映画古今東西
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『廃市』 大林宣彦/1984年・日本


『灰とダイヤモンド』 アンジェイ・ワイダ/1958年・ポーランド


『パイナップル・ツアーズ』 真喜屋力、中江裕司、當間早志/1992年・日本

オムニバス・オキナワ・ムービー。中江裕司の2話目が一番面白かった。『ナビィの恋』の原型という感じ。沖縄は女性を中心に世界が回っている。おバアは偉大です。やっぱり字幕だらけ(笑)。

『バウンド』 アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー/1996年・アメリカ


『蝿の王』 ハリー・フック/1990年・アメリカ


『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』 スタンリー・キューブリック/1964年・アメリカ=英

冒頭の空中給油と激細手書きタイトルクレジットからアッという間にキューブリック・ワールドへトリップしちゃいました。あとは狂気と精緻と黒い笑いにひたすら感嘆、呆然、お腹捩れる怒涛の90分。個人的には爆撃機内の執拗とも言えるディテール描写が好きですね(バックに流れる「ジョニーが凱旋する時」もナイス)。ピーター・セラーズの恐るべき一人三役、何せ初見の時は全く気付きませんでしたからね(笑)。ラストの演技なんて本当に鳥肌もの。そして水爆実験の映像に優しく被さるヴェラ・リンの「また会いましょう」のインパクトたるや。。。この独創性とセンスには脱帽です。

『白蛇抄』 伊藤俊也/1983年・日本


『麦秋』 小津安二郎/1951年・日本

これまで観てきた小津作品の中では一番「家族」というものが強調されて描かれていると感じた。でも、やっぱり適齢期の娘が嫁に行く、行かないといった話が軸になっている(笑)。この娘である紀子を中心に、兄夫婦、夫婦の子供二人、両親の家族模様が実に丁寧にバランスよく、ユーモアを交えて淡々と語られていく。また本作でも移動撮影が使われているが、別に違和感はなく、それどころか全く異なる場面と場面を鮮やかに繋いで、見事な効果を生んでいるのには目を見張らされた。最後の方ではクレーン・ショットも出てくる(その直後に海岸で原節子と三宅邦子が語らうシーンの素晴らしさときたら!)。ところで本作の大きな魅力のひとつに会話の面白さが挙げられると思う。特に原節子と淡島千景の未婚者コンビ(笑)が語尾に「〜ねえ」を付けて、それを延々繰り返しながら既婚者の女友達をからかうシーンは何とも可笑しい。他にも料亭でのエチケット談義、原節子と三宅邦子の高級ケーキをめぐるやり取りや、杉村春子が原節子に結婚話をきり出すところなども秀逸。日常の取り留めのない会話を計算され尽したテンポと間と言葉の妙味によって、普遍的でありながらもユニークなものにしてしまう、ここに小津映画の凄さを見る。

『バグダッド・カフェ』 パーシー・アドロン/1988年・西ドイツ

砂漠のうらぶれたモーテルに突如降臨した傷心の天使ジャスミンが魔法によって小さな奇跡を起す優しさ溢れる人間ドラマ。『パリ、テキサス』のような濃厚な色彩に黄色味がかった温かみのある映像、ゆったりと気だるいリズム、物憂げに被さる「Calling You」。いかにもアート系フィルムと言った感じの小洒落た雰囲気はちょっと狙いすぎな感もあるけれど、それはそれで魅力的なのだ。マジックアワーの情景描写がとりわけ美しい。役者も個性的な面々ばかりで彼等を観てるだけでも楽しめる。ジャスミン演じる巨女マリアンネ・ゼーゲブレヒトが何とも可愛らしい。かなり好きな部類に入る作品かも。ただ冒頭の斜めカットや激しいカット割り、取って付けたような最後のミュージカル演出はいらないと思う。このせいで映画がちょっと下品になってしまっているのが残念。

『幕末太陽傳』 川島雄三/1957年・日本

乾いた質感と軽味、リズムカルでスピーディな会話が心地良い異色時代劇。遊郭というちょっといかがわしい空間が実に鮮やかな舞台装置として機能している。多彩なキャラクターも魅力的で、中でも主役の佐平次を演じるフランキー堺のパワフルで粋な立ち回りには目が離せない。まさに絶品。終始笑みを絶やさないが、そこには常に労咳という暗い翳がさしていて、それが本作をコメディでありながらもシニカルな雰囲気にしている。ラストは爽やかながらもどこか切ない後味を残す。

『パサジェルカ』 アンジェイ・ムンク/1963年・ポーランド

事故で早逝したポーランドの監督アンジェイ・ムンクの遺作。未完成だったのを友人達が編集して完成させたもので、随所に静止画や友人のナレーションが入る作りになっています。船上にある元ナチ女性党員が夫に自分の過去を打ち明けるが、それは虚飾に満ちたもので実は・・・という話で、収容所におけるユダヤ人女性との同性愛的関係を軸にサスペンス溢れる人間の尊厳の物語が展開されていきます。が!が、しかしです。映画はこれからというところで終わってしまいます。多くの疑問を残したまま・・・。完全版観てみたかったですねぇ。残念。でも凄みは十分伝わってきました。

