映画古今東西
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『お熱いのがお好き』 ビリー・ワイルダー/1959年・アメリカ

ユーモアとサービス精神に溢れた極上コメディ。弾むようなテンポの良さと一分の隙もない脚本で、一瞬たりとも飽きさせない。そしてキャスティングの妙。主役3人のアンサンブルは奇蹟的と言っても過言じゃない。とりわけジャック・レモンの演技は絶品。細かい芸の数々に思わず見入ってしまう。間の取り方や表情が絶妙。本当に巧い、巧すぎる。もちろん老富豪ジョー・E・ブラウンのニヤケ面も外せない。彼が言い放つ「Well. Nobody's Perfect」に膝を打たない人間なんているのだろうか?モンローが甘〜く歌い上げる「I Wanna Be Loved by You」と「I'm Through with Love」の何とも言えない味わい。まさにハリウッド娯楽映画の極めつけ。ロマコメ永遠の金字塔である。

『黄金』 ジョン・ヒューストン/1948年・アメリカ

砂塵のように激しく巻き上がりながら消えてゆく男達の欲望の夢を描いた痛快な寓話。荒々しい男性的なタッチの演出と映像、明快なメッセージ性が魅力的。音楽も良い。ボギーの欲に正直すぎる憐れな小人(背丈も器も小さい^^;)の演技も素晴らしかったけれど、ウォルター・ヒューストン扮する山師のジイさんが呆れるくらいに絶品だった。何もかも包み込んで消化してしまうような最後の大笑(凄過ぎ!笑)が、本作の印象をさっぱりカラッと明るいものにしている。悪漢映画の傑作。

『黄金の七人』 マルコ・ヴィカリオ/1965・イタリア


『王様の漢方』 ニュウ・ポ/2002・日本=中国

日中国交正常化記念映画だが、政治的な描写は一切なく、漢方を中心にした様々な中国文化の紹介、ほのぼのとした異文化交流を描いた、優しい人間ドラマになっている。毒気の全くない甘〜い物語だけれど、舞台となる万里の長城の雄大さと主演のチュウ・シュイの魅力で十分楽しめた。

『桜桃の味』 アッバス・キアロスタミ/1997年・イラン


『大いなる遺産』 アルフォンソ・クアロン/1998年・アメリカ

う〜む、作品に入り込めないまま終わってしまった。どうも脚本に問題があるように思える。デ・ニーロの扱い方もあまりに中途半端、っていうか小遣い稼ぎ?(笑)。グウィネス・パルトローよりも子役ラクエル・ボーディンが印象的。衣裳や映像の色味がグリーンで統一されていて綺麗だった。

『大いなる幻影』 ジャン・ルノワール/1937年・フランス

素晴らしい。この時代、既に国境問題を扱った映画があったというだけでも感動的です。また捕虜収容所モノの先駆け的な作品でもあります。何より心を打たれるのは、国家間、人種間を超えて展開されるヒューマニズム溢れる人間模様と揺るぎ無い反戦へのメッセージです。ただ貴族出身の将校が敵同士ながらも奇妙な友情で結ばれ、やがて悲劇的な結果をもたらす描写は、ヨーロッパに深く根付いた階級間の隔絶を意味し、さらにはかつての特権を失い滅びつつある貴族階級へ向けられたレクイエムとも取れます。全人類的な平和と統合への理想を謳い上げる一方で、最後に「それは幻影に過ぎない」と言わせるルノワール監督・・・映画の完成から2年後に勃発した第2次大戦、その後の戦争の数々、そして未だに民族紛争など争いが絶えない現実を思えば、その言葉の意味する重さというものがズシリと効いてくるんですよねぇ。この「大いなる幻影」は曲で言えばジョン・レノンの「イマジン」のように普遍的なメッセージを持った偉大な作品だと思います。で、最後に一言。首に矯正器をつけたエーリッヒ・フォン・シュトロハイムが上体ごと反り返って一気に酒を流し込むシーン・・・遂に拝めました(笑)。絶品すぎる!

