映画古今東西
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『アイアン・ジャイアント』 ブラッド・バード/1999年・アメリカ

とても楽しめました。海外アニメ特有の滑らか(過ぎる?)な動きと可愛げのない顔(笑)にちょっと初めは馴染めませんでしたが、アイアン・ジャイアントのレトロなデザインは抜群に良いです。目の表情がすごく豊かで愛嬌たっぷり。怒りモードで見せる内蔵武器のギミックがこれまたユニークでロボット好きの自分にはたまりませんでした。ジャイアントが初めて飛行するシーンなんかかなり心躍っちゃいましたね。日本語吹替え版を観賞したのですが、評判通りのナイスな出来。どの登場人物も見事にハマっていました(特にアイアン・ジャイアント役の郷里大輔さんが絶妙)。

『藍色夏恋』 イー・ツーイェン/2002年・香港=仏

クールミントのような味わいのこそばゆい青春映画。奇をてらわない正攻法の演出と脚本、透明感のある映像は、磯村一路の作風にちょっと似ているかも。自転車と海岸と夜のプールと体育館によって描かれる青い恋の錯綜。これ、まさにボーイ・ミーツ・ガールの王道なり!ところで、この作品の監督は小津安二郎が好きなのだろうか。小津的な反復や人物配置が随所に見られる。ローアングルや赤もチラチラ。あるシーンでは『浮草』の有名な一場面にそっくりの演出が出てくる(笑)。
『アイガー・サンクション』 クリント・イーストウッド/1975年・アメリカ

野性的なハードボイルドを感じさせる骨太の山岳映画。スパイ物にしてはプロットがやや強引で話も分かり辛くまとまりに欠けているが、それを補って余りあるくらい映像が力強い。登山シーンの迫力と緊迫感にはクラクラさせられた。空撮も良い。それとイーストウッドのクールな漁色家っぷり!
『哀愁』 マービン・ルロイ/1940年・アメリカ

ハリウッド黄金期の代表的な戦時ロマンス。人物設定やストーリーは極めてシンプルだが、出演者の圧倒的な存在感によって実に見応えのある作品になっている。特にヒロインを演じるヴィヴィアン・リーはただ美しいというだけではなく、その演技、表情の表現力が本当に素晴らしい。愛くるしいがやや憂いのある笑顔、駅で恋人に再会した時の表情、ラストの死を見つめる眼、いずれも深く印象に残った。それにしても橋という場所は実に映画的な空間だ。

『アイズ・ワイド・シャット』


『愛と死の天使』


『愛と青春の旅立ち』


『愛と追憶の日々』


『愛に関する短いフィルム』 クシシュトフ・キエシロフスキ/1988年・ポーランド

愛を知らない青年と愛を否定する女、孤独な二人が"覗く""覗かれる"という行為を通して交差する。荒唐無稽なシチュエーション、滑稽とも言える愛の形は、キェシロフスキの魔術によって極めて繊細な、哀しくも優しい、愛の寓話となる。青年の一方的な視線が、一つの行為と言葉をきっかけに女の一方的な視線へと逆転してしまう展開の妙。最後はあまりにも"映画的"なシークエンスによって「愛=思いやり」であることが示される。このラストは感動を通り越して衝撃的ですらある。
『愛の嵐』 リリアーナ・カヴァーニ/1973年・イタリア=米

ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングは素晴らしい。でも、ショットにはゾクゾクするような官能性も頽廃美も感じられなかった。いや、それどころか下品な雰囲気さえ漂っている。どうもスキャンダラスな題材の部分だけで勝負しているような、単なるスノッブな文芸エロ映画という気がしないでもない。主演俳優の二人が本作の格調を無理矢理高めているのは確かだと思う(笑)。ダーク・ボガードの目、シャーロット・ランプリングの乳房と鎖骨には欧州的デカダンの香りがプンプン漂う。

『愛のコリーダ』


『愛の亡霊』


『アヴァロン』 押井守/2001年・日本

多層化された仮想世界という設定が面白い。物語の展開は淡白で緩慢。独特の加工によるセピア調の映像が美しい。犬や鳥は勿論、食事の描写がやたら出てきたり、現状がエンドレスに続くかのような終わり方など、毎度お馴染みの押井節が炸裂している。川井憲次の音楽が雰囲気抜群。

『青い珊瑚礁』 ランダル・クレイザー/1980年・アメリカ

ネストール・アルメンドロスの撮影は文句なしに美しいが、物語としてはいまひとつ面白味に欠けている。というのも無人島におけるサバイバルの描写がいちいち中途半端だからだ。これではブルック・シールズのプロモーション映画と揶揄されても仕方がないと思う。実際、彼女の魅力とBGV的な映像美だけで最後まで観れてしまう映画なのだから。

『青い凧』 田壮壮/1993年・中国

激動の中国近代史を背景にしながら市井の人々の生活を見つめていくリアリズム路線の人間ドラマ。次々と変化する政治運動の波に翻弄されながらも強い絆で耐え抜く母子の姿が淡々と抑制の効いた視点で描かれていく。ドラマ自体は実にオーソドックスだ。何と言っても素晴らしいのは映像表現。白いモヤ、焚火による白い煙、食堂に立ち上る白い湯気・・・これらが自然光と見事なマッチングを見せている。それと鮮烈だったのが、年越しを祝う夜の花火の場面。暗闇に点々と浮き上がる色とりどりの堤燈、花火の光が青い画調と相俟って何とも美しく幻想的で忘れ難い。食事のシーンが頻繁に登場するのも印象的だ。静かな余韻が残る佳作である。