『橋の上の娘』 パトリス・ルコント/1999年・フランス


『バス停留所』 ジョシュア・ローガン/1956年・アメリカ

粗野で田舎者のカウボーイとしがない酒場女が繰り広げるすったもんだの恋物語。んぬぅあ〜〜〜これは泣きましたぁ。映画を観てこんなに泣いたのは久しぶりです。前半のコメディ調から一変、後半の濃密で清々しくシンプルでいて奥深い男女の機微にすっかり当てられちゃいました。この作品のモンローは従来のコメディエンヌとしての魅力に加え、驚くほど豊かで真に迫る表情を見せてくれます。有名なヨダレを垂らすシーンとその前後の演技にはゾクゾクきましたねぇ。二人を取り巻く脇役たちも本当に気持ちの良い人間ばかりで。。。ベタだけどこういう下町人情話的なノリって大好きなんです。モンローのとびっきりの笑顔と共に自分の心のしこりも綺麗サッパリ取り除かれました。映画の力は偉大なり!『お熱いのがお好き』と並んで最も好きなモンロー作品になりそうです。

『ハスラー』 ロバート・ロッセン/1961年・アメリカ

良い。モノクロ映像、己の誇りと腕を賭けた勝負の数々、物哀しいジャズの音、酒と煙草などなど、男を格好良く見せる為の要素がみんな入っている作品でしたね。また、賭博場の元締めゴードン役のジョージ・C・スコット(表情の圧倒的な存在感!)やライバルのハスラー・ミネソタ・ファッツ(名前の通り太ってるんですが滅茶苦茶クールで渋い奴。胸元に飾られたバラが何とも粋です笑)など、登場人物達も個性的でアクの強いキャラばかり。ひょっとしたら主演のポール・ニューマンが一番地味だったかもしれません。「全編の3分の2がビリヤードシーン!」という宣伝文句の本作ですが、なかなかどうして、人間ドラマの部分もかなり骨太で見応えがありました。ラストの余韻が最高。

『裸の島』 新藤兼人/1960年・日本

リアリズムを通り越して、神話的とも言える普遍性を獲得してしまったダイアローグの無い人間ドラマ。乙羽信子の巧さに唸り、殿山泰司の偉大なる自然に唖然となる。キャメラも素晴らしい。

『裸のマハ』 ビガス・ルナ/1999年・スペイン=仏

ゴヤの名画「裸のマハ」誕生の裏で展開される愛憎サスペンスです。ん〜ペネロペ嬢のコスプレとダンスと美しいヌード以外は何ら心に響いてこない作品でした(^^; 詰まらなくはないが面白くもない脚本、肝心かなめのサスペンス演出も弱いですし、最後もちょっと呆気なさすぎて盛り上がりに欠けます。映像も至って普通でした。目に付いたのは同じ場面を違う視点から描いて反復する手法くらいでしょうか(タランティーノ作品でお馴染みなだけに新鮮味はありませんが^^;)。結局満足度という点では字幕なしの伊盤を観た時とさして変わらなかったですねぇ。それにしても。。。コルセットで極限まで締め付けられた腰のくびれ、寄り上がった胸元。。。いや、何ともフェティッシュな魅力、こりゃたまりませんね〜(笑)。

『バタリアン』 ダン・オバノン/1985年・アメリカ


『バタリアン2』 ケン・ウィダーホーン/1987年・アメリカ


『八月の鯨』 リンゼイ・アンダーソン/1987年・アメリカ

珠玉の名編です。人生の黄昏期を迎えた姉妹の姿を限りなく誠実に真摯な眼差しで見つめた至極の人間讃歌!喜びも悲しみも味わい尽くした老人達・・・残された時間はあと僅かと自覚しながら尚も明日を信じて力強く生きていこうとする姿勢には否応無しに感動させられます。そして何よりも素晴らしいのが老姉妹を演じる2人の女優です。まずは生の活力に溢れ性格も温厚な妹セーラを演じるリリアン・ギッシュ。サイレント期の伝説的な女優として知られている彼女は何と撮影当時90歳!それだけでも凄い事ですが、それよりも劇中で見せる彼女のチャーミングで品のある存在感に自分は惚れ惚れしちゃいましたね〜。化粧をしてドレスを纏い、老紳士の前で「いかがかしら?」と見せる場面などはホントに可愛らしかったです。そして目が不自由で性格のキツイ姉リビィを演じるベティ・デイヴィス。彼女もハリウッド黄金期を代表する女優で撮影当時は79歳。体が不自由なせいか偏屈で人嫌いし、セーラにも辛くあたります。そんな彼女の自慢は長い銀髪。劇中ではセーラに髪をとかしてもら描写が度々出てきますが、中でも朝の光でキラキラと光る髪をアップで捉えた場面はとても美しかったです(やはり髪は女性の命なんですね)。2人の偉大な女優へ最上級の敬愛を捧げたいという監督の想いが丁寧な描写の一つ一つから汲み取れました。