『大いなる幻影 Barren Illusion』 黒沢清/1999年・日本

説話的な物語から極端に逸脱した、すっとんきょうな恋愛映画。2005年と微妙に近未来設定なのがミソ。淡々とした日常の断片の中に、さも当たり前のように顔を出すシュールな現象の数々が可笑しくもあり不気味でもある。一見ナンセンスだけれど、1999年当時に監督が抱いていた漠然たる未来への不安といったものを象徴的に表現しているのだと解釈すれば、かなり作品の見通しもよくなるような気がする。巨大な花粉が舞う公園に、マスクを付けた人々が歩いている姿は、まるで中国の「SARS」騒動を予見していたかのようだ。題名からしてジャン・ルノワールの同名作品から取られている本作は、いろいろな監督への目配せが感じられる。ゴダール、キューブリック、アントニオーニ、エドワード・ヤン等々。最後はモロに『時計仕掛けのオレンジ』と『欲望』かなぁなんて(笑)。

『狼たちの午後』 シドニー・ルメット/1975年・アメリカ


『おかあさん』 成瀬巳喜男/1952年・日本


『オズの魔法使』 ヴィクター・フレミング/1939年・アメリカ

無邪気なおさげ髪の少女(と言っても撮影当時16歳)が遠くを見詰めながら"虹の彼方に"を歌い出した途端に映画の雰囲気がガラッと変わってしまう、その瞬間がたまりません。予算の関係でモノクロになったというカンザス・シークエンスですが、それがカラフルな世界に迷い込んでしまったドロシーの素晴らしい表情のアップショットに繋がります。歴史に残るような名作は偶然さえも味方にしてしまうんですね。本作にはジュディの魅力的なアップショットが随所にあって、中でも東の魔女の死体を見た時の驚きの表情と、カンザスに帰れないと泣き出すシーンのアップは強く印象に残ります。黄色いレンガの道を不安げに歩くドロシーが突如ステップを踏んで"We're Off to See the Wizard"を明るく歌い出すシーンの唐突さも大好きですね(笑)。思わず一緒になって微笑んでしまいます。それと3人(?)の仲間、それぞれ個性的な性格とメイクが特徴ですが、何よりも目の演技が絶品で、その味のある表情豊かな目を観ているだけでも飽きません。あとは何と言っても西の魔女を演じるマーガレット・ハミルトンですね。魔女と言えばハミルトンってなくらい超ハマリ役。余談ですが、かのグレアム・グリーンはジュディ・ガーランドよりも魔女の方がお気に入りだったそうです。

『お葬式』 伊丹十三/1984年・日本


『お茶漬の味』 小津安二郎/1952年・日本

親娘でもなく、家族でもなく、「夫婦」に焦点が当てられた作品。『彼岸花』で亭主関白丸出しオヤジだった佐分利信が、本作では心が広く優しい恐妻家を好演している。貫禄ありまくりの顔と声に似合わない役だが、そのアンバランスさが妙な可笑しさを醸し出していて良い。汁かけ御飯を食べて妻に叱られる場面がケッサク。その妻を演じる木暮実千代も素晴らしい。小津映画の主演女優としては異色な感じだが、ワガママで鼻持ちならない女を実に巧妙に演じている。ところで興味深かったのが、時折、室内を前や後に少しだけ移動するキャメラだ。普通の映画なら何でもない動きだが、小津映画においては奇異な印象を受ける。観ていてふと思ったのは、これは「夫婦関係の不安定さ」を表しているのかなぁということ。なぜなら夫婦の間に本当の絆が築かれるラスト近くのシークエンスからキャメラはビシッと固定されるからだ。ちなみにこのシーンで木暮実千代がほんの一瞬見せる微妙な喜びの表情、これが絶品。またその後、夫婦が台所で共にお茶漬けの用意をするシーンの濃密で幸福感溢れる描写、食事シーンで夫が妻の「糠臭い手」を取って匂いを嗅ぐという小津監督らしい品のあるラヴシーンまで、ここの一連のシークエンスはとにかく見応えがある。そしてラスト。鶴田浩二と津島恵子のじゃれ合う姿をジッと見守っていたキャメラが最後の最後でスーッと前に移動する。この演出に監督の明確な意図が見て取れる。つまり、二人は近い将来夫婦になる。これを前述した「キャメラの移動=夫婦関係の不安定さ」という解釈に照らし合わせてみると・・・前途多難な夫婦生活を暗示する意地の悪いユーモアと言えるのではないだろうか?(笑)

