映画古今東西
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『生活の設計』 エルンスト・ルビッチ/1933年・アメリカ


『青春群像』 フェデリコ・フェリーニ/1953年・イタリア

まだネオレアリスモ作家だった頃のフェリーニが自身の故郷リミニを舞台に撮った傑作群像劇。原題は「のらくら」、"乳離れできない仔牛たち"という意味のリミニの格言だそうです。のらくら者たちの"甘い生活"もとい"甘ったれた生活"ってやつですね(笑)。かのキューブリックが愛した作品としても知られています。トボトボと意味もなく砂浜を散歩する5人やカーニバルで乱痴気騒ぎをするシーン(祭りの後の虚しさも含む)などフェリーニらしい描写も随所に見られます。ただリアリズム一辺倒ではなく、人妻を誘惑したファウストが脈アリな時に見せる屈伸運動(かなりマヌケ)や、劇団の座長がホモだと分かり(笑い顔が怖すぎ!)慌てて逃げ出すレオポルド、労働者をからかってたら車がエンストして追っかけ回されたり、とコメディ的な要素もかなり含まれているのが特徴ですね。最後は現状に危惧(但し漠然と)を抱いたモラルドが街を出るべく列車に乗り込みます。その不安に満ちた表情から次々と仲間達の安らかな寝顔が挿入される対比シーンが印象的でした。モラルドと交流のあった少年(駅員)が彼を見送った後、レールの上に乗って楽しげに遠ざかっていくラストが良いですね。音楽はニーノ・ロータですが、かなり地味な感じでした。

『青春シンドローム』 セドリック・クラピッシュ/1994年・フランス

これは面白い。フランス映画らしからぬ活き活きとしたキレの良い青春群像劇です。ヒッピーカルチャーや学生運動と言った潮流が終焉に向いつつあった70年代中頃という時代背景にも惹かれました。主役の俳優たち(男5人)も素直な演技で作品世界に完璧に融け込んでいるのが素晴らしい。あと出てくる女の子がみんな美人でスタイル抜群なのもポイント高いですね(非リアリズムだけれど男としては手放しに賞賛したい笑)。ラストの映像と演出はちょっと忘れられそうにありません。

『青春デンデケデケデケ』 大林宣彦/1992年・日本

60年代、香川県の小さな町を舞台にロック少年達の高校生活をユーモアたっぷり、爽やかに描いた青春映画です。いや〜最高! こういう作品は安心して楽しめますね。主要キャラの5人もそれぞれ味のある個性があって素晴らしいです(特にお寺の御曹司・合田富士男のキャラはグ〜)。映像的にも香川県・観音寺市のロケーションの美しさを筆頭に、主人公のお茶目な妄想を視覚化した大林監督らしいお遊び感覚、そしてお約束とも言える爽やかなお色気シーン(笑)も満載と文句無し。この地方独特の言い回しも良いですね。やはり大林作品はホッと心が和みます。

『青春の殺人者』 長谷川和彦/1976年・日本

衝動で両親を刺し殺してしまう男とそんな男にまとわりついて離れない女の物語。そして、血糊と原田美枝子の巨乳(笑)が瞼に焼き付いて離れない作品でもあります。市川悦子の何かに憑かれたかのような演技、何より声と動きが怖い。夢に出そう。他にもある。父の死体の前で淡々と話し合う母と息子のバックに聞こえてくるお経のような呻き声。水谷豊が母の下腹部へ刃を当てゆっくり押し込むところ・・・まるで泥濘に足を入れた時のような鈍い音。あまりの生々しさに下っ腹がジンジンと疼いた。このジメッと淫靡な作風はさすがATG、さすがスケベオヤジ今平製作と言ったところか。全編に流れるゴダイゴの曲が不思議と作品の暗さを中和していき、ラストの「憩のひととき」に至って遂には爽やかな余韻を残すあたり実に巧いなぁと思ったりもしました。