『青いパパイヤの香り』 トラン・アン・ユン/1993年・仏=ベトナム

美しい映画でした。ストーリー性をほとんど排除したショット重視の作風で、演出やキャメラワークに独特の様式美がある。同一構図による反復描写、物陰から覗き見るような視点、虫や植物の観察ドキュメンタリー的な接写等々。汗で光る肌や濡れた髪が妙に官能的なのも良い。繊細に組み込まれた環境音や音楽(なんとなく武満徹っぽい)が一体感のある豊かな映画的空間を作っている。パパイヤの意外な調理法が印象に残った。

『赤い河』


『紅いコーリャン』 張芸謀/1987年・中国

極限まで物語性が排除された生と性と暴力の寓話的世界。あらゆる要素を"紅"に象徴させて描いた壮絶なホラ話。無色透明のコーリャン酒を紅く染めてしまう大胆さ、力強い様式美に溢れた構図、硬軟両様のキャメラワークなど、イーモウの偏執的なまでの映像へのこだわり、鋭いセンスが全編で炸裂している。話としての面白味は薄いけれど、映画の本質の第一はイメージにある、ということを雄弁に示している作品だと思う。汗と息遣い、太陽光と風、野性的なエロティシズムなどには『羅生門』からの影響を強く感じさせる。男達が歌うパワフルな唄の数々が印象深い。後半の日本軍の描写は日本人として複雑な気持ちになるけれど、当時の中国における民主化運動を抗日運動に置き換えた監督の検閲制度に対する苦肉の策と捉えれば、本作のいささか度を越した寓話性にも合点がいく。2年後にはあの「天安門事件」が起きるのだから・・・。ラストは、侵略される歴史の繰り返しの中で今日まで存続してきた民衆(家族)の怒りと哀しみの暗喩なのかもしれない。

『赤い靴』 エメリック・プレスバーガー&マイケル・パウエル/1948年・イギリス

色の魔術師と言われたマイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガーによるバレエ映画の金字塔。テクニカラー独特の濃厚な色彩美とヒロイン演じるモイラ・シアラーのバレエに魅せられる作品です。体の動きで全てを表現するバレエですが、モイラ・シアラーの華麗で躍動感のある踊りは、彼女の見事な赤毛と透き通るような白い肌が相俟って恐いくらいに美しい。バレエは全くと言って良いほど興味ない自分ですが、こうしてじっくり観せられると、すごく魅力的に思えてくるから不思議です。また、この作品の最大の見せ場とも言える約17分間に及ぶ劇中バレエ「赤い靴」。通常のバレエに合成やスローモーションなどの特殊効果を融合させた、かなり実験的な映像になっていて、当時はその斬新さゆえにかなり話題になったそうです(今観るとさすがにちょっと古臭い)。ただ踊り自体は素晴らしいですし、目まぐるしく大胆に変化するライティングやその色彩の鮮やかさは十分見応えがあります。最後、ヴィッキーを欠いたまま演じられる「赤い靴」。スポットライトはそこにいる筈だった彼女の場所へと当てられ続ける。切なくも見事なラストシーンでした。

『赤ちゃん教育』 ハワード・ホークス/1938年・アメリカ

常軌を逸したテンションで繰り出される荒唐無稽で支離滅裂なギャグとユーモア。"テンポが良い"なんて生半可な表現では済まされない会話と展開の異様なスピード感にはたじたじ。でも真に驚くべきは、これだけ過激で濃い笑いなのに、まったく下品でもしつこくもなく、むしろ洗練されたスマートな味わいを感じさせさえするという点にあります。そして、その雰囲気を醸成しているのが、主演のケーリー・グラントなんですよね。恐るべきトラブル・メーカーであるキャサリン・ヘップバーン(素晴らしい横顔!)に翻弄され続けながら、川本三郎氏が言うところの"無垢と余裕のサプライズ・ルック"で状況を切り抜けていく彼の颯爽としたクールな三枚目っぷりが、本作をクドさや臭みとは無縁のコメディにしているのだと思います。ラストの表情とセリフなんて本当に絶品でしたね〜。

『赤ちゃん泥棒』 ジョエル・コーエン/1987年・アメリカ

コーエン兄弟のキャスティングはほんと絶妙!ニコラス・ケイジなんて顔そのものが既に一級のコメディしている(笑)。カントリー調の軽快な第九にのせて、こってり色味の映像と滑るようなキャメラワークで展開される疾走感溢れる荒唐無稽コーエンワールド。このリズムは快感ですらある。

『赤ひげ』


『秋のソナタ』 イングマール・ベルイマン/1978年・スウェーデン

近親憎悪を描いた映画ではたぶん最高の一本だろう。ベルイマンの人間に対する眼差しは恐ろしく残酷かつ誠実だ。親子の絆は深く厚い、だからこそかくも激しく徹底的に憎しみ合えるものなのだ、という人間の二律背反性をこれほど見事にあぶり出した作品も稀有だと思う。リヴ・ウルマンと老バーグマンによる身も凍るような素晴らしい演技の応酬。闇に浮かぶ両者のアップショットの凄み。