『おっぱいとお月さま』 ビガス・ルナ/1994年・スペイン=仏

「母性とはおっぱいである!」と声高に主張するビガス・ルナ。母乳を欲する口唇崇拝の少年、体を欲する性器期の青年、性的不能だが"おなら"の特技(性倒錯のメタファー?)を持つ中年、この3人がエストレーリャという1人の女性をめぐって対立する物語は、いびつなセックス・ロマンスであり、人間のエロスの形態を象徴する寓話でもある。この古めかしいフロイト的な精神分析が、舞台となる南スペインのローカルな雰囲気と相俟って、本作を悪趣味すれすれのお茶目なヘンタイ映画にしている(と思う^^;)。性を堅苦しくなく、あくまでも楽天的な大らかさで描くところがビガス・ルナの魅力だ。そして当然のことながらマチルダ・メイのおっぱいが素晴らしい。彼女が爽やかに微笑みながら母乳をピューっと勢いよく飛ばすシーンでは不思議な感動に襲われてしまった(笑)。

『男と女』 クロード・ルルーシュ/1966年・フランス

スタイル(大胆なカッティング、白黒とカラー、音楽)と主演の男女が呆れるくらいのマッチングを見せる抜群に格好良い恋愛映画。気取りが気取りに見えない、嫌味がまったく感じられない。ことロマンス物というジャンルに限って言えば、本作を超える作品に自分はまだ出会っていない。トランティニャンとアヌーク・エーメの組み合わせは今まで観てきた恋愛映画(そんなに多くは観てないけど)の中では間違い無くベスト・カップルだ。アヌーク・エーメの美しさには、ただただ溜息が出るばかり。こんなスクリプターがいたら主演女優は気が気じゃないに違いない。まさに絵になる女である。

『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』 小津安二郎/1932年・日本

子供の世界の常識と大人の世界の常識との間に生じるズレが引き起こす小さな諍いを、軽妙洒脱、苦味、温もりで描き出した小品。サイレントでありながら、子供たちの騒ぎ声や足音が聞こえてくるような活き活きとした描写が素晴らしい。力関係を示すヘンテコな遊び(勝手に命名「神父とゾンビ」ごっこ!)には大笑いさせられた。子供には子供の奇妙で不条理な上下関係ってものがあるのだ。頻繁に画面を横切っていく一両電車が良い。ある種痛快とも言える視覚的リズムを生んでいると思う。ちなみにジャン・ヴィゴの『新学期・操行ゼロ』は、本作とほぼ同じ時期に撮られている。

『大人は判ってくれない』 フランソワ・トリュフォー/1959年・フランス


『乙女の祈り』 ピーター・ジャクソン/1994年・ニュージーランド=米

これは怖い。ちょっとギスギスした家族関係にある上流階級と下層階級の少女二人が自分達だけの世界(レズビアン的繋がり)、共同幻想を創り出し、それがエスカレートしていって遂には自分達の世界に介入しそれを壊そうとする親を排除してしまうという話。始めの方は退屈だが、二人の少女が共同幻想の世界にどんどん入り込んでいく中盤から俄然面白くなってくる。童話の絵本のように美しい映像とグロテスクな映像のコントラストが素晴らしい。思春期特有の混沌を巧く表現していると思う。後味が悪く、共感もできず、理解に苦しみますが、一見の価値ある作品でした。