『八月のクリスマス』 ホ・ジノ/1998年・韓国


『八月の狂詩曲』 黒澤明/1991年・日本


『八甲田山』 森谷司郎/1977年・日本


『蜂の旅人』 テオ・アンゲロプロス/1986年・ギリシャ=仏=イタリア

アンゲロプロスなのに2時間という尺、これ見よがしなエゲツない長廻しも出てきません、基本はシンプルなロードムービーのスタイル。アンゲロプロスらしからぬ小品と言えます。でも、この小品っぷりが実に良いんですよね。つまり作風が巨視的(国家)な視点から微視的(個人)な視点へと移行しているんです。中年男と少女のいささか奇妙な恋物語の背後には、世代間の断絶とか忘れ去られていく内戦の記憶と言ったものが見え隠れするのですが、さりげなくシュールなイメージの連なりによって現実的なテーマが抽象化されているせいか、表面上は幻想的な男女のロマンスと言ったような印象を受けます。しかも、主人公の中年男は恋する少女に娘たちの姿を重ね合わせ、少女は中年男に父親を求めているんですよね。これは冒頭の結婚式や反復される童歌にそれとなく暗示されています。この擬似近親相姦とも言うべき要素には、祖国愛から生まれた政治的分裂というギリシャの歪んだ過去を重ねてみることもできると思います。こうした重層的な構造は如何にもアンゲロプロスらしいのですが、本作が魅力的なのは、何よりも映像の表層に漂う"シンプルさ"が美しいからなんですよね。全裸で海に泳ぎだす老人とか、ガラスを突き破るトラックとか、ふと目に飛び込んでくるバラの赤さとか、中年男の手に噛み付く少女のアップとか、眠るマストロヤンニの足元に少女の全裸の下半身がスッと現われるところとか、そういう唐突さに満ちた細部にワクワクさせられるんですね。主人公の職業が養蜂家というのも面白いです。ミツバチを使って蜜を採取する姿は、まるで支配者であり家父長であり男性的なるものの象徴のようです。だから主人公が蜂によって命を落とすのは、取りも直さずそれら前時代的なものの敗北を意味しているんでしょうね。そういう意味では本作を通してアンゲロプロスなりに時代の総括を行ったのかもしれません。極めて地味なカタチとして、というのが泣けますが・・・。方法論的なアプローチの仕方は、大島渚の『儀式』からの影響が強く感じられました。それと多分アントニオーニの『さすらい』に捧げるオマージュ作品でもあったのではないかと思います。風景の切り取り方がそっくりだし、ガソリン・スタンドがやたら出てくるし(笑)。個人的にはアンゲロプロス作品の中でもベスト5に入るくらい好きですね。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 ロバート・ゼメキス/1985年・アメリカ


『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』 ロバート・ゼメキス/1989年・アメリカ


『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』 ロバート・ゼメキス/1990年・アメリカ

シリーズ最終作というよりは「ちょっぴりSFが入った西部劇パロディ」の印象が強い、私的には独立した作品として好きな一篇。西部劇ではお馴染みの構図やら演出やらシチュエーションやらが次々に出てくるサービス精神とオマージュに溢れた構成が楽しい。西部の町並がいかにも観光スポット風に見えてしまうところはご愛嬌。ドクが一目惚れしてしまうクララ女史を演じるメアリー・スティーンバーゲンのチャーミングな存在感が忘れ難い。

『バックドラフト』 ロン・ハワード/1991年・アメリカ


『バックビート』 イアン・ソフトリー/1994年・イギリス


『初恋のきた道』 張芸謀/2000年・中国


『初体験/リッジモント・ハイ』 エイミー・ヘッカリング /1982年・アメリカ

青春コメディとして文句の付けようがない作品。この手の映画の命であるキャスティングが完璧で、今では有名になった俳優も端役でワラワラ出てくるのが楽しい(セリフ無しのニコラス・ケイジとか)。ジェニファー・J・リーも良いが、フィビー・ケイツがとにかく可愛すぎる。ヌードが眩しい〜。

『バットマン』 ティム・バートン/1989年・アメリカ

いやぁジョーカー最高〜!ニコルソンの怪演(って言うより壊演?^^;)は完っ璧にキートン=バットマンを食っちゃってましたね。ホントこのオッサン素敵すぎます。道具の造形も楽しめました。特にバットモービルのシールド展開はカッチョイイ!バートン流あそび心満載の暗黒映画。

『バットマン リターンズ』 ティム・バートン/1992年・アメリカ

バートンらしく、キャットウーマン(手製のツギハギコスチュームがキュート)やペンギン(悪役だがダークな過去を持つ不憫な人)ら脇役のキャラが実に生き生きしている。バットマンは相変わらずクールで格好良いのですがどうもインパクトが薄いんですよね。しかも執事のアルフレッドより(笑)。

『パットン大戦車軍団』 フランクリン・J・シャフナー/1970年・アメリカ


『ハッピー・フューネラル』 フォン・シャオガン/2001年・中国=米

経済的な繁栄にある現代中国の世相を反映したテンションの高いバックステージ・諷刺コメディ。映画ネタの多さ、セレブが本人役で登場、現地人にしか分からないようなギャグ等々、全体的にウディ・アレンの影響を強く感じさせる。意表をつく展開の連続なので最後まで飽きずに楽しめた。

『バッファロー'66』 ヴィンセント・ギャロ/1998年・アメリカ


『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』 ファックス・バー、ジョージ・ヒッケンルーパー/1991年・アメリカ


『波止場』 エリア・カザン/1954・アメリカ

政治臭さと説教臭さがやや鼻に付くけれど、カザンの力強く繊細な人間描写は見応え十分。ブランドの自然体の演技が凄い。表情や所作の細やかな変化は驚嘆ものだった。印象的と言えば神父役のカール・マルデン。役の存在感ではなく"鼻"の存在感に圧倒される。もはや芸術の域(笑)。