『秋日和』 小津安二郎/1960年・日本

未亡人となった母と適齢期の娘の物語。法事で始まって慶事で終わるホームドラマ。この親子に何かと世話を焼こうとする3人のオヤジども(佐分利信、中村伸郎、北竜二)が最高。みんな渋くきめてはいるが、やっていることは、スケベ談義とセクハラ発言ばかりというのが笑える。ちなみに会社以外の場所では必ず酒を飲んでいる(小津映画は飲み食いの描写がやたらと出てくる)。ヒロインでは清潔で地味な司葉子よりも活発で陽気な岡田茉莉子の印象が鮮やかに残った。それと来客を案内するOLの役で岩下志麻がちょっとだけ顔を出している(若い!)。最後、娘が去り、独りになってしまった原節子が薄暗い部屋でひっそりと佇む姿が切ない。『東京物語』の笠智衆といい、こういう時間が静止したような異様な美しさを持ったショットに小津安二郎の凄さを見る。

『アギーレ 神の怒り』 ヴェルナー・ヘルツォーク/1972年/西ドイツ

アマゾン奥地という極限状況の中、狂気の妄想に取り憑かれていくアギーレとエル・ドラド探索隊の顛末を描いた作品。自然の厳しさをまざまざと見せつける映像は圧巻で、特に冒頭のアンデス山脈行軍シーンと筏による激流下りは凄まじいの一言に尽きます。俳優はまさに命懸け。ヘルツォーク監督ヤバすぎですって(^^; クラウス・キンスキー演じるアギーレも顔のいかつさと甲高い声で恐いくらいハマってます。ラストシーンのインパクトも強烈でした。

『AKIRA』


『悪魔の性キャサリン』 ピーター・サイクス/1976年・英=西ドイツ

オカルト。邪悪な神父(クリストファー・リーがハマリすぎ)に対抗するのが平凡な中年作家という設定が面白い。しかし何と言っても見所は当時まだ15歳だったナスターシャ・キンスキーの恐ろしいまでの美しさ。生贄にされるのも無理はない。たどたどしい英語が可愛らしさを倍増させている。

『アサシン 暗・殺・者』


『アザーズ』 アレハンドロ・アメナバール/2001年・米=仏=スペイン

視点がユニークなホラー映画。静的な美しさと怖さが同居した映像が素晴らしい。洋館内部の美術も良い。音の演出がヤバすぎる(心臓に悪い)。ニコール・キッドマンの表情の演技、とりわけ目の存在感が凄い。名前がグレースというだけあって髪型や雰囲気がグレース・ケリーに似ている。

『アザー・ファイナル』 ヨハン・クレイマー/2002年・日本=オランダ

サッカーW杯決勝の陰でひっそりと、しかしW杯にも負けない熱気と誇りを持って最下位決定戦に挑む人々がいた。この粋な企画を思いついたのは予選で敗退したオランダのCM監督。世界のどこへでも跳ねて転がっていく真っ白なサッカーボールは自由と平和の象徴に見えた。最後は喝采。

『あしたのジョー』 福田陽一郎/1980年・日本

これはもう説明要らずと言ってもいいくらい有名なボクシング漫画の金字塔ですね。ただ、自分は原作はおろかアニメのTV版すらも観たことがなく、劇場版も既に断片的な記憶しか残っていないという有様(^^; でもその分、新鮮な気持ちで観れたのは良かったです。しっかし昔のアニメはパワーがありますね〜。一歩間違えればただのギャグになってしまう描写を大真面目に語って強引に納得させちゃうところとか(笑)。殴り合いでのド迫力な作画(毎回ジョーはズタボロのボロ雑巾みたいになる^^;)なんてある種感動的ですらあります。またジョーと力石がカッコ良いのなんの!ジョーは独特の色気が漂う目つきがたまらないし、力石はとにかくクールで強くて減量のエピソードが恐い!(笑)で、極めつけなのが丹下段平。彼は日本アニメ史上でも屈指のオヤジキャラでしょう。藤岡重慶さんの声も絶品です。そして今や伝説とも言えるジョーと力石の試合。いや〜シビレちゃいましたよ〜。最後のカウンターパンチの駆け引き!2人の動きが止まって汗が糸を引くあの名場面、そしてトドメのアッパーを放った力石が言うセリフ「終わったな・・・何もかもが・・・」くぅ〜〜〜カッチョいい〜(笑)。まさに男の美学炸裂って感じですね。やはり昔のアニメは観終わった後にドスンと体の芯に響くようなしっかりした手応えが得られるのが良いです。

『あしたのジョー2』 出崎統/1981年・日本

前作の153分に比べて112分と短いせいか、展開がちょっと早過ぎる感があります。特に前半の試合シーンはほとんどダイジェストだったので、かなり物足りなかったです。それに突然登場するノリちゃんという女性にも幻惑されたし(笑)。ヒロインの白木葉子がジョーに告白するところも何だか唐突な感じがして説得力に欠けていたかも(でもここ名場面なんですよね〜もうジョーがカッコ良いのなんの)。最強最後の敵、ホセ・メンドーサとの試合はさすがにじっくりと見せてくれるので、十分堪能できました。ラストでジョーが血の滴るグラブを白木に渡すシーンは鳥肌モノ。そして真っ白に燃え尽きるジョー。ホセも白髪の老人に・・・(笑)。ん〜〜〜何て強烈な幕切れ。結局ジョーは、力石にもホセにも勝てなかった。でも、だからこそ矢吹ジョーというキャラクターはボクシング漫画・永遠のヒーローになれたのかもしれませんね。いや〜何だか「エースをねらえ!」とか「巨人の星」とか「タイガーマスク」等が無性に観たくなってきたなぁ(笑)。

