映画古今東西
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『大砂塵』 ニコラス・レイ/1954年・アメリカ

女同士の対決という設定がユニークな異色西部劇。マーセデス・マッケンブリッジの狂気にも似た悪女っぷりは瞠目に値するが、気高い存在感のジョーン・クロフォードにはさすがに一歩譲るだろう。強烈な意志を感じさせる目と威厳のあるセリフ回し。マッケンブリッジ率いる黒尽くめの男達を、一人、ピアノを弾きながら悠然と向い入れる姿の力強い美しさ。身に纏う純白のドレスは正義と非正義の対立構図をあからさまに際立たせる。しかもそのドレスがリンチによって汚され炎で焼かれてしまうのだから凄まじい。この異様なコントラスト。本作にもニコラス・レイの痛烈な権力批判の精神が宿っている。悲劇性を強調しつつ、あくまで冷静に事態を見守るロングショットが印象深い。主人公ジョニー・ギターは、名前のインパクトとは裏腹に影が薄く、演じるスターリング・ヘイドンの容貌も地味だ。これもアンチ・ハリウッドな作風を好むニコラス・レイの確信犯的な仕掛けなのだろうか。酒場にしては妙に広々とした空間の造形、酒場内部の上階や崖の斜面に作られた小屋を巧みに用いた高低の構図のダイナミズムなどニコラス・レイの作品はいずれも舞台装置が素晴らしい。

『第三の男』 キャロル・リード/1949年・イギリス


『第十七捕虜収容所』 ビリー・ワイルダー/1953年・アメリカ

見事なシチュエーション・コメディ。脚本や俳優たちの演技(アニマル最高!)はまったくもって鮮やかの一言。終始ドタバタ、おちゃらけたムードでありながら、人間に対するシニカルな目線もしっかり垣間見せるところが心憎い。そこかしこに魅力的な小道具が出てくるのもワイルダーならでは。

『タイタニック』 ジェームズ・キャメロン/1997年・アメリカ


『第七の封印』 イングマール・ベルイマン/1956年・スウェーデン


『ダイハード』 ジョン・マクティアナン/1988年・アメリカ


『ダイハード2』 ジレニー・ハーリン/1990年・アメリカ


『ダイハード3』 ジョン・マクティアナン/1995年・アメリカ


『台風クラブ』 相米慎二/1985年・日本


『太平洋の地獄』 ジョン・ブアマン/1968年・アメリカ=日本

米兵と日本兵の愚かで滑稽で汗臭いバトルが展開する怪作。サバイバル物としての面白味やリアリティは皆無。あまりにも強引なオチに思わず目が点になった。ふと「ミステリーゾーン」の「THE ENCOUNTER」(こちらの舞台は屋根裏)を思い出したけれど、面白さでは断然こっちの方が上。

『太陽がいっぱい』 ルネ・クレマン/1960年・フランス=伊


『太陽と月に背いて』 アグニエシュカ・ホランド/1995年・イギリス

ディカプリオのランボーはなかなかに良い感じだけれど、決してハマリ役だとは思えません。それが絶望的に似合っていない口髭に起因することは言うまでもありません(笑)。アブサンをすする姿も今ひとつサマになっていなかったです。とりあえず、童顔で巨乳のロマーヌ・ボーランジェが一番印象的でしたね(^^; ちなみにキャメラはアンゲロプロスの戦友ヨルゴス・アルヴァニティスです。

