳な本性をシニカルな視線で捉えている。淑女トリスターナの性願望を象徴したシーン(鐘に養父の首がぶら下がったシュールな夢、特定の柱への愛着)や倫理観の塊みたいに思えた養父が好色漢だったりするところが如何にもブニュエルしている。義足のフェティッシな見せ方も強烈だ。格調高い変態映画と言っても良いかも。相変わらず見る者を煙に巻くようなラストだった。カトリーヌ・ドヌーブは『昼顔』同様、清楚で冷たい美しさの裏にドス暗い欲望を隠し持ったデカダンな女を完璧に演じている。

『悲しみよこんにちは』 オットー・プレミンジャー/1957年・アメリカ=英

バカンス先で父と娘、父の婚約者と元愛人の4人が繰り広げる愛の悲劇。本作の魅力は何と言っても主演している3人の女優に尽きますね。ボーイッシュで知的なジーン・セバーグ、大人の色香全開のデボラ・カー、ちょっとおバカでキュートな色気を見せるミレーヌ・ドモンジョ。異なる3人の女性像をそれぞれが見事に演じています。現在をモノクロ、過去をカラーで描く手法も面白い。

『彼女について私が知っている二、三の事柄』 ジャン=リュック・ゴダール/1966年・フランス

夫に内緒で売春する妻を狂言回しに、パリの街、生活、アメリカ、ベトナム、思想、映画を語ってしまうゴダールの我がまま映像エッセイ。引用や難解な言葉を羅列しながら、同時に、映像は言葉では描写し切れないものをフォルムとして表現することができる、と実験的手法の数々を駆使していく。既成の映画文法を破壊して再構築していく挑発的なスタイルは、あからさま過ぎるが故にかえってある種の清々しさを感じさせる。その方向性は、アメリカナイズされた世界を壊し、再生するための象徴として繰り返し出てくる都市開発の工事風景にも繋がっている。囁くように呟かれる過激なナレーションは、商業映画というスタンスを自覚したゴダールの屈折した遊び心なのだろうか。

『カビリアの夜』 フェデリコ・フェリーニ/1957年・イタリア


『ガープの世界』 ジョージ・ロイ・ヒル/1982年・アメリカ


『カプリコン1』 ピーター・ハイアムズ/1977年・アメリカ


『家宝』 マノエル・デ・オリヴェイラ/2002年・ポルトガル=仏

硬質で重厚な演出と、瑞々しい映像が何の違和感もなく融合してしまうオリヴェイラの映画は、ただ眺めているだけでも心が弾んでくる。北ポルトガル・ドウロ河流域の丘陵や古い街並みを捉えたロングショット(小津的な枕ショット!)、薄暗い室内に差し込む光(闇に沈む調度品や人物達が神秘的な趣を漂わす!)、絵画のような構図と人物配置(厳格と秩序!)、領主が使用人たちから祝福を受ける場面ではアンゲロプロスばりの鮮やかな長廻しを見せてくれる。3人の女性の秘めたる心が、静かに激しく交錯しながら緩やかに悲劇的な結末へと向う。翻弄されるだけの男たち。最後に微笑んだのは・・・。人形のような愛くるしさの中に得体の知れない魔性を隠し持った女カミーラを演じるレオノール・バルダックの素晴らしさ、貫禄の美しさで魅せるレオノール・シルヴェイラ、2人の女性の間に位置し、静かに行く末を見守る老女イザベル・ルトの存在感。女性への畏敬と畏怖の念を感じさせるオリヴェイラ老熟の女性崇拝映画。94歳の作品。感嘆と溜息。

『神の子たち』 四ノ宮浩/2001年・日本

フィリピン。巨大なゴミ山に住み、ゴミを売って日々を食い繋いでいる人々を追ったドキュメンタリー。汚染された水を飲んで暮らす女性たちから生まれてくる障害をもった子供たち、死産や病気で毎日のように死んでいく子供たち、しかし後から後から生まれてくる生命たち。ゴミ山で無邪気に遊ぶ子供たちの笑顔と、米飯に水と塩をまぶしただけの食事を湿った眼差しで口に運ぶ少女、どちらも真実の子供の表情であることには違いない。人は生まれる場所を選べない。ゴミ山に生を受けた子供たちの不幸を"見て知る"だけの自分は、ただ目を閉じ沈黙することしかできないのである。