『あじまぁのウタ』 青山真治/2002年・日本

りんけんバンドの照屋林賢と、妻でヴォーカルの上原知子にスポットを当てた音楽ドキュメンタリー。ゆっくりとズームインし、ゆっくりとズームアウトしていく「浦風」のライブ映像。キャメラが唄のリズムと見事にシンクロした心地良いオープニング。ライブとインタビューとレコーディング風景が交互に描かれていくオーソドックスな構成だが、それぞれのパートにちょっとしたこだわりが見られて面白い。まずライブは動きの少ないミドルとアップ中心のキャメラが淡々と真摯な眼差しでパフォーマンスを凝視する。インタビューはガラス越しに捉えられ、そのガラスには背後(つまりキャメラが据えられている場所)でスタッフがせわしなく動く様子が、画面左隅には時計が大きく映り込んでいて、単調になりがちなインタビュー映像に動のアクセントを生んでいる。レコ風景はスタジオにある大きな窓を白飛びさせることで強烈な光が画面を華やかに(ある種神々しく)演出している。沖縄音楽の魅力の一端を知るには格好の作品だと思う。ウタはみな最高。ただ字幕を表示しないとまったく歌詞の意味が分からないというのはちょっとしたカルチャーショックだった(笑)。やっぱり沖縄は日本ではなく、極めてユニークな文化を持った琉球国なんだと改めて痛感させられた。

『明日に向って撃て!』 ジョージ・ロイ・ヒル/1969年・アメリカ

ニューマン&レッドフォードの深刻とは無縁の明るさが好きだ。作品全体の雰囲気も同様で、それが本作の、というよりはロイ・ヒル映画の魅力の本質なんだと思う。レトロチックな演出も含めて(ちょっと野暮ったいのはご愛嬌)。挿入歌「Raindrops Keep Fallin'on My Head」は名曲ですね。

『穴』 ジャック・ベッケル/1960年・フランス

脱獄映画の最高峰という評価は本当だった。無駄を一切廃した脚本と研ぎ澄まされた演出で画面から一瞬たりとも目が離せない。床や壁を打ち砕くだけの音がこれほど緊迫感と凄味をもって耳と心に響いてくる体験は初めてだった。タチの効果音といい、ブレッソンの音へのアプローチといい、フランス映画人の音に対する繊細な感性は真に驚愕に値する。見せ場は脱獄の達人ロランの細かいテクニックの数々と油でピシッと固めた彼のオールバックが作業で激しく乱れるところ(笑)。モノクロの良さを最大限に生かしたストイックな映像美も必見。

『あなただけ今晩は』 ビリー・ワイルダー/1963年・アメリカ

ジャック・レモン&シャーリー・マクレーンの黄金コンビによる艶笑コメディの傑作。何度観たって面白い!もう終始笑いっぱなし唸りっぱなし。頭から尻尾までアンコのぎっしり詰まったタイヤキみたいな映画ですね。話の顛末を知っていながらグイグイ引き込まれ夢中になってしまいます。脚本がとにかく巧みなんです。リズムカルで無駄のない物語運びはまさに職人芸。セリフの細部の面白さ、その旨味を十二分に引き出す俳優たち。こういう映画を観ると欧州映画が単なる気取ってるだけのゲージツ作品に思えてくるから不思議です(笑)。

『アナとオットー』


『アニー・ホール』 ウディ・アレン/1977年・アメリカ

模倣と引用を駆使し、あらゆるコンプレックスを曝け出しながら、あくまで軽妙にペダンティックに恋愛論を語っていく悩める都会人ウディ・アレンの愛すべき小品。サエない容姿から生み出される彼の演出スタイルは、演じる彼自身の情けなさとは裏腹に抜群に格好良い。このセンスには脱帽。

『アニマトリックス』 2003年/アメリカ

マトリックスの世界観をアニメ界のトップ・クリエイター達が独自の切り口で表現した9本の短編オムニバス。以下、各エピソードの短評。

「ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス」 アンディ・ジョーンズ

のっけからエロエロ。ヴァーチャル野球拳ならぬ野球剣か。遂にCGはかくもエロく女体の表現をできるまでになりました、ってなお話です。ん?そうだったっけ???まぁいいか、それで(笑)。

「セカンド・ルネッサンス パート1」 前田真宏

召使ロボットが主人を殺害し、裁判にかけられ、そのTV中継を労働ロボットが昼食(いやこの場合充電なんだけど)をとりながらぼんやりと眺める。ん〜シュールな未来予想図だ。

「セカンド・ルネッサンス パート2」 前田真宏

『マトリックス』で現実の世界の空がなぜ黒く閉ざされてしまったのかが分かります。・・・おバカな人類の壮絶なる自滅行為でした。パワードスーツのデザインにちょっと萌え。