『太陽の少年』 チアン・ウェン/1994年・中国=香港


『太陽はひとりぼっち』 ミケランジェロ・アントニオーニ/1962年・イタリア=仏

現実的に描写される何でもない映像の中にふっと非現実的な瞬間が現れる。。。そんな不思議な感覚の映画でした。まるでよく見る何の変哲もない日常の風景が断片的に現れては消える夢のような漠然とした世界。物語はあってないようなもの。夏のひととき、モニカ・ビッティと彼女に関わる幾人かの人々との様子が淡々と描かれていくだけです。アラン・ドロン扮するブローカーに出会う株取引所の猛烈な喧騒は作品全体を覆う寂寞とした雰囲気から妙に浮いていて、その異物感はどこか夢特有の不条理を思わせます。話の流れ自体は自然なんですが、妙な唐突さというか違和感が各シークエンスに感じられるんですよね。ビッティが突然アフリカンなメイクと格好で踊り出す場面、夜の住宅地を逃げ回る犬の群れや友人の自家用セスナでのフライト等々。。。そもそも冒頭でいきなりビッティと男の痴話喧嘩を見せておきながら、その行方をうやむやにしてしまう辺りからして夢が作る唐突でいい加減な世界という感じがしないでもありません。でもそれが一見緩慢で退屈に進行していく本作を魅力あるものにしている大きな要因なんですよね。奥行きのある独特の構図とロングを多用したショット、扇風機や自然の風で絶えず揺れているビッティの髪や木々が印象的です(夜風で揺れる細長い鉄柱も忘れ難い)。そしてラスト。ブニュエルを思わせる奇妙で不気味な日常風景の反復、ジャック・タチを思わせる延々と映し出されるモダンで美しい風景描写は強烈な余韻を残しました。

『太陽は夜も輝く』 パオロ・タヴィアーニ/ヴィットリオ・タヴィアーニ/1990年・イギリス


『太陽を盗んだ男』 長谷川和彦/1979年・日本


『ダウン・バイ・ロー』 ジム・ジャームッシュ/1986年・アメリカ

80年代最高のモノクロ映画。ストーリーは『ストレンジャー〜』の方が好きですが、キャスティングとキャメラと音楽は断然『ダウン・バイ・ロー』です。ニューオリンズの街やルイジアナの風景を軽快に横滑りしていくキャメラ、そこに被さるウェイツの「ジョッキー・フル・オブ・バーボン」。冒頭からシビレまくりです。深夜、酒場の前で酔ったウェイツが即興で唄う歌もたまりません(姿勢のだらしなさ加減が素敵すぎる)。こういう酔い方を一度はしてみたいもんです(絶望的に似合わないだろうけど笑)。それにしてもウェイツ&ルーリーという粋な組み合わせにロベルト・ベニーニまで加えてしまう発想の大胆さ!このセンスには本当に脱帽ですね。監獄での「I Scream You Scream We all Scream for ice cream!」の大合唱とかルイジアナの脱走行、夜の森でのやり取り(ベニーニが兎を焼きつつ独り言を呟くところが最高)とかニコレッタ・ブラスキの家での和やかな一夜(ダンスシーンの至福感と構図の妙!)とか印象的な場面は数知れず。"マルクス兄弟以来の強力アンサンブル"ってな評価も伊達じゃ〜ないのです。ラストは映画史に残る名シーンじゃないでしょうか。

『タクシー・ドライバー』 マーティン・スコセッシ/1976年・アメリカ


『たそがれ清兵衛』 山田洋次/2002年・日本

細部にこだわった丁寧な作りの時代劇だが、ストイックな設定に反して語り口がやや饒舌(後日談はその最もたる点)すぎるような気がした。感傷的なドラマに走らず、徹底的に娯楽性を排除した侍ドキュメント風の作品にしていたら物凄い傑作になったかも。勿論日本アカデミー賞は無冠(笑)。

『脱出』 ハワード・ホークス/1944年・アメリカ

シンプルなプロットと限定された空間、だからこそ際立つ俳優の個性。中でもローレン・バコールの存在感が素晴らしい。初登場シーンの流し目と煙草を吸う所作には震えが走った。なんなんだこの格好良さは!ボギーとは勿論のこと、黒白との相性も抜群に良い。これはもうどうしようもないくらいバコールの映画。まったく、完璧なクール・ビューティだ。はっきり言ってベタ惚れです。最高。