『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』 クリント・イーストウッド/1986年・アメリカ

『フルメタルジャケット』をスポコン青春モノにしちゃったような珍妙な戦争映画。単純明快なドラマの裏に見え隠れするのは"強きアメリカ"復活への叱咤激励か。イーストウッド演じる時代遅れの鬼軍曹が渋い。タフで、粗野で、不器用で、とことん男臭い。またそれが恐ろしくサマになっている。

『ハードロック・ハイジャック』 マイケル・レーマン/1994年・アメリカ


『バートン・フィンク』 ジョエル・コーエン/1991年・アメリカ


『話の話』 ユーリ・ノルシュテイン/1979年・ロシア

驚愕の切り絵アニメ。本作の自然描写にはちょっと呆気にとられちゃいました。あまりにも美しくて。木から落ちる枯葉、雪、風で舞うテーブルクロス、雨、鳥の群れ、焚き火、割った焼芋から上がる湯気(ハフハフしながら食べる狼がめちゃくちゃお茶目)、外灯に群がる蛾、いずれもアニメであることを忘れてしまうくらい鮮やかに表現されています。音の使い方もゾクッとくるような怖さと繊細さがあって、その感性はエリセ作品と通ずるものがあるように思えました。物語自体はかなり観念的で難解なんですが、自分はロシアの風土と戦争の歴史をひとつの家族の営みを通して描いた寓話的映像詩と解釈しました。背後に隠されているものは膨大で或いはロシア人でないと本当の意味は判らないのかもしれない。それでも繰り返し観たくなる麻薬的な魅力がこの作品の映像にはあります。ジャパニメーションやディズニー・アニメとは全く異なるアニメの世界。カルチャーショックでした。

『花とアリス』 岩井俊二/2004年・日本

この作品を観ていておぼろげながら感じたのは、岩井俊二はテレビ向け映像作家(またはCF作家)としては最高レベルかもしれないけれど、映画作家としては実はかなりレベルの低い人なのではないだろうか?という疑念です。思えば私が岩井俊二の作品で好きなのはすべてスタンダード・サイズで撮られたTVドラマなんですよね。多分『花とアリス』もTVサイズの一時間ドラマとして作られていたらお気に入りの作品になったような気がします。ではこの映画の何がそんなに駄目だったのか。それは大雑把に言って尺と音楽と映像演出の3点だと思います。135分という尺は明らかに長すぎると感じました。映画のリズムが弛緩しちゃっているんですよね。「今の撮影システムでは監督は孤独にならざるを得ず、それ故にあれこれいろんなものを詰め込み、心配になって無駄な部分を付け足さずにはいられないので、いきおい、映画は長くなってしまう。その最大の原因はテレビにあるのです」と言ったのはゴダールですが、皮肉にもテレビ向け映像作家・岩井俊二はそのことを見事に証明してしまったことになります。音楽はまるでプロモーション・ビデオやTVドラマのように全編いたるところで流れているのに辟易させられました。沈黙から音への移行、つまり音響効果は映画的興奮を誘う大事な要素の一つですが、本作ではそれがとことんオミットされています。何せ音響には絶え間なく音楽が被さっているのですから。監督本人が作曲しているそうなのできっと沢山使いたかったのでしょう。ここにもテレビ向け映像作家・岩井俊二があからさまに露呈しています。そして映像演出。やたらにミドルとアップショットを多用するのは、やはりテレビ向け映像作家としての資質の現われですね。また、雨の描写がヘンだったり(それに比べ『雨あがる』の雨の何と美しいこと)、意図が不明瞭なジャンプ・カット、三谷作品の模倣にしか見えない大勢の魅力なきカメオたち(あっでも怪しく俊敏な梶原善だけは良かったなぁ)、しかし決定的に許せなかったのは二つのクライマックスです。一つ目は鈴木杏が舞台の袖で涙の告白をするシーンなんですが、これ見よがしな明暗の対位法が鼻に付いて感動も半減。二つ目はオーディションの面接で蒼井優がバレエを踊るシーン。ああ〜なんと勿体無い。素晴らしいパフォーマンスが品のないクロス・カッティングで見るも無残に分断されています。いくら広末涼子が大物ゲストとは言え、携帯で会話しているシーンを間に挟むのはデリカシーがなさ過ぎる編集だと思うのですが・・・。それと運動本来の躍動感を奪い去るだけの安易な審美的感性によるスローモーション(しかも長い!)にもガッカリ。映像そのものはとても繊細なのに映像演出はどうしてこんなにも鈍感なのでしょうか。このバレエ・シーンは音楽なしのワンシーン・ワンカットで見たかったですねぇ。断じて最後のアラベスクだけで満足してはならないと思うんです(笑)。ちなみに鈴木杏と蒼井優は良かったですよ。とくに鈴木杏は『転校生』の小林聡美みたいな味のあるコメディエンヌっぷりで印象に残りました。頭のボリュームと太い声の存在感。でも『花とアリス』はインターネットで配信された短篇だけで完結しておくべき作品だったのかもしれませんね。今後も岩井俊二の作品は観ると思いますが、以前のような期待感を抱くことはもうないでしょう。さらば岩井俊二!はぁ、こんなに悪口を書き連ねるのは空しいだけだと思いながらも、やっぱり言わずにはいられなかったので書いてしまいました。ファンの方はさぞや不快な気持ちになったことでしょうが、映画バカの詰まらぬ戯言と一笑に付していただければ幸いです。