「キッズ・ストーリー」 渡辺信一郎

自力でマトリックスの世界を抜け出した凄い少年のお話。ラフ画タッチの絵が面白い。

「プログラム」 川尻善昭

最高!マトリックスで時代劇アクションとは恐れ入りました。アニメならではのダイナミックな動きと様式美溢れる映像表現がめちゃくちゃ格好良い。シスという女性キャラの造型も実に魅力的で、この短編だけの登場が勿体ないくらい。最後で見せるリプリーばりのセクスィ下着姿に大興奮(笑)。

「ワールド・レコード」 小池健

映像表現や演出がとにかくユニーク。一瞬キャラデザを荒木飛呂彦がやっているのかと思った(笑)。マトリックスの懐深い世界観に感心させられる非常にインパクトのある一篇。

「ビヨンド」 森本晃司

傑作。子供はいとも容易く、ありのままにマトリックスの世界を受け入れることができる。その無邪気で危うい感性をノスタルジックな日本の日常風景の中で展開させた小粋なファンタジー。

「ディテクティブ・ストーリー」 渡辺信一郎

カウビィの監督らしいハードボイルド・マトリックス。黒いパステルで描いたようなモノクロの絵が抜群に格好良い。音楽も当然ジャズ調。渋いっス。

「マトリキュレーテッド」 ピーター・チョン

ロボット啓発セミナーって感じでしょうか。面白いテーマだしデザインも個性的なのだけれど、もろアメコミしたキャラがどうにも馴染めなかった。っていうか、なんであんなに怖いんだろう(笑)。

[総評]

マトリックスと現実世界の狭間で繰り広げられる多種多様な人間ドラマというテーマは凄く面白いし、もっと見てみたいと思った。2クールぐらいのTVシリーズとして展開して欲しいくらい。いやそれだと質が著しく低下するからOVAの方が良いかも。その時はもち押井守も参加するってことで(ない、ない^^;)。やはりお金と手間をタップリかけた2D&3Dのハイブリッド・アニメは凄い、と改めて痛感させられる作品だった。日本語吹替えの出来も素晴らしい。

『アニーよ銃をとれ』 ジョージ・シドニー/1950年・アメリカ

いや〜楽しい事この上なし!"金髪鉄火"ベティ・ハットンのコミカルで豪快な存在感が最高です。曲では色彩豊かなインディアン達との群舞「I'm an Indian too」が白眉。ダイナミックな画面構成も圧巻。

『あの娘と自転車に乗って』 アクタン・アブディカリコフ/1998年・仏=キルギスタン

トリュフォーの『あこがれ』をもっと素朴にしたような爽やかで瑞々しい青春映画の小品。ノスタルジックなセピア調のモノクロ映像に時折挿入されるカラーショットの鮮烈な色彩が良いアクセントになっている。全編カラーだったらマフマルバフの『ギャベ』のような美しい色彩映画になっていたかも。キルギスのロケーションが素晴らしく、丁寧な画面設計と相俟って数多くの印象的なショットが出てくる。それと人々がことごとく日本人そっくりの顔立ちをしていて、とても他人とは思えない親近感を抱いてしまった。何せ主人公の少年は小さい頃の貴乃花(しかも日韓W杯のロナウドみたいな髪型!)っぽいし、近所のオバさんの一人なんて完璧に菅井きんだ(笑)。他にも女版開高健がそこかしこに現れる。日本民族の祖にして兄弟の一つがキルギス人である事は間違いなさそう。それにしても自転車というのは実に映画映えする乗り物だ。連綿と続いていく人の営みを象徴したラストのあや取り(取り方が日本とまったく同じなのが驚き)が秀逸。

『あの子を探して』 張芸謀/1999年・中国

語り口が恐ろしく巧みな感動作。田舎と都会の対比という点は、同監督の傑作『秋菊の物語』を彷彿とさせる。あまりにも良く出来すぎているのが欠点だけれど、子供たちの表情や所作が、本作の持つあざとさを見事に中和している。無垢さとしたたかさ、活き活きと人間らしい子供たちの姿には、計算を超えたリアリティが宿っている。少女ミンジと児童たちの関係性の変容を、白、土色、極彩色と変化していくチョークの色によって象徴させているのが面白い。絶妙のタイミングで流れ出す情緒的な音楽に「卑怯なり!」と思いながらもしっかり泣かされてしまうんですよねぇ(笑)。

『アバウト・シュミット』 アレクサンダー・ペイン/2002年・アメリカ

アメリカ映画らしい笑いとペーソスに溢れた良質の人間ドラマ。作風はサム・メンデスの映像感覚にコーエン兄弟のオフビート感覚を足して二で割った感じ(笑)。今回のジャック・ニコルソンはひたすら抑えた演技に徹している。「永遠のデンジャラス・パーソン」も劇中のシュミットさん同様引退ということなのだろうか。ちょっと寂しい。でも彼が偉大な俳優であることに変わりはない。相変わらず素晴らしい表情と声。それとキャシー・ベイツも忘れ難い。太った裸体を堂々と晒す入浴シーンはお見事。その包容力の大きさはニコルソンのみならず観る者をも優しく温かく包み込んでくれる。
『アパートの鍵貸します』 ビリー・ワイルダー/1960年・アメリカ

くはぁ〜今観ても全っ然古びてないですね。いやホント面白すぎ。会話と小道具、この二つの効果と伏線の張り方がいちいちお見事。呆れるくらい周到です。それと俳優の素晴らしさ!!この作品を観ると如何にジャック・レモンが天才的な役者だったかよ〜く分かります。仕草や表情が恐ろしく細かい、もう病的なくらいに(笑)。シャーリー・マクレーンなんてそりゃあもう筆舌に尽くし難いほど魅力的です(ショートヘアがめちゃくちゃキュート。ジーン・セバーグなんて目じゃない!笑)。映画史上に燦然と輝くラストシークエンス。笑顔でひた走る彼女の横顔にクラクラきました。最高!!