『旅芸人の記録』 テオ・アンゲロプロス/1975年・ギリシャ

欧米列強に蹂躙され、利用され、右左両派の内戦をも引き起こしたギリシャ現代史1939年〜1952年、その10年余にわたる惨劇と混沌の歴史を、社会の最小単位である家族(旅芸人一座)の視点から描き、さらに神話を追体験させることによって重層化し、遂には"戦争に翻弄される民衆"という普遍的な人類史へと昇華していく、規格外のスケールをもった映像叙事詩。既存のフラッシュバックを用いず、自在に時代を行き来する大胆な構成、常軌を逸したワンシーン、ワンショットが生み出す超個性的な映像の数々に唖然とさせられる。中でもナチスからの解放〜英軍の介入〜民衆蜂起という内戦にいたる時の流れを、一つの広場と720度パンによる長廻しだけで表現したシークエンスは圧巻。こんなある意味、気違いじみた演出はアンゲロプロスにしかできないだろう。他にも思想対立をカリカチュアライズしたダンスホールの長廻しや、同一ショットの中に異なる年代が同居するといった大技が随所に出てきて映画的な興奮を誘う。本作は徹底的に情緒性を排除した厳しい眼差しに貫かれているが、それ故にアコーディオン弾きの老人が奏でるどこか物悲しいメロディや、座員たちの唄う「ヤクセンボーレ」が心の琴線を刺激する。夕暮れ時、カフェの中から客引きの為に歌い踊り、雪の山道を明るく唄い行く彼らの姿には理屈を超えた感動を呼び起こされる。完成しても上映できる保証などない時代に、4年の歳月をかけ、しかも屋外シーンはほぼ全編曇り空というロケ条件を求めての撮影。その困難と労力と執念は、常人の想像を遥かに超えるものだ。4時間という映画の旅の果てに一座が辿り着くのはファーストショットと同じ場所エギオンである。しかし、年代は1952年から逆行して1939年になっている。大きな苦しみと犠牲を経て、世界はまた元の状態へと戻っていく。歴史は繰り返される、それも愚かに・・・というアンゲロプロスの沈鬱な呟きが聞こえてくるようなラスト。そこには製作当時の政権(パパドプロス軍事独裁)に対する批判精神と、ペシミスティックな現実認識があるように思えてならない。何度観ても新しい衝撃を与えてくれる稀有な作品。映像のコペルニクス的転回。まさにワン・アンド・オンリー。

『旅立ちの汽笛』 アクタン・アブディカリコフ/2001年・キルギス=仏=日本

キルギス映画。徴兵を直前に控えた青年の茫漠とした不安感を、繊細なタッチで綴った青春群像の小品。何か"事"が起きた後も長々とキャメラを据え続ける独特の演出リズム(映像の余韻とでも言おうか)が不思議な心地良さを与えてくれる。随所に現れる詩的な美しいショット。特に月明かりが差し込む窓辺で兄妹がバラの絵を描く場面は素晴らしい。性の象徴としての奔放豪快な大女(まるでフェリーニ!)、顔に大きなアザがある寡黙な女、青年が想いを寄せる金髪のそばかす少女など、多彩な女性たちの存在も本作の大きな魅力の一つ。全編に漂う静かで瑞々しい感性は、ホウ・シャオシェンやビクトル・エリセの世界と似ているかもしれない。紛れもなく傑作だと思う。

『ターミナル・ベロシティ』 デラン・サラフィアン/1994年・アメリカ


『ターミネーター』 ジェームズ・キャメロン/1984年・アメリカ


『ターミネーター2』 ジェームズ・キャメロン/1991年・アメリカ


『ターミネーター3』 ジョナサン・モストウ/2003年・アメリカ

笑いと破壊でストレス解消!なのかと思いきや後半エライ深刻になってしまうシリーズ全5作の第3作目、ってまだ続くんかい!(笑)という冗談はさておき・・・。アクションはド派手にも関わらず何か物足りなさを感じる。旨味が薄い。女ターミネーターはもっと圧倒的な強さを見せて欲しかった。印象という点から言えば歴代最弱かも。それとジョン・コナーはやっぱりエドワード・ファーロングじゃないと。どんな事情があったにせよ、これは絶対に外しちゃいけなかった要素(ある意味シュワちゃん以上に)だと思う。でもまあクレア・デインズの泣き顔が見れたから良しとしておきます(笑)。