『聖なる酔っぱらいの伝説』 エルマンノ・オルミ/1988年・イタリア=仏


『西部戦線異状なし』 ルイス・マイルストン/1930年・アメリカ

原作の初期設定とラスト(実に映画的、見事なアイディア!)が変わっただけのダイジェスト版という感じは否めない。原作に描かれていた食糧事情に関する逞しくてユーモラスに富んだ描写が大幅に省略されている分、反戦色ばかりが濃くなっているのもちょっと納得がいかない。ただ戦場映画の傑作であることは間違いありません。フランスと戦争しているドイツ兵が英語を喋って、名前も英語読み、というのはちょっとナンセンスだけど(笑)。豆のスープを貪り食う兵士たちのシーンが印象的。個性キャラ・カチンスキーを演じる俳優が絶品でした。何とも言えない味のある顔。

『世界中がアイ・ラブ・ユー』 ウディ・アレン/1996年・アメリカ


『世界の始まりへの旅』 マノエル・デ・オリヴェイラ/1997年・ポルトガル=仏

移動する風景を後向きのキャメラで捉えた、人生の原点へと回帰していく味わい深いロードムービー。老マストロヤンニが木の枝に挟まった花を掴もうとして届かないショットが印象深い。レオノール・シルヴェイラのセーラー服姿に萌え。

『セックスと嘘とビデオテープ』 スティーヴン・ソダーバーグ/1989年・アメリカ

良い。ウディ・アレンのベルイマン調作品に通じる少し引いた視線で淡々と人間の性心理を描いた大人の対話ドラマ。ビデオというメディアが人間の内面を暴き出すというアイデアも面白い。人のアップショットに味がある映画だ。『クラッシュ』といいJ・スペイダーは静かなる変人が良く似合う。

『セプテンバー11』 2002年・フランス

世界の映像作家11人が9・11テロを題材に11分9秒1という共通の時間枠で描いた短編オムニバス映画『セプテンバー11』を鑑賞しました。以下簡単な所感を紹介したいと思います。

・サミラ・マフマルバフ(イラン)

9・11テロに関する教師と子供たちのやりとりが中東とアメリカの相互不理解、理想と現実の距離を暗示してるかのよう。煙突をビルに例えた映像が秀逸。モウモウと出る黒い煙が恐ろしい。

・クロード・ルルーシュ(フランス)

フランス人監督らしい9・11にまつわる男女の物語。ちょっとホッとできるファニーなお話です。

・ユーセフ・シャヒーン(エジプト)

映画監督とアメリカ軍兵士の幽霊との対話。民主主義の功罪。ラストのアメリカ批判が痛烈。

・ダニス・タノヴィッチ(ボスニア=ヘルツェゴビナ)

舞台はイスラム教徒であるムスリム人の村?劇中では村の女性達による集会、デモが描かれています。イスラム圏におけるウーマンリブは今や世界的な潮流になっているのでしょうか。

・イドリッサ・ウェドラオゴ(ブルキナファソ)

テロよりも日々の暮らし、そしてお金が問題だ!ビンラディン似の男をめぐる少年たちのユーモラスな奮闘記。

・ケン・ローチ(イギリス)

奇しくも同じ9・11に起きた自爆テロとチリの軍事クーデター。後者はアメリカ軍支援によるもので、その死者は前者を遥かに凌ぐという。。。何が正義で何が悪なのか?答えはない。

・アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ(メキシコ)

真っ暗な画面にコーランが響く。9・11テロを報じる各国の言語。テロ現場でのあらゆる音。時折、一瞬だけ挿入されるビルから転落する人間。。。また聞こえてくるコーランの響き。やがて画面が白一色に染まり「神の光は我々に道を示すのか、それとも目をくらませるのか」という言葉が表示される。11本中最も衝撃的な作品でした。

・アモス・ギタイ(イスラエル)

テロが日常と化した街ではそれを報道する番組も「くだらない情報番組」になる。

・ミラ・ナイール(インド)

9・11以後、ニューヨークに住む良識あるイスラム教徒たちの苦しみは想像を絶するものでしょう。

・ショーン・ペン(アメリカ)

陽のあたらない部屋に住む妻を亡くした孤独な老人の話。ラストで唸りました。そうきたか!