『アビス 完全版』


『ア・フュー・グッドメン』


『アブラハム渓谷』 マノエル・デ・オリベイラ/1993年・スイス=仏=ポルトガル

絶品。北ポルトガルの美しい自然を背景にブルジョワの子女エマの奔放な性と生を慎ましやかなタッチで綴った繊細な人間ドラマ。3時間9分という長尺を緩やかな河の流れのように余裕のある演出でじっくりと見せ切ってしまう手腕はさすが映画界の生き仏オリヴェイラ(笑)、実に鮮やかだ。御歳85(93年当時)でこんな力強い作品を撮るとは、まったくとんでもないジイサマである。直接的な性描写を一切避けていながら、ふとしたショットに鋭い官能性があってドキリとさせられるし、どのショットからも深くて、厚くて、柔らかい感性が見て取れる。とにかく映像が瑞々しい。若い。それでいて滋味に溢れている。これが固定ショットと抑揚のないナレーションが醸し出すピリッと辛い厳格さとの間に絶妙なバランスを生み、冷たさと温かさが同居する何とも奥ゆかしい映像世界を作り上げている。成人後のエマを演じるレオノール・シルヴェイラが素晴らしい。ラテン系美人の感情を抑えた演技にはゾクゾクさせられる。時折見せる狂気を宿した目が印象的だった。まさに本物の巨匠だけが撮り得る映画らしい映画。オールタイムベストの一本になりそう。

『アフリカン・ダンク』 ポール・マイケル・グレイザー/1993年・アメリカ

随分前に観た映画なので内容はほとんど覚えていないけれど、スカウトされる黒人俳優の跳躍シーンと手足の異常な長さだけは強烈な印象として残っている。主演であるケヴィン・ベーコンの姿が全然イメージできないのは何故だろう(笑)。

『アポロ13』


『甘い生活』


『アマチュア』 クシシュトフ・キエシロフスキ/1979年・ポーランド

平凡なサラリーマンが、赤ん坊を撮るために買った8ミリ・キャメラにどんどんのめり込んで、家庭不和を招く、という物語展開や、社会主義体制下における映画撮影の困難さを、工場内の映画クラブというミニマルな形に移し変えて表現したこと、などはほとんどどうでも良いことなのかもしれない。この作品で最も感動的なのは、キャメラを手にした人間が、ありのままの世界を捉えようとする、その素直で無邪気な眼差しそのものにあると思う。『デカローグ』のような殺風景な団地、そこで暮らす人々のささやかな日常、指で作った構図の中の風景がそのまま映画の風景ショットになるところ、映画クラブに集う人達の表情、そういった瑣末な部分の映像にキラリと光るものがある。そしてそれは劇中、主人公が撮る映像とピッタリ重なる。キャメラのレンズを通すことで、普段見慣れていた筈の情景は、違う何か特別なものへと変化する。本作は、その「新しい目」に取り憑かれてしまった男の可笑しくて哀しい記録。こんなに愛おしい映画はそうそうあるものじゃない。傑作。
『アマデウス』


『アマデウス ディレクターズ・カット』


『阿弥陀堂だより』 小泉堯史/2002年・日本

小さな山村を舞台に、様々な命の有りようを淡々と慎ましやかに、美しい四季の風景と共に描いた人間讃歌。小泉堯史は邦画界の良心。地味ながらも丁寧で堅実な演出、映像からは余裕と風格が感じられる。前作同様、美術と照明が素晴らしい。そして北林谷栄。村瀬幸子の感動再び。

『雨上がりの駅で』 ピーター・デル・モンテ/1996年・イタリア

ロードムービー風味のほろ苦い人間ドラマ。全体に流れる淡々とした静かな雰囲気が同じイタリアのエットーレ・スコラの作風を思わせて好感が持てる。悩めるヒロイン演じるアーシア・アルジェントが魅力的。一癖ある美人顔。ミシェル・ピコリのイノセントな表情も絶品。優しい余韻が残る佳作。

『雨あがる』 小泉堯史/1999年・日本

じっくり丁寧に作られた工芸品のように味わい深い作品。映像がとにかく素晴らしく、美術や照明には匠のワザが底光りしている。寺尾聡の静かな存在感、笑顔が素敵な宮崎美子、怒鳴り方がオヤジそっくりな三船史郎、いずれもハマリ役。これが遺作となってしまった佐藤勝の音楽も絶品。ただ血しぶきの演出は余計だったと思う。あの「赤」は観る者の心に「あがらない雨」を降らせるだけだ。

『雨に唄えば』 ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン/1952年・アメリカ

やっぱりミュージカルは最高ですね。観終った後の幸福感は格別ですし、何たって元気が湧いてきます。ジーン・ケリーの体操選手ばりの肉体から繰り出される羽毛のように軽やかで且つ力強いステップ!観てて飽きません。まさに至芸。ドナルド・オコナーの超ハイテンションダンスも捨て難いですが(笑)。そしてヒロイン・デビー・レイノルズのキュートな存在感。彼女の「グ〜〜〜ッモーニン♪」から始まる3人の唄と踊りはミュージカル映画の魅力が端的に表現されている超がつく名シークエンスですね(その最大の見所はレイノルズ嬢の翻るスカートにアリ!いやマジで笑)。ミュージカル史上の傑作であると同時に優れたバックステージ物でありコメディでもある本作はまさにハリウッドが生んだ究極の娯楽映画の一つだと思います。