『神の道化師、フランチェスコ』 ロベルト・ロッセリーニ/1950年・イタリア

牧歌的な丘陵地帯を舞台に、フランチェスコとその弟子たちの質朴な共同生活をユーモラスに伸びやかに描いた10篇のエピソードからなる映像叙事詩。宗教映画というとベルイマン作品のような厳しくて堅いイメージを想起させるが、本作にはただ大らかで温かな人間愛に充ちた一種のユートピア的な世界が広がっているだけである。映像と演出はシンプルでありながら力強さがあり、映画の快楽がギッシリと詰まっている。雨と風と空の描写、鳥と会話をするフランチェスコ、4人の修道女がゆっくりと丘を下ってくるロングショット、夜の森を行く業病の旅人、暴君ニコライオの鎧の造形、風に舞うポプラの花(?)、など素晴らしく印象的なショットが沢山出てくる。全編に漂う滑稽感やユニークな人物造形には脚本を手掛けたフェリーニの色が濃く感じられた。これは傑作です。

『髪結いの亭主』 パトリス・ルコント/1990年・フランス


『花様年華』 ウォン・カーウァイ/2000年・香港

ムーディーでスタイリッシュな映画。映像のネットリとした濃密感が何とも心地良い。話自体はシンプルでとりわけ魅力的でもないのに映像演出だけでとことん酔わされてしまうという典型的な作品だ。音楽も抜群。サントラ欲しいかも。マギー・チャンの多種多彩なチャイナドレス姿が印象に残る。体の線の美しさにウットリ。

『カラスの飼育』 カルロス・サウラ/1975年/スペイン

ある裕福な家庭の三姉妹の物語。アナは次女。繊細で大人しいが驚くほど冷徹な内面を秘めた感受性豊かな少女。現在と過去と未来が複雑に交錯し溶け合いながら母と子の愛、叔母と子の軋轢を淡々と、しかし時に鋭く描いていくサスペンスドラマです。劇中何度か流れる「PORQUE TE VAS」というポップな曲が妙に作品のトーンから浮いてて可笑しい。公開後にスペインで大ヒットしたのだとか。確かに曲自体は素晴らしいんです。でも何か違和感がある。もう一つのテーマ曲がしっとりと美しい旋律なので余計際立ちます。ただその曲に合わせて三姉妹が歌い踊るシーンは実に印象的で、実際映画が終っても耳に残って離れないのは前者の曲だったりするのだからとんだクワセモノと言えます。さてこの作品、映画化される予定のない企画だったのがアナ・トレントの出現によって日の目を見たものなんだとか。確かに見終わってからでは彼女以外の配役など想像もつかない。それくらい強烈な存在感があります。役名は前作と同じ本名のまま。それはアナが演じるのはあくまでアナ本人であって虚像としての名前など必要ないから。あの大きな黒い瞳と一見仏頂面に見える表情には底知れぬ深みを感じさせる。もはや演技云々と言ったものを超越してさえいる。或いは”奇跡”の類いなのかもしれない。天才的子役とはアナに対してのみ与えられるべき称号なのだ・・・・・・・すみません、彼女に対しては抑制が効かないんです(^^;

『カラマリ・ユニオン』 アキ・カウリスマキ/1985年・フィンランド

駄目人間フランク15人衆が現状打破を目指してヘルシンキ中を控え目(ここがポイント!笑)に暴れまくる怪作です。前後の脈絡なく展開していく映画ですが、どのシーンからもカウリスマキ風オフビート感覚が漂っていて思わずニヤニヤしちゃいます。格好良いんだか悪いんだか分からない音楽も相変わらず魅力的。超調子っぱずれの「スタンド・バイ・ミー」をバックにヘルシンキの川をキャメラがパンする場面は何故か泣けてきます(笑)。