『花の影』 陳凱歌/1996年・香港

かなり濃い〜愛憎劇ですが観た後の印象は何故かアッサリめ。演出も映像も非常に洗練されていますが、その分ドロドロとした人間臭さ、生々しさには欠けています(レスリー・チャンの顔が端正すぎるのも一因か?^^;)。コン・リーが珍しく気弱な女性を演じているのが新鮮でした(ただ体はガッチリしてて貫禄十分!笑)。彼女の白痴顔は絶品ですね。クリストファー・ドイルの映像も溜息が出る美しさ。特にコン・リーが迷路のように入り組んだ狭い屋敷内の通路を走る回るシーン、上海の夢幻的なネオン描写などが素晴らしかったです。

『HANA-BI』 北野武/1997年・日本


『はなればなれに』 ジャン=リュック・ゴダール/1964年・フランス

ゴダールの映画と言うとちょっと取っ付き難い印象がありますが、本作はとても分かり易く抜群に面白かったです。もう最初から最後まで遊び心一杯で観てる間中ニヤニヤしっぱなし。「勝手にしやがれ」の姉妹編だけあって即興的な映像が生々しくまた自由な楽しさに溢れています。この雰囲気、感覚は明らかにジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」にも影響を与えてそうです。ヒロインのアンナ・カリーナが反則的に可愛いですね。もう「気狂いピエロ」なんかより断然キュート。自転車に乗るカリーナ嬢、道端での西部劇ゴッコ、カフェでのマディソン・ダンス、美術館内を全力ダッシュ等々・・・物語自体には特に魅力も工夫もないです。が、こう言った他愛ないシーンの一つ一つがどうしようなく愛しく思えてしまう映画なんですよね。「善くも悪くもゴダールは映画の申し子である」という淀長さんの言葉が何となく分かった気がします。ちなみにこの作品の原題「BAND A PART」はタランティーノのプロダクションレーベルとしても有名です。

『バニラ・スカイ』 キャメロン・クロウ/2001年・アメリカ

トム・クルーズとペネロペ・クルスのラブラブ映画でした。。。おわり。ってそれじゃあんまりなので少し補足をば。話自体はオリジナルである『オープン・ユア・アイズ』とほぼ同じです。が、それゆえに欧州映画とハリウッド映画の毛色の違いがはっきり出てしまった作品でしたね。『オープン〜』が上質の不条理サスペンスなら『バニラ〜』の方は俳優至上主義の作品って感じでしょうか。前者を先に観ている自分は特にその思いが強かったです。そして愛しのペネロペ嬢。。。はうっ、オーラが消えてるよ〜(TーT)。『オープン〜』ではあんなにミステリアスで慎ましやかでセクシーだった彼女が『バニラ〜』ではただのブリッコ女優に堕してしまってます。トムだ、トムが彼女を骨抜きにしたに違いない(怒)、嗚呼・・・ま、それでもメチャクチャ可愛いんですけどね(笑)。存在感と言う点ではストーカー女演じるキャメロン・ディアスの方がよっぽど輝いてましたです。それにしてもこの作品、モテない男がトム・クルーズのような男になってペネロペ嬢やキャメロン嬢のような極上女を手込めにする夢想を抱いてたらとんでもない悪夢を見ちゃった、ってな話に取れなくもないような。そう考えると実に憐れで滑稽な悲喜劇と言えるのかもしれません。

『ハネムーン・キラーズ』 レナード・カッスル/1969年・アメリカ

実話を元にした犯罪映画。主役は強面の巨漢女と禿の詐欺師というおよそアメリカ映画らしからぬ組み合わせ。ドキュメンタリー風の粗い白黒映像は初期ヌーヴェル・ヴァーグ作品のような臨場感があります。マーサは極め付けですがその他の騙され殺される女性達の造形も実に多彩で個性的。特に敬虔なカトリックの老女がマーサと激しく口論し、やがて2人の正体を知ってヒステリックに取り乱していく様は圧巻です。直後に起きる殺しの描写もあまりの生々しさに思わず目を背けたくなるほど。その後の殺人も嫌悪せずにはいられないものばかり。盲目的な愛は人間をこうも残虐にしてしまうものなのかとそら恐ろしくなります。妙なマッチングを見せるマーラーの旋律、特異なキャラクター、不気味で即興的な映像感覚・・・まさにカルトな要素全開の異様な作品ですね。偽りの愛が綴られた手紙によって始まった2人の関係が最後に本物の愛の手紙となってマーサに届けられるところは感動的でした。ちなみにこの作品、トリュフォーが最も愛したアメリカ映画だそうです。

『バーバー』 ジョエル・コーエン/2001年・アメリカ

キャラ造形、音楽、脚本、構図、美しい白黒映像(光と影の絶妙なバランス!)、独特のリズム。あらゆる部分でコーエン兄弟の技巧が冴え渡る"良い映画"のお手本のような逸品。スローモーションの使い方も実にキマッている。ビリー・ボブ・ソーントンの微妙な表情と所作。煙草の煙。渋い。