『アメリカの影』 ジョン・カサヴェテス/1959年・アメリカ

ハリウッド・システムと相反する撮影方法で作られた革新的なアメリカ映画。俳優が明らかに演技をしているにも関わらず、あたかもそれが現実に起こった出来事のように生々しく映し出されているのが凄い。即興による演出と脚本だからこそ生まれる独特の雰囲気が、NYに生きる若者の姿をザラッとした質感と瑞々しさで鮮やかに描き出している。全体的にストイックな印象を受ける作風だが、突然表出する人種問題を、目の表情とアップショットだけの激しいカット割りで表現したシークエンスの息詰まるような緊張感は素晴らしい。チャールズ・ミンガスの乾いたトランペットの響きが、殺伐たる都会の冷たさと見事にマッチしている。80分弱という尺も丁度良い。っていうか、これ以上長いと退屈なだけかも(笑)。ヒロイン演じるレリア・ゴルドーニのチャーミングな笑顔が忘れ難い。

『アメリカの友人』 ヴィム・ヴェンダース/1977年・西ドイツ=仏

ヴェンダースがヒッチコックをやったら?平凡な生活を営む額縁職人が、ある出会いをきっかけに暗殺者へとなっていく。穏やかに、緩やかに、張り詰めた緊張と光の映像美と共に。サスペンスであってサスペンスでないような奇妙な感覚。犯罪物語でありながら、ヴェンダースは優しさと孤独ばかりを執拗に追い続ける。舞台はハンブルグ、パリ、ニューヨーク。いずれも海や河に面している。主な登場人物はドイツ人の主人公、フランス人のマフィア、アメリカ人の詐欺師の3人。彼らを結び付けるのは英語だ。そこに黒い眼帯を付けた贋作画家、老マフィア、殺し屋が絡んでくる。彼らはみな映画作家でもある。主人公にそっと絆創膏をあてがうのはジャン・ユスターシュだったりもする。また主人公ヨナタンは、汽車が動いているように見えるランプの傘、ゾーアトロープ(回転のぞき絵)、ステレオスコープ、つまむとニヤける男の写真などを持っている。彼はキンクスの「僕の心に深く」やビートルズの「ドライブ・マイ・カー」を口ずさむ。ビートルズとハンブルグの縁は深い。そして赤は至るところに存在している。緑や青だって負けていない。ロビー・ミュラーによって切り取られた寂寞感漂う街の風景に、これら原色は、痛いくらい目に沁み込んでくる。この映画には確かに物語がある、でも観ている内にそんなことはどうでも良くなってくる。ただ個々のショットで示される演出と色彩にひたすら浸っていたい。映画は脚本第一なのか?否、断じて否!映画は映像、ショットの美しさにこそ魅力のすべてがある、と感じさせてくれる、これは本当に稀有な作品だ。たった一語で表すなら「格好良い」、この言葉に尽きる。ヴェンダースの中でもひときわ輝きを放つ逸品。

『アメリカン・グラフィティ』


『アメリカン・ビューティー』 サム・メンデス/1999年・アメリカ

どこにでもあるような普通の家庭が徐々に崩壊していく様を描いた作品。初めはコメディタッチな感じで話が進みますが、後半はサイコサスペンスな展開になっていきます。主人公のレスターが仕事にも家庭にも絶望したあげく高校生の美女と寝るためだけに生き甲斐を見出していくというのは、何とも滑稽な気がします。ただそこには、現代のアメリカ社会が抱える暗部、そして人間の愚かさや脆さと言った本質的な負の部分が見えてくるのも確かです。最後、家庭は完全に崩壊し、レスター本人も悲惨な結末を迎えます。が、だからと言って救いようのない暗さかというとそうでもなく、終り方は不思議なほど幸福感に満ちています。レスターが最後に語る言葉も印象的でした。キャストでは道を外す平凡なオッサンを演じるケビン・スペイシーが絶品。あのニヘラ顔だけでもオスカーに値しますね(笑)。アメリカン・ビューティー、ミーナ・スバーリの妖艶なロリータっぷりも良かったです。

『荒馬と女』 ジョン・ヒューストン/1961年・アメリカ

くたびれたモンローの姿が痛々しい。目は虚ろで表情も重く生気がない。笑顔もどこか寂しげだ。ただ、消えんとして光を増す、という言葉があるように本作のモンローは他作品で見せる美しさとはまた違う何か特別な魅力を感じさせるのも確かである。たぶん白黒映像の深い陰影もプラスαとなって作用してるのではないだろうか(モンロー自身はカラーじゃないと自分の魅力が出ない、と言っていたらしい)。奇しくも最後のショットがゲーブルとモンローの遺作であることを暗示するかのように見えるところが切ない。何気ないショットに異様な濃密感が漂う何とも不思議な魅力を持った作品。