『狩人』 テオ・アンゲロプロス/1977年・ギリシャ=独=フランス

内戦終結後も続いた不安定な政情がようやく沈静化に向いつつあった1976年の大晦日。冬の狩を楽しむブルジョワたちが、内戦で死んだパルチザンの遺骸を発見する。かつて反政府軍の司令部だったホテル"栄光館"を舞台に、支配者階級の欺瞞と無責任とデカダンと強迫観念が、時代を自在に行き交いつつ、痛烈な皮肉と滑稽さを含みながら描かれていく。ギリシャ現代史の抑圧された負の部分を解体し、現在と過去と幻想を複雑に絡めながら再構成することによって高度に抽象化された本作の物語は『旅芸人の記録』以上に内的性格が強く分かり辛い。ただギリシャ史に関する細かい知識がなくても、この映画が放つとてつもないパワーや、アンゲロプロスの権力に対する怒りと絶望は十二分に伝わってくる。最後、狩人たち(ブルジョワ)が新年を祝うパーティの19分間にも及ぶ驚異的な長廻し。ダンスとバンド演奏、キャメラの滑らかな旋回、360度パン、エヴァ・コタマニドゥの息詰まるような演技、ヒッチコックの『ロープ』で使われた背中のアップによるシーン繋ぎ、主催者のブルジョワが歌い踊っている間に消えてしまう人々、パルチザンの乱入、そして復活する死体。映画技法に対して涙が出そうになったのは初めてかもしれない(笑)。それくらい衝撃的なシークエンスだった。長廻しは時間の流れを遅く感じさせることで、映画と観る者の関係性をより密接で深いものにしてくれる。それは物語を理解する、しない、ということとは無関係な部分で、充実した映画体験を与えてくれるのだ。アンゲロプロスが創り出す映像には、理性ではなく感覚に直接訴えかけてくるような魅力がある。だから難解でも多くの映画ファンの心を捉えて離さないのだと思う。

『狩人の夜』 チャールズ・ロートン/1955年・アメリカ

妖しくも美しい闇の御伽話。フィルムノワール宗教寓話。何と言っても絶品なのはキャメラです。水中に漂う女性の死体、その上から差し込む光の美しさや幼い兄妹が小舟で夜の川を下っていく場面の画面設計とパンフォーカス・ショットなどモノクロ・スタンダード撮影の魅力がふんだんに詰まっています。悪魔ロバート・ミッチャム(半開き眼の不気味な色気!)VS天使リリアン・ギッシュという善と悪の対立構造に家庭愛を盛り込んだ後半の展開にはキリスト教国家アメリカの持つシンプルで根源的な強さを垣間見れたりもします。まぁ無宗教である私は、本作のめくるめく光と影のモノクロ映像美に酔いしれているだけなんですけどね(笑)。

『カリギュラ』 ティント・ブラス/1980年・アメリカ


『カリートの道』 ブライアン・デ・パルマ/1993年・アメリカ

アル・パチーノが犯罪的に格好良い。男の自分でも卒倒しそうなくらい。この人の最大のセックスアピールは目と目尻の皺にある、と私的には思う。唐突だが、もしブラック・ジャックに整形してもらえるとしたら絶対本作のパチーノにしてもらうだろう(少なくとも鑑賞後三日間はそう思っているはず笑)。そしてペネロープ・アン・ミラーの美しさ。ダンスシーンと自室でのパチーノとのやり取りが特に印象に残る。勿論トんでる弁護士ショーン・ペンの演技も最高だ。クライマックスの電車内での追跡〜セントラル・ステーションの銃撃戦は、ダイナミックなキャメラワークと巨大な駅構内という空間の面白さ、そして多数のエキストラ効果が生んだアクションの金字塔的(これはさすがに褒めすぎ?)名場面と言えるだろう。ラストの「You are so Beautifull」はやっぱりジーンときてしまう。

『ガール6』 スパイク・リー/1995年・アメリカ


『カルネ』 ギャスパー・ノエ/1994年・フランス

父娘の近親相姦というテーマを綺麗に美しく描くのではなく、ひたすらグロテスクに陰鬱に描いているのが特徴だけれど、その表現の仕方があまりにも極端かつ過剰すぎてちょっと嫌味に感じられてしまった。乾燥した血の色を想起させる汚らしい赤黒味の映像がその思いに拍車をかけている。ただ、人物の捉え方、編集のリズム、音の使い方、悪夢的なショットなど、惹かれる部分もある。40分という尺にしては妙に疲れる映画。あっ、馬が好きな人は絶対に冒頭シーンを観ないでください。

『華麗なるヒコーキ野郎』 ジョージ・ロイ・ヒル/1975年・アメリカ

複葉機・・・まだハードウェアではなく人間が主役たりえた時代のノスタルジックで爽やかな一篇です。全編のほとんどが飛行シーンで構成されている本作、凄いのは曲乗り飛行のシーンで本当に飛んでる飛行機の翼に人が乗っちゃってるところです。初めは合成だろうと思ったんですが、これがどう見ても実写映像にしか見えません。飛行機の翼から別の飛行機の翼へ乗り移るシーンなんてどうやって撮影したんでしょうか(今なら間違いなくブルーバック撮影でしょう)。これら脅威的な空撮スタントだけでも十分観る価値があると思います。若き日のスーザン・サランドンがストーリー上の都合とは言えアッサリお亡くなりになるのが切ない(^^; ロバート・レッドフォードは相変わらずのナイスガイぶりを発揮しています。ヘンリー・マンシーニの軽快なピアノ音楽も○。愛情溢れる邦題の響きが良いですね。