『パパは、出張中!』 エミール・クストリッツァ/1985年・ユーゴスラビア

この映画何だかとっても変です(笑)。てっきり不安定な政治情勢に翻弄される家族の姿を描いた暗い作品なのかなぁと思っていたのですが、実はどうしようもなく女グセの悪い父と夢遊病の息子マリク、それに頭を悩ませる母親の物語でした。全編にわたって大らかでユーモラスな雰囲気が漂っていますが、主題となっているものはずばり「性」。中でもマリク少年と余命少ない少女マーシャの短い恋を描いたエピソードは出色。一緒に入浴した2人が浴槽でお互いの局部をしげしげと見つめ合うシーンはクストリッツァならではのお茶目で大胆な描写です。他にも父親や叔父の情事、久々に再開した夫婦がマリクの邪魔にあい中々愛し合えないといった艶笑ネタまであって、とにかくあちこちに「性」に関わる描写が盛り込まれてます。最後の結婚式の場面。またしても父親の不倫現場を見てしまったマリクが、その夜夢遊病にかかり遂には空中を歩いてしまう。マリクの怪しげな微笑みで終るそのシュールなラストシーンがこの映画の奇妙な可笑しさを象徴してるかのようでした。

『バーバレラ』 ロジェ・バディム/1968年・アメリカ=仏=伊


『パピヨン』 フランクリン・J・シャフナー/1973年・アメリカ=仏

"不撓不屈"という言葉がピッタリの壮絶な脱獄劇。逃げては捕まり、捕まっては逃げる主人公、その偏執的なまでの反復に「管理社会と自由」という相容れない関係性の寓意を見る。しかしこれ、実話だというから驚き。マックィーンの野性味溢れる演技とホフマンの抑えた演技。どちらも絶品。

『バベットの晩餐会』 ガブリエル・アクセル/1987年・デンマーク

グルメ映画の最高峰と言えばこれ!教義に縛られ保守的で閉鎖的だった人々が料理によって解放されるという一種の寓話です。見所は何と言っても後半の晩餐会。「料理を恋愛に変えることができる」と評された天才料理人バベットがそれまでの鬱憤を晴らすかのように活き活きと調理場で舞う姿が痛快です。その絶品料理にギスギスしていた村人たちも徐々に穏やかな表情へと変化していきます。素晴らしい料理は人を豊かで幸せな気分にしてくれるんですね。この味覚の至福にはさすがの宗教もタジタジって感じです。また晩餐会に招待される将軍の存在が巧い。彼は貴族だけに大変な食通で、出てくる料理や飲物に逐一反応、感動し、ウンチクを語ってくれます。これが絶妙なアクセントになってグルメ・エンターテインメントとも言うべき興奮を生み出してるんですよね〜(笑)。1度でいいからこんな恍惚となる食事をしてみたいものです。

『パーマネント・バケーション』 ジム・ジャームッシュ/1980年・アメリカ

孤独な男の彷徨から旅立ちまでを描いた小品。盟友であり師でもあるヴェンダース作品を強く意識した作風になっていますね。卒業製作だけあって恐ろしいくらいテーマや演出に生真面目さが感じられます。クリス・パーカーのとことん無気力な表情。ジョン・ルーリーのサックスも印象的。ラストのNYからどんどん離れていく長廻しショットが良かったですね。希望に全然溢れていない(笑)。

『浜辺の女』 ジャン・ルノワール/1946年・アメリカ

海難事故というトラウマを抱えた青年士官が、浜辺で出会った美しい若妻をめぐって、夫である盲目で初老の元・画家と激しく争うという何とも不条理感漂う三角関係を描いた不気味な小品。70分チョイの尺なので、話の展開がかなり強引だけれど、その強引さが本作の味にもなっている。浜辺の難破船の中で、士官と若妻がいきなりキスするシーンや、ボートで沖に出た士官と老画家が突然いがみ合いだすシーンなど、唐突で劇的な演出が異常な愛憎劇を盛り上げていく。家の炎上によって登場人物たちの心が浄化(?)されるラストも相当な力技なのに、なぜか妙に納得させられてしまうのだから不思議だ。ファム・ファタールな若妻を演じるジョーン・ベネットがとにかく魅力的。

『ハムナプトラ』 スティーブン・ソマーズ/1999年・アメリカ


『ハメット』 ヴィム・ヴェンダース/1982年・アメリカ

ヴェンダースの呪われた映画。でも個人的には大好きな作品。猥雑な活気とけばけばしい色彩に満ち溢れ、迷路のように狭く入り組んだチャイナタウン。セットならではの味わい、ライティングもばっちりキマッている。緩慢なリズム、赤の多用、マジックミラーと透明の床、どこか宙ぶらりん状態の物語性とサスペンス性、曖昧さを残すラスト、言わばこれらのヴェンダース的な要素がアメリカ映画という枠の中に、はみ出す一歩手前で収まっている危うさが本作の魅力なんだと思う。ジャズピアノとサックスによる気だるい音色もたまらない。底光りする艶をもった犯罪ノワールの傑作。

『ハモンハモン』 ビガス・ルナ/1992年・スペイン

これはちょっと理解に苦しむヘンテコ作品でした。もう登場人物全員が自己中心的で無節操の固まり。皆が皆論理観を疑いたくなるくらい欲望の赴くままに行動します。何せマザコン息子はシルビア一筋みたいな態度をとりながらシルビアの母親に関係を迫るし、シルビアはラウルになびいたかと思えばマザコン息子の父親と意味深なキスをしちゃう(^^; ラウルはラウルでマザコン息子の母親と情事に耽るといった有様・・・。ここまでメチャクチャだともはや完璧なコメディーですね。さすが情熱の国などと感心できるレベルではなかったです(笑)。シュールレアリズム的な悪夢の描写も妙に浮いていたし、最後の破滅もドラマティックな感動はなくただ白けるだけでした。やはり見所はペネロペ嬢の初々しい存在感(当時18歳頃!くぅ〜可愛いなぁ)。しかもサービスショット満載!(ていうか露出しすぎ!笑) そしてシルビアの母親役を演じたアンナ・ガリエナの妖艶さ(マザコン息子を挑発するシーンは刺激強すぎです)、他に見るべき点と言えばホセ・ルイス・アルカイネによる濃厚な色彩美の映像くらいですねぇ。まぁムフフ度はかなり高い作品だけにペネロペ嬢やガリエナ姉さんが好きな人にはかなりオススメできると思います