『踊る大捜査線 THE MOVIE』 本広克行/1998年・日本


『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』 本広克行/2003年・日本

ん〜どうにも中途半端なエンタメ映画。枝葉の部分ばかりに気をとられて、幹をなおざりにしてしまった感じ。脚本がヘンに懲りすぎかも。もっとシンプルで良かったと思う。構成が冗長なので、作品全体のテンポが悪く、間延びしている感は否めなかった。一応劇映画としての体裁は整っているものの、終わってみたら実はTV版の一エピソード並に地味な話だった、というのが正直な感想。いくら警察組織における「キャリアVSノンキャリア」という対立構造をドラマの中心に据えているとは言え、犯人の造形はもうちょっと何とかしてもらいたかった。せっかくのシネスコ・サイズも冒頭以外ほとんど生かされていないというのでは悲しい。それと「SAT」の登場は最初と最後だけにしてもらいたかった。恩田刑事被弾というショッキングなシーンを彼らとの組み合わせで演出したのは本作最大の失敗だと思う(状況がハチャメチャすぎて、感動的な場面も胡散臭いものになってしまっている)。やっぱり「踊る」はTV版が一番新鮮だしパワーもありました。まぁ面白かった深夜番組がゴールデン・タイムに進出した途端に詰まらなくなってしまったようなものでしょうかねぇ(笑)。

『鬼が来た!』 チアン・ウェン/2000年・中国

チアン・ウェンの新作はやっぱり凄かった!デビュー作「太陽の少年」は瑞々しい映像美で綴られた繊細な青春群像でしたが、2作目となる本作はモノクロの荒々しい映像表現を用いて戦中〜戦後の中国人と日本人の姿を過剰なまでのユーモアの裏に痛烈な諷刺精神を内包させて鮮やかに描き切った力強い作品になっています。共産党軍と国民党軍による内戦に加え日本軍の侵略というまさに内憂外患、混沌とした世界を舞台にしながら物語は終始笑いと共に展開していきます。香川照之演じる粗野な日本兵(絶品!竹中直人も真っ青の唾液シャウトに思わず笑い泣き^^;)と中国人通訳、そんな彼等を嫌々かくまう派目になる村民達との滑稽で奇妙な日々。それは戦争によって生じた異文化交流とも言えますがそのきっかけとなるのが、日本兵の罵詈雑言を友好的な言葉に誤訳する中国人通訳という図式になっている点が何ともシニカルです。そして大いに笑いながらもどこか拭いきれなかった不安感は、終盤友好ムードが頂点に達した村民と日本軍との大宴会の場で遂に虐殺という最も悲惨なカタチとなって表面化してしまいます。その突発的な暴力を手持ちキャメラ(?)による生々しい接写と冷徹極まりないモンタージュで、軍隊と民衆がかくも危うく脆い関係にあるという事をまざまざと示す様は圧巻であり容赦がありません。題名の"鬼が来た!"とは一体何を意味するのか?それは軍人、民間人を問わず戦争下の人間全ての心に宿って(招来して)しまう"狂気"そのものなのかもしれません。日本人としては辛く苦い描写も多々あります。が、善と悪などという単純な枠では括れない複雑怪奇な人間性を、日中戦争を題材にしながら民族的・国家的な立場は無視し、あくまで純粋な一映画作家として中庸・俯瞰の眼差しを持って描いてみせたチアン・ウェンの姿勢には本当に頭が下がります。日本兵をこれだけリアル(人間臭く)に描いた外国映画は他に無いかも(ブラッカイマーはこの映画のツメの垢を煎じて飲むべし!)。最後にもう一言。さながら奇人変人大集合と言った感じの強烈なキャラクター造形(とにかく濃ゆい!個性的!観てて飽きません)、幾度も鳴り響く軍艦マーチのけたたましいブラス音、露骨に噴出する日中両者の民族性が醸し出す特異なユーモア感覚・・・このタッチはどこか「アンダーグラウンド」に通じるものがあります。欧州にクストリッツァがいるなら亜細亜にはチアン・ウェンがいる!鑑賞後、そう心の中で叫んでいました(笑)。これは驚くべき傑作です。必見!