『丹下左膳余話 百萬両の壷』 山中貞雄/1935年・日本

昭和モダニズムの香りが息づく軽妙洒脱な時代劇。小津安二郎といい、70年も昔の日本映画にはこんなにも洗練されたユーモア感覚があったのかと驚嘆しきり。まったくとんでもない面白さ!セリフが、ショットが、活き活きと躍動し爽やかな輝きを放っている。巧みな物語構成、省略の妙、鮮やかな伏線、同一構図の反復が生み出す心地良い視覚リズム、粋な小道具の数々、音楽、あらゆる要素が有機的に結合して、一つの完全なる映画世界を構築している。これはもう至福の快楽だ。大河内傳次郎の茶目っ気たっぷりな左膳も絶品。声にアクションに表情に、全身が魅力の塊り。いままで観てきた時代劇、いや邦画、いやいや全ての映画の中でもベストの一本になりそう。

『タンゴ』 パトリス・ルコント/1992年・フランス

優雅な演出と映像ながらも内容や会話がかなりストレートでエゲツないという如何にもフランス映画的なライト・コメディーでした。男の本音がバンバン出てくるので女性と一緒に観るとかなり肩身の狭い思いをする事でしょう(笑)。ルコント作品の常連ジャン・ロシュフォールもチョイ役ですが情けない不能男を淡々と演じていました。ちょっとした時間潰しには最適のロードムービーかも。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』 ラース・フォン・トリアー/2000年・デンマーク


『ダンジョン&ドラゴン』 コートニー・ソロモン/2000年・アメリカ


『ダンス・ウィズ・ウルブズ』 ケヴィン・コスナー/1990年・アメリカ


『ダンス・オブ・ダスト』 アボルファズル・ジャリリ/1998年・イラン

レンガ作りに従事する小さな村の日常を淡々と綴った映像詩。物語性はほとんど無くて、何度か映し出される少年と少女(うわっ美少女!)の視線の交わりが最も劇的な要素と言えるかもしれない。同じショットが繰り返し出てくるのが特徴で、その独特のリズムは韻文詩のような厳密さと様式美の世界を感じさせる。ただ、明らかに何かのメタファーと思われる印象深いショットの数々が、結局意味不明のままだったのが残念だった。象徴的なショットを用いることで、イラン社会が抱える苦悩の本質を抽象化しているということなのだろうか。とりあえず詩的な映像美は一見の価値あり。

『男性・女性』 ジャン=リュック・ゴダール/1965年・フランス=スウェーデン

映画と真面目(?)に戯れながら、ジャン=ピエール・レオに真顔で政治を語らせる別題『マルクスとコカ・コーラの子供たち』。理想としての社会主義=男性、現実としての資本主義=女性という図式が成り立つのだとすれば、痴話喧嘩の末に男を射殺する女や、「結婚してくれ!」との男の言に「時間がないから後でね」と答える女や、トイレの中でキスする男同士といった突拍子もないシーンの数々は、当時の複雑な思想状況をユーモラス(或いは映画的)に象徴化しているのかもしれない。そして、その混沌はドキュメントとフィクションの境界が曖昧になっている本作の作風そのものでもある。章立てされた各シーンは一見、繋がりがないような印象を受けるが、中心部にはゴダールの政治への提言という太い芯がしっかり通っているのが分かる。俳優たちの活き活きした姿や、ユニークな編集は楽しめるけれど、政治色が強いために古臭く感じられるのは致し方ないところか。

『タンポポ』 伊丹十三/1985年・日本

確信犯的ベタな演出に嫌味なくらい食への知識を盛り込んだブニュエル風グルメ・オムニバス・エンターテインメント。伊丹十三のあざとさ、はっきり言って大好きです。食とエロの素敵な関係(笑)。

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