・今村昌平(日本)

蛇人間の寓話。大東亜戦争を批判することで戦争の大義名分という国家の独善を弾劾する。

監督それぞれの独自の視点から戦争やテロ、そして民族や宗教について考察され表現されているとても示唆に富んだ濃い〜短編集でした。


『セブン・イヤーズ・イン・チベット』 ジャン=ジャック・アノー/1997年・アメリカ


『セレブリティ』 ウディ・アレン/1998年・アメリカ


『セロ弾きのゴーシュ』 高畑勲/1982年・日本

音楽を媒介に、人間と自然の共存関係が、ユーモラスに、優しく、詩情性豊かに描かれていく、ほのぼのとしたファンタジーの小品。丁寧に描かれた水彩画のような淡い背景が、作品の牧歌的な雰囲気を一段と引き立てていて素晴らしい。ベートホーヘンさんの「田園」もよくマッチしています。

『戦火のかなた』 ロベルト・ロッセリーニ/1946年・イタリア


『戦艦ポチョムキン』 セルゲイ・M・エイゼンシュテイン/1925年・ソ連


『戦国自衛隊』 斉藤光正/1979年・日本

この作品、小学生の頃にTVで放映されたのを観てすごく興奮した記憶があるのですが、大人になってからの視聴で改めて感じたのは、その構成の巧さ。最初は自衛隊員それぞれの思惑によって起きる出来事の数々を順を追って描いていき、やがて隊内が二派に分かれて抗争し決着が着くまでが前半部。そして、一つにまとまった部隊が、戦国大名・長尾景虎と手を組み、天下取りの為の戦いを始めるのが後半部。自分のイメージとしてあった『戦国自衛隊』は、この後半部によるところが大きいらしく、全編戦いばかりだと思っていたみたいですね(笑)。だから自衛隊員の小エピソードで構成された前半部がとても新鮮で楽しめました。それにしても、主演の千葉真一と夏八木勲は濃ゆいです。2人が仲良く戯れるシーンでは、バックに爽やかな音楽が流れるのですが、映像とのあまりのギャップに思わず笑ってしまいました。フンドシ姿も似合いすぎ(笑)。設定の強引さや荒っぽい展開を逆手にとるかのような吹っ切れた豪快さがこの作品の魅力ですね。

『潜行者』 デルマー・デイヴィス/1947年・アメリカ

ヒッチコックを彷彿とさせるフィルム・ノワール。主人公の主観で延々展開していくキャメラワークや表現主義的な映像など全編に漂う不気味な雰囲気が良い。ボギーの顔がいつまで経っても出てこない(スター主義を逆手に取った演出?)、その代わりにクセのある脇役が次々と登場して楽しませてくれる。ローレン・バコールはちょっと地味すぎたかも。結末が強引で甘ったるいのも残念。