『鬼婆』 新藤兼人/1964年・日本

剥き出しの人間性、その荒々しい欲望の乱舞を、風吹き荒ぶススキが原を舞台にシャープなモノクロームで生々しく描き出した原始エロス。言葉ではなく表情や動きによって性欲の葛藤をダイナミックに捉える演出が素晴らしい。戦争下における社会的秩序の失われた世界に女二人と男一人が閉じ込められる、という特異なシチュエーションが人間の性的な本質を見事に引き出す。キャラクターでは乙羽信子演じる姑の存在感が圧倒的。嫁役の吉村実子は、演技は微妙だけれど肉体の魅力がそれを補って余りある。二人が上半身裸で寝ているショットは、老いと若さの対比といった月並みな印象とは別に、ある種生臭いエロティシズムを強烈に感じさせた。それにしても子供の頃にこの映画と出会わなくて良かった。あの最後のシーン・・・絶対トラウマになっただろうなぁ(笑)。

『鬼平犯科帳 劇場版』 小野田嘉幹/1995年・日本

十分楽しめたのですが、いわゆる「TVドラマの延長としての映画」という範疇を超えていなかったのが残念。エラそうな言い方をすると、もう少し映画っぽい暗めのルックにして欲しかったですね。照明の明るすぎる時代劇はどうも感じが出ません。あと鬼平にしては飲み食いの描写があっさりだったかも。濡れ場は紗がかかったり、妙に濃厚だったり随分と力が入っているんですけどねぇ(笑)。

『オネアミスの翼』 山賀博之/1987年・日本


『オーバー・ザ・トップ』 メナハム・ゴーラン/1987年・アメリカ


『お早よう』 小津安二郎/1959年・日本

軽妙で茶目っ気たっぷりなホームコメディ。集合住宅という小さなコミュニティの中で繰り返されるささやかな日常をユーモラスに、のびやかに、時には鋭く描き出していく。本作では小津映画の特徴である言葉と所作の反復がひときわ強調されている。特に密集した家屋の玄関と勝手口から頻繁に出入りする人達、最後の駅ホームでの佐田啓二と久我美子のやりとりなどにそれが顕著である。それと傑作なのが擬音化されたオナラの音。小津監督にかかるとオナラですら上品なユーモアになってしまう。無駄なものこそ世の中には必要なんだ、という逆説的な社会論が面白い。この作品にはどこかジャック・タチの作風と相通じるものが多いような気がする。

『オープニング・ナイト』 ジョン・カサヴェテス/1978年・アメリカ

どの作品においても「まず人間ありき」という姿勢を一貫して貫いてきたカサヴェテスが、再びジーナ・ローランズを「こわれゆく女」として起用したバックステージ物。ベテランの舞台女優マートルが、ある事件をきっかけに精神を病んでいき、やがてプロデューサーや舞台監督や脚本家の思惑を超えて、どんどん暴走していく様が、サスペンスとユーモアを含みながら緊張感たっぷりに描かれていく。そこには、あらゆる束縛から自由でありたいという独立精神、ハリウッド・システムに対する痛烈な皮肉が込められている。人間、舞台、製作の表と裏が、現実と非現実の境界線が曖昧になった世界の中で赤裸々に綴られていく。頻繁に映し出される鏡は、その意味でとても興味深い。それにしてもジーナ・ローランズ。何という存在感だろう。すべての表情、所作、声が異様なまでのエネルギーに満ち溢れている。般若面のような怒りと悲壮感がただよう表情、そして、単純さとは無縁の笑みにただただ圧倒された。夫でもあるカサヴェテス自らが演じる舞台俳優との最後の即興劇も素晴らしい。この映画、ひょっとしたらカサヴェテス究極のおノロケだったのかもしれない(笑)。

『オー・ブラザー!』 ジョエル・コーエン/2000年・アメリカ

面白い。相変わらずコーエン兄弟の映画はノスタルジックで寓話的でお茶目で知的でマニアック、でもってダラダラ〜(笑)。映像と音楽のセンスの良さはさすがの一言。キャストではジョージ・クルーニーが予想以上にツボだった。表情がとにかく最高。ある程度アメリカ文化に詳しくないと楽しめないのが難点。下敷きになっている「オデュッセイア」は概要さえ知っていれば取り敢えず大丈夫?