『アラビアのロレンス 完全版』


『荒武者キートン』 バスター・キートン、ジャック・ブライストン/1923年/アメリカ

「ほどほど」とか「適当」なんて言葉とは全く無縁なキートンの超絶アクション。後半、「そこまでやるか!」の連続また連続に、興奮、感動、爆笑の嵐。ダム下での釣り、崖の攻防、川流れ、そして奇跡のような滝の救出劇、これはもうコメディというより一大スペクタクルだ。冒頭の凄まじい雷雨とか、馬車列車(?)のあまりにも愉快で出鱈目な描写、これぞ正真正銘のモーション・ピクチャー。

『アリス』 ウディ・アレン/1990年・アメリカ

ニューヨークを舞台にした有閑マダム版「不思議の国のアリス」、或いはお茶目で通俗的な「昼顔」と言っても良いかも。オドオドと自信なさげなミア・ファーローが胡散臭い中国人医師に次々と秘薬を授けられ荒唐無稽な活躍をしちゃうというコメディだが、インテリや上流階級の不道徳な実態を笑いのタネにしてるところが如何にもウディ・アレンらしい。珍しく本人が出ていないと思ったらしっかりミア・ファローのキャラに投影されていた。

『アルカトラズからの脱出』 ドン・シーゲル/1979年/アメリカ

刑務所内の人間模様には興味なし!あくまでも脱獄劇としてのサスペンス・アクションに徹した単純明快な構成と演出が小気味良い。始まるなりホモが登場する可笑しさ、手オノを使ったショック演出、ダミー人形の荒唐無稽さ。クライマックス、思わぬ計算違いから、二重の緊張感を生み出すクロスカッティングも巧い。イーストウッドの洗練された男臭さ。いつだってクールなタフガイ・オヤジ。

『アルファヴィル』 ジャン=リュック・ゴダール/1965年/フランス=伊

ゴダールのSF映画。フィルムノワール的な雰囲気、映像表現はなかなか格好良いんですが、ストーリーはやや退屈。徹底した管理下で生きる人間達が皆ロボット化している様が不気味でした。皆が無表情で「そうです、元気です、ありがとう」と挨拶するのが可笑しくて怖い。

『アルフレード アルフレード』 ピエトロ・ジェルミ/1972年・米=イタリア

コテコテの艶笑コメディ。結婚と離婚を題材にしたコミカルな悲喜劇だが、全体的に妙なテンションの高さというか、雰囲気があるので、その部分に乗れないと楽しめないかも。艶笑ネタがちょっとクド過ぎるのはお国柄か。ただ最後のオチはなかなかブラックな笑いで思わずニヤっとさせられる。主演のダスティン・ホフマンが若々しい。彼は情けないんだけれど女にはモテる、という配役が本当に良く似合う。内気で神経質で背が小さくて、それが母性本能をくすぐるのだろうか。とにかく美女に好かれる。ヒロインのステファニア・サンドレッリも良い。如何にも小悪魔と言った感じのキュートで危うい雰囲気を漂わせた女優で、アゴの割れ具合はジョン・トラヴォルタといい勝負かも(笑)。特に面白くもなければ、つまらなくもないという何とも中途半端な印象だけが残る作品だった。

『ある結婚の風景』


『或る夜の出来事』


『アレクサンダー大王』


『アレックス』 ギャスパー・ノエ/2001年・フランス

消火器で砕き潰されていく人間の顔、無感情にレイプを傍観する長回しの固定キャメラ。暴力が如何におぞましく凄惨なものかを脳裏に焼き付かせる映画だ。点滅する文字、薄暗く荒い粒子の映像、揺れ動き、大きく傾くキャメラ、あらゆる演出が観る者を不快に不安に陰鬱にさせていく。原題の意味は「不可逆」。過去へと遡っていくトリッキーな構成が、やり直しのきかない「時」というものの残酷さをより一層際立たせている。映画的なカタルシスなど一切無いあまりにもヘヴィな作品。モニカ・ベルッチ嬢の裸目当てで観たらエライ目にあってしまいました。ぐすん。

『暗黒への転落』 ニコラス・レイ/1949年・アメリカ

暗澹たる気持ちにさせられる法廷映画。物語の構成がとにかく巧い。被告人の過去が冗長に感じられるほど事細かく、しつこく描かれていく。しかし、その遠回りが、後半の法廷シーンでとてつもなく劇的な瞬間を生み出す布石になっている。見事なタイミングで入ってくるアップショット、その力強さ!そして何よりも"汗"の演出が素晴らしい。犯罪の源泉は劣悪な環境にあり、その環境を作った社会にこそ責任がある、というボガートの怒りの言葉が印象に残る。49年、暗い時代の暗い映画。

『暗殺の森 完全版』


『アンダーグラウンド』


『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記』 ジャン=マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ/1967年・西ドイツ=伊

いわゆる音楽映画であるが、例えば『アマデウス』のような通俗性の強い娯楽作品とはまったく異なっている。ほぼ全編、演奏風景とバッハの妻アンナのモノローグだけで構成されているスタイルは極めてユニークだ。物語性や感情はことごとく排除され、世俗的な生活、近しい者の死といった事柄が、実に素っ気なく淡々と語られていく。これは、あらゆる情緒的な要素をバッハの音楽という器に集約させようとする演出意図なのだろうか。何とも心地良い、穏やかな余韻が残る。時代物でありながら、ドキュメンタリーのような現実感を感じさせる映像も凄い。『バリーリンドン』も真っ青。

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