『パラード』 ジャック・タチ/1974年・フランス

ジャック・タチ監督の遺作で、サーカス一座の興行の様子を描いたちょっと風変わりな作品です。映画ではありますが、舞台の上でショーが繰り広げられ、観客がそれを楽しむという見せ方は「これサーカスのライブ映像なの?」と思ってしまう程。ただ要所要所の演出は紛れもなくタチ監督の味になっています。監督自身も進行役として絶妙なパントマイム芸を披露してくれます。ちょっとした皮肉と沢山の温かさが混在しているラストも相変わらず見事でした。

『ハリケーン・クラブ』 モーガン・J・フリーマン/1997年・アメリカ

ニューヨークのスラム街を舞台にしたある不良少年グループの青春群像です。この設定で季節が夏とくれば・・・そう「スタンド・バイ・ミー」を思い出します。でも彼等のアジト、「スタンド〜」では明るく健康的なツリー・ハウスでしたが、本作では暗くジメッとした陰気な地下室です。田舎町と大都会、異なる時代とは言え、この違いは作品全体の印象を大きく変えますね。ストーリー的にも映像的にも特に目新しい部分は感じられませんでしたが、丁寧な作りの青春ドラマに仕上っているので素直に楽しめました。主人公が現状打開のため街を脱出するという結末は青春映画の一典型ですが、本作の場合その先に全く希望が見えてこないのが辛く切なかったです。

『パリ、テキサス』 ヴィム・ヴェンダース/1984年・西ドイツ=仏


『巴里のアメリカ人』 ビンセント・ミネリ/1951年・アメリカ

内容はいたってシンプルな、ボーイ・ミーツ・ガールもの。ただちょっと残念だったのは音楽が個人的にいまひとつだったこと。でもそれを補って余りあったのが、ジーン・ケリーの踊りの素晴らしさ!ゴツイ体格からは想像もつかないような華麗なフットワークを見せてくれます。いや〜本当にホレボレしちゃうほど鮮やかなステップですね。相手役のレスリー・キャロンもキュートな魅力でいい感じでした。しかし彼女ってかなりファニーなお顔ですね。自分は終始サザエさんの面影を彼女に見ていました(笑)。ロートレックの絵画とミュージカルが融合してしまうクライマックスは圧巻の一言。

『ハリーの災難』 アルフレッド・ヒッチコック/1956年・アメリカ

死体に翻弄される人々を描いた黒いユーモアの感覚が冴える小品。不条理でナンセンスな会話劇としての面白味はあるが、ヒッチコックらしからぬノンビリとした展開、地味な映像演出はいささか退屈だった。ただ、後からジワジワくるような類いの魅力があるかも。それにしても若い頃のシャーリー・マクレーンは可愛い。笑った顔が抜群なんだけれど、不機嫌な顔はもっと良かったりする。

『パリのレストラン』 ローラン・ベネギ/1995年・フランス

ハートフルドラマの佳作。レストランという限定された空間内で展開される様々な人間たちの喜怒哀楽を描いているのですが、物語は大きな起伏などはなく、終始淡々と進んでいきます。現在と過去を交互に映し出していく手法や、狭いレストラン内をダイナミックに動くキャメラなど、退屈させない演出が見事ですね。次から次へ出てくるフレンチも実に鮮やかで思わず涎がタラ〜っと(笑)。登場人物も個性的な面々ばかりです。死体を扱う仕事のために死臭(本人曰く香水)を漂わすスキンヘッド男、路上生活者、誰とでも寝る黒人女、妹に恋心を抱く太めの男、ワインの銘柄当てが得意な男、等々本当に多彩で面白い。彼らが、食事を楽しみながら無邪気に騒ぐ様子を見ていると、気心の知れた仲間同士の集まりってこんなにも良いものなんだな〜と、しみじみ感じちゃいましたねぇ。まさに小品という表現がぴったりな作品ですが、繰り返し観たくなるような愛すべき映画でした。

『ハリーポッターと賢者の石』 クリス・コロンバス/2001年・イギリス=米

ん〜ハリーが魔術学校に行くまでは展開や演出にキレがあって凄くワクワクしながら観れたのですが、学校に入ってからのテンポの悪さに途中からすっかり退屈しちゃいました。これは邪推ですが原作になるべく忠実たろうと詰め込みすぎたせいで、かえって映画のリズムが殺がれてしまい、無駄に長くなってしまったという事が言えるのかもしれませんね。そのくせ、ハリー達が「賢者の石」の謎に迫っていく核心部分は、展開やラストがやや強引で唐突に感じられたことも否めません。それと本作のウリの一つであるホウキで空を飛ぶシーン。スピード感はあるものの動きがちょっと堅くて滑稽に見えるのが残念でした(表現力は『魔女の宅急便』の方が上かも笑)。御大ジョン・ウィリアムズの音楽はさすがの貫禄でしたね。主演の子役3人も良かったです。