『オープン・ユア・アイズ』 アレハンドロ・アメナバール/1997年・スペイン=仏


『Operacion Ogro』 Gillo Pontecorvo/1980年・Spain、France、Italy

フランコの右腕でバスクの首相だったカレロ・ブランコ暗殺事件を描いた硬派な人間ドラマ。反フランコの急先鋒だったテロ組織ETA(バスク祖国と自由)に属する4人の男たちが主役だ。映画は暗殺計画「Operacion Ogro」(部屋の中から外の道路下まで横穴を掘り、そこに爆弾をしかけ教会帰りのブランコを車ごと吹き飛ばす)の実行までを追った1973年とフランコが死んだ1975年、そしてバスクに自治が認められる直前の1978年という3つの年代が交錯しながら展開される。バスク人の独立・自由への想い、バスクの誇りを強烈に感じさせるかなり政治色の強い本作は、1979年に制作されている。つまりバスクが自治権を得た記念すべき年。この映画は祖国の為に闘ったバスク人に捧げる作品なのだろう。クライマックスの暗殺シーン、爆破した車がビルの屋上まで吹っ飛んでしまう映像は圧巻だった。フランコ政権下のバスクについてはいずれ関連文献を読まねば、と思っている。アナ・トレントは主人公たちが立ち寄ったカフェにいつも牛乳を買いに来るバスク人の少女役でチョロットだけ登場。その割にクレジットでは大きく扱われていたので、さすがスター子役といったところか。そう、それと音楽がエンニオ・モリコーネでした(サスペンスフルでなかなか良い感じ)。

『オペラ・ハット』 フランク・キャプラ/1936年・アメリカ

さすがはキャプラ!社会悪に立ち向かう底抜けの善人を描いた本作ですが、とにかく演出がスマート。終始コメディー・タッチで楽しく明るいアメリカを見せてくれます。最後の法廷のシークエンスなんて本当に痛快!もう巧すぎて溜息しかでないです。ワイルダー監督もそうですが、昔のコメディー映画ってなんでこんなに品が良くて素敵なんでしょうかねぇ。主人公を演じるゲーリー・クーパーは、素朴で誠実な雰囲気がとっても好感持てます。ヒロインのジーン・アーサーも魅力的でした。

『おもいでの夏』 ロバート・マリガン/1970年・アメリカ

ローティーン青年の一夏の経験を描いたじんわ〜り切ない気持ちにさせられる青春映画の佳作。「マレーナ」はこの作品のイタリア版なのかと思うくらいよく似ているが、爽やか度ではこちらの方が圧倒的に上。しかし綺麗なお姉さんは夫の戦死報告でアッサリ主人公と寝てしまうのだった(笑)。

『おもひでぽろぽろ』 高畑勲/1991年・日本

個人的には高畑勲の最高作。よく「アニメでやる必要性が感じられない」という意見を目にするが、実写で表現すると滑稽になってしまうであろうショットが多々出てくる。主人公の少女時代のシークエンスはどれも印象深い(本名陽子の演技も素晴らしい)。それに何と言っても「ひょっこりひょうたん島」の曲の使い方が絶妙。物議を醸した皺の出る表情は・・・まぁぶっちゃけ大失敗でしょう(笑)。

『泳ぐひと』 フランク・ペリー、シドニー・ポラック/1968年・アメリカ

ザッツ・アメリカン・ニューシネマ!ってな意気込みがムンムン伝わってくるプチブル諷刺のシュールな前衛映画。試みは面白いけれど、ちょっとやりすぎな感も。ずーっと首を傾げながら観ているしかなく、後味も悪いというのはいただけない。カラッとした明るい雰囲気と異様な物語展開による不気味なコントラストは良いと思う。バート・ランカスター、最後まで水泳パンツ姿だったなあ(笑)。

『オリーブの林をぬけて』 アッバス・キアロスタミ/1994年・イラン


『オール・アバウト・マイ・マザー』 ペドロ・アルモドバル/1999年・スペイン=仏


『オール・ザット・ジャズ』 ボブ・フォッシー/1979年・アメリカ

ブロードウェイ演出家の凄絶にして滑稽な生き様。死に向って突き進んでいく娯楽ミュージカルというのが屈折していて面白い。ロイ・シャイダーもハマリ役。くわえ煙草にしかめっ面。洗練と猥雑が同居しているような、異様なエネルギーを放つダンスシーンは圧巻だった。物語としては退屈。