『戦場にかける橋』 デヴィッド・リーン/1957年・アメリカ

ジャングルの奥地に橋を架けるというスペクタクル性も魅力ですが、やはり何と言っても強烈なのは登場人物達の個性。強固な信念と紳士然とした物腰が如何にもイギリス人的なニコルソン大佐(つまりは監督の分身?)、独裁者のような態度を取りながらも内面は繊細な斎藤大佐、柔軟性があり抜け目がなく軽薄(笑)なアメリカ兵シアーズ、傍観者の立場を取る軍医クリプトンと、それぞれが絶妙に絡み合って物語は進行していきます。最初は水と油だった斎藤とニコルソンの両大佐が最後の方では奇妙な友情で結ばれてしまうところが好きですね。ラストにおける痛烈な戦争批判も「単なる娯楽映画では終らせないよ」という監督の強い意志が感じられます。それにしても皮肉な結末。このある意味屈折したユーモアはイギリス人であるデビッド・リーンならではの感覚なのかもしれません。それと気になるといえば作中での日本軍の描写。ひたすら無能な集団しているわ、英語訛りの日本語は喋るわで・・・。唯一まともそうな斎藤大佐でさえ戦地なのに着物姿、しかも司令部の中には掛け軸が・・・(^^: 日本人としては思わずオイオイとツッコミたくなるような描写があるところもこの作品の魅力の一つと言えるでしょう(ほんまかいな)。個人的にはビルマ人女性が水浴びしているシーンで、発見した日本兵が「お〜い、こっちこいよ〜」と豪快な英語訛りで呼びかけるところが一押しです(ここは恥ずかしさよりも怒りよりも可笑しさの方が数段勝ります笑)。

『戦場のピアニスト』 野村芳太郎/1974年・日本

全壊したワルシャワの街を彷徨する主人公。凄まじい生への執着。その姿に大国に陵辱され翻弄され続けてきたポーランドの歴史そのものが重なる。エイドリアン・ブロディの感情を抑えた演技が放つ凄味、ジャムを舐めた時の表情も忘れ難い。でも本当に心の芯まで響いてきたのはショパンの音楽だけだった。その原因は言うまでもなく"言語"にある。言葉のリアリズムは必要だと思う。

『全身小説家』 原一男/1994年・日本

癌に冒された、死にゆく作家・井上光晴を追ったドキュメンタリー。井上は語る、小説を書くというのは嘘を付くことだ、そして記憶の取捨選択によって綴られる自伝もまたフィクションなのだと。ならば、映像ドキュメンタリーも所詮は恣意的なものであり、製作者の意図によって撮られ編集される点においてフィクションなのかもしれない。本作は現実と虚構、ドキュメンタリーとフィクションの間を行き来しながら、井上の嘘八百の人生を容赦なく暴き出していく。そこには人間と世界の本質を逆説的に捉えようとする、原一男のしたたかな眼差し、そして、厳しくも深い愛情が存在している。

『戦争のはらわた』 サム・ペキンパー/1975年・西ドイツ=英


『センチメンタル・アドベンチャー』 クリント・イーストウッド/1982年・アメリカ

まるでジョン・フォードの『捜索者』を想起させるオープニング。でもジョン・ウェインのように堂々とではなく泥酔状態で現われるイーストウッド(笑)。ストーリーはいたって平凡ですが、人間味とユーモアに富んだ語り口、名人芸としか言いようがない演出力で、実に見応えのあるロードムービーになっています。息子のカイル・イーストウッドが良いですね。いつもはタフガイのイーストウッドが肺病で酔っ払いで運転がヘタなのも全ては息子を立てるための親バカ的な配慮と言えなくもありません(笑)。最後に自らの死を看取らせるというのも強烈です。劇中では叔父と甥になっていますが、その緊密な関係の描き方はまさに親子そのものでした。二人の会話をアップショットで延々と映し出す夜のドライブ・シーンにはオヤジの愛が溢れていましたねぇ。この濃密な時間があるからこそ、死にゆくイーストウッドの非常にあっさりとした描写がかえって胸を打ちます。本作は2時間以上の尺で雰囲気もノンビリしていますが、こうした簡潔さ(娼館のシークエンスなんて心憎いばかり)が随所にあるので、作品全体としてのバランスは絶妙と言っても良いかもしれません。傑作。

『セント・オブ・ウーマン 夢の香り』 マーティン・ブレスト/1992年・アメリカ


『千と千尋の神隠し』 宮崎駿/2001年・日本


『セントラル・ステーション』 ヴァルテル・サレス/1998年・ブラジル