『ハリーポッターと秘密の部屋』 クリス・コロンバス/2002年・アメリカ

前作よりもダークな仕上りになっている。ただ序盤のワクワク感がどんどん尻窄みになっていくところは前作と同じで、中盤以降は所々でウトウトしてしまった。むやみやたらに尺を長くしたことで、かえって娯楽映画としての快いリズムが損なわれているような気がなきにしもあらず。個人的にはハーマイオニーの活躍がもっと観たかったかも。

『バリー・リンドン』 スタンリー・キューブリック/1975年・アメリカ


『はるか、ノスタルジィ』 大林宣彦/1993年・日本


『バルカン超特急』 アルフレッド・ヒッチコック/1938年・イギリス


『バルジ大作戦』 ケン・アナキン/1965年・アメリカ


『BAR(バール)に灯ともる頃』 エットーレ・スコラ/1989年・イタリア


『パールハーバー』 マイケル・ベイ/2001年・アメリカ

ハリウッドの堕落を最も明快に示した恐るべき大作であり怪作(笑)。子供が凧上げをしてる丘の傍で開放的に極秘会議を行なう日本軍部、あまりにベタな展開と御都合主義大炸裂で全く共感できないロマンス(演出的に品がなく脚本的に薄っぺら)、視覚面がド派手なだけで病院や非軍事施設への無差別攻撃という史実を捻じ曲げた真珠湾攻撃(しかも無駄に長い)、最後は何故か特殊部隊による東京爆撃が描かれアメリカの正義と勇気への賛美が高らかに謳いあげられます(題名「パール・ハーバー」なのに)。このシークエンスの稚拙な展開(死ぬ為としか思えない恋敵ジョシュ・ハートネットの暴走、そして日本兵の見事なまでのヤラレ役っぷり〜あっさり中国兵に救出される)には呆れて目を覆いたくなりました。映画に御都合主義は付きものですが、さすがにここまで酷いと怒りを通り越して笑うしかありません。ラストのナレーションにも思いっきり白けました。戦後60年が経とうという時代にこんな独善的で偏見に充ちた戦争映画を世に送り出すブラッカイマー&ベイの良識を本気で疑いたくなりました。「どんな映画にも一つは良いところがある。そこを褒めてあげなきゃ」とは敬愛する淀長さんの言。しかしこの映画に限ってはとてもそんな気にはなれません。本土大空襲、広島と長崎、その他多くの犠牲者の上に生きる今の日本人として・・・。

『パルプ・フィクション』 クエンティン・タランティーノ/1994年・アメリカ


『バロン』 テリー・ギリアム/1988年・イギリス=西独


『晩春』 小津安二郎/1949年・日本

やもめの親と娘の結婚をめぐるドラマ。後年の『秋日和』や『秋刀魚の味』の祖型とも言える内容であり、いわゆる小津様式が確立された作品としても名高い本作。ただ、移動撮影やアップショットが使われているあたり、まだ多少の贅肉が付いている、と言った感じ。素晴らしいのは原節子!何と言っても彼女に尽きるだろう。彼女が最も美しい時期に撮られたとあって、その輝きはまさに太陽の如く。共演者たちをことごとく圧倒し、焼き尽くさんばかりの、その存在感にただただ溜息。とりわけサイクリング・シーンの笑顔、これには本当に参った。もうお口あんぐり。これほど魅力的な笑顔は久々に観たような気がする。『ミツバチのささやき』で脱走兵とアナが微笑み合うシーン以来の衝撃かもしれない。けっこうアクの強い顔立ちなので好き嫌いが分かれそうだけれど、他の日本人女優にはない特別な「美人オーラ」を纏っているように思える。なかでも斜めから捉えた正面ショットでは信じられないくらい美しく見える瞬間がある(前述したサイクリング・シーンを初め、「能」を見るシーン、布団に横たわるシーンなど)。ただ、ほぼ真正面から捉えたショットでは、あまり魅力的に見えないのが不思議だ。また本作の特色として、娘の父親に対する異様なまでの情愛の深さがある。再婚をほのめかす父に向けられる冷たい視線(怖すぎ!笑)、クライマックスの告白など、単なる親子愛を超えた近親相姦的な色合いを帯びている点も興味深い。後年の同じテーマを扱った作品とはここが大きな違いであり、妙に生々しい。あっ最後に一言。杉村春子イイ味出しすぎ。がま口拾うところなんて最高。

『パンダ・コパンダ』 高畑勲/1972年・日本


『パンダ・コパンダ 雨ふりサーカスの巻』 高畑勲/1973年・日本


『パンと植木鉢』 モフセン・マフマルバフ/1996年・イラン=仏

マフマルバフ監督自身の過去を映画化する様子がユーモアたっぷりに描かれたメタ・フィクション映画。時間軸のずらし方や現実と映画が変幻自在に切り換わる魔術的な構成がユニークです。またヒロインの少女がとてもキュート。イラン映画の少女らしからぬ快活な性格も新鮮でした。いや、それにしてもラスト・シークエンスにはぶっ飛びましたねぇ。どうすればあんな素晴らしい発想が思いつくのだろう。映画への愛と平和への想い、緊張感と意外性、少女の表情・・・。愛すべき作品がまた一つ増えました。

『パンと裏通り』 アッバス・キアロスタミ/1970年・イラン


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