『俺たちに明日はない』 アーサー・ペン/1967年・アメリカ


『愚なる妻』 エリッヒ・フォン・シュトロハイム/1921年・アメリカ

ハリウッド黎明期を彩った伝説的な映画人の一人であり偉大なるアクター、エーリッヒ・フォン・シュトロハイム。彼がユニバーサルを追われる原因となった作品がこの「愚なる妻」です。裕福なマダムに近づき、その財産を奪おうとする怪しげなロシア貴族を描いた話なんですが、これがもうストーリー飛びまくり省略ありのかなり大雑把な作りなのでビックリ。しかしそれもその筈、本作の尺は108分ですが本来はなんと5時間以上もあったらしく、それを会社側が「けしから〜ん」と短縮しちゃったんだそうです。更にこのお方、映画にかける費用が尋常ではなく、豪華なホテルをまるまるセットで再現したかと思えば各部屋に置かれた電話も使いやしないのに全部本物を揃えたんだとか。ここまでやると完全主義者と言うよりただの変人ですね(映画監督は程度の大小こそあれ、皆が皆変人なんだと何かの本に書いてあったけど・・・笑)。で、感想ですが確かに話の整合性はなきに等しいです。が、個々のシークエンスで"怪物"と言われたシュトロハイムの凄味が垣間見れます。例えば冒頭、シュトロハイム演じるロシア貴族が海辺で銃の試し撃ちをする場面。顔の的を撃ちぬく男の表情には明らかに狂気が宿っていて、その病的な瞳には寒気すら覚えます。「サンセット大通り」「大いなる幻影」もそうでしたが、彼の目の存在感は本当に圧倒的。また嵐の中、マダムを安宿へと誘い込む場面。マダムの着替えをそっと手鏡で覗き見る、その何ともイヤラシイ顔(表情も絶品ですが構図も素晴らしい!)。他にもマダムが金を出す仕草をした際に一瞬見せる不気味な笑みとか、ロシア貴族に想いを寄せる小間使い(樹木希林似)の嫉妬に狂う姿とか、とにかく人の醜悪さを表情でもって徹底的に見せつける演出が強烈ですね。これはサイレントならではの魅力とも言えそうです。唐突感はあるもののインパクト大な最後、そして人を食ったような安直なオチ、80年も前の映画に翻弄されまくりでした。

『終わりなし』 クシシュトフ・キエシロフスキ/1984年・ポーランド

今まで観てきたキェシロフスキ作品の中で最もペシミスティックな色合いが強い作品。キャメラを見据える死者の独白から、死者の主観へと切り替わって、死者の妻の物語が始まり、最後に監督(神?または観客の視点そのものとも言える)の主観となって終局を迎える悲劇。この作品でもふとした過ちやちょっとした状況の変化によって運命を狂わせてしまう人間の姿が、極めて繊細なタッチによって描かれていく。それにしてもキェシロフスキが捉える人物の生々しさは凄い。慎ましやかな表情と所作なのに、人間が持つ多面的な複雑さが濃厚に感じ取れる。感じずにはいられない。この映像のただならぬ緊張感と人間への真摯な眼差しがキェシロフスキ映画の一番魅力的な部分と言えるかもしれない。孤独な妻を演じるグラジナ・シャポーフスカが圧倒的に素晴らしい。

『女は女である』 ジャン=リュック・ゴダール/1961年・フランス=伊

言葉と音楽、そして"映画"を道具にとことん戯れ尽くすポップでキッチュなゴダール式ミュージカル喜劇。矛盾に満ちた言葉と行いの波状攻撃。とにかく落ち着きのない映画だ。アンナ・カリーナはいつでも軽快に髪の毛を触っている。その仕草がまた可愛いのなんの。彼女は鈍重なステップでさえも愛嬌にしてしまう。最後のウインクなんて反則。シネスコを生かした往復パン、音楽とシンクロしたジャンプカット、本を使った痴話喧嘩、J・P・ベルモンドの役名(アルフレッド・ルビッチ!笑)、白い壁と原色の数々、仏頂面のブリアリ。ゴダールのペースにまんまと乗せられて、悔しいような嬉しいような、まあお茶目な映画なんです。しっかし格好良いオープニングだな〜。「アクション!」

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