『かれらに音楽を』 アーチー・L・メイヨ/1939年・アメリカ

貧しい不良少年が名ヴァイオリニストの演奏を聴いて音楽に興味を持ち、温かく招き入れてくれた資金難に苦しむ音楽教室を何とか存続させようと奮闘する様を描いた音楽映画。内容的には如何にも古き良きハリウッド時代の教育映画、といった感じ。ヤッシュ・ハイフェッツの超絶技巧が、ミドル&手元アップ、さらに俯瞰ショットで堪能できるのが大きな魅力になっている。一時期夢中になって聴いていたカミーユ・サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ OP.28」が冒頭のコンサート場面で演奏される。精密機械のような指の動きにお口あんぐり。忘れ難い映像が二つ。演奏を見つめる少年の表情と、その少年が家出をした時に路上でホットドッグをほおばる場面。映画の神は細部に宿る。

『乾いた花』 篠田正浩/1964年・日本

刑務所帰りのヤクザの虚無的な日々を描いたフィルム・ノワール。オクラ入りになった問題作という割には思ったより刺激的なショットが少ない地味な作品だった。強烈なのは主演の池部良だ。外界に馴染めない、否、馴染もうとしない男の孤独と苛立ちを、危うい色気と静かな凄味でもって見事な存在感を示している。それと加賀まりこ(若い!)。演技はちょっと微妙だったけれど、表情だけなら池部以上に個性的な魅力を放っていた。ハードボイルドとロリータ、一見、無茶な組み合わせが意外にハマッちゃっているのだから面白い。胃を絞るような武満徹の音楽も雰囲気抜群。ところでこの作品、花札賭博のシーンがやたら出てくるのが特徴で、勝負の際の「どっちもどっちもどちらもどっちも♪」という掛け声の反復が耳に付いて離れなくなる。何か妙に音楽的なんだよなあ(笑)。そう言えば、つげ義春の「オンドル小屋」にも花札の変な掛け声がユーモラスに描写されていたっけ。

『完全なる飼育』 和田勉/1999年・日本

和田勉と新藤兼人のスケベ親父ぶりが炸裂している作品。中途半端にコメディしているのが泣ける。監禁モノと言っても暴力シーンが無いところがミソ。小島聖の肉体と表情のエロさは凄まじい限りだが、それを100%生かしているとはとても思えない。しかし竹中直人は役得にも程があるぞ!

『神田川淫乱戦争』 黒沢清/1983年・日本

物語は完全に破綻、シュールな展開だけで押し切る妙ちくりんなポルノ。壁一面に張られた外国映画のタイトル、真俯瞰やジャンプ・カットを使ったHシーン、女優二人の微妙にハイテンションな演技、周防正行の陰気な管理人など、それなりに見所あり。なぜか物や人がやたらと落ちる(笑)。

『カンダハール』 モフセン・マフマルバフ/2001年・イラン

数年ぶりにアフガンに帰郷した女性ジャーナリストが日食に自殺すると言っている妹を助けるため単身カンダハールへと向うロードムービーです。映画は旅の過程で出会う様々な人の姿を通して当時下り坂にあったタリバン政権下の荒んだ状況の断片を鋭くユーモラスに映し出します。中でも象徴的に描かれる義足のエピソードは同じ映像を反復してるかのような不思議な演出になっていて、そこには長い間内戦が続くアフガンの混迷ぶりが重なって見えてきます。義足に群がる人々やブルカを被る女性達はそれ自体が強烈な映像的インパクトを持っているので、それが当たり前の日常になっているアフガンの状況が如何に異常で非日常的であるかを切実に感じることができました。タリバンは既に亡く、現アフガン政権は米英の傀儡。首都カブールでは頻繁に爆弾テロが起き、禁止されていたアヘンも大量に生産され欧州へ密輸されているという。アフガン人の苦悩は現在も続く。。。何かまた朦朧となってきた。

『がんばっていきまっしょい』 磯村一路/1998年・日本


『歓楽通り』 パトリス・ルコント/2002年・フランス

う〜ん、脚本と演出があまりにもちょっと・・・。ルコント監督の通俗性には馴染めませんでした。小刻みに揺れ、妙なズームを多用するキャメラにも閉口(特に最後が酷い)。ヒロインの魅力もいまひとつ。表情や所作にもっとガツーンとくるような存在感が欲しかったかも。ヒロインに無償の愛を捧げる男プチ・ルイ演じるパトリック・ティムシットが素晴らしかっただけに残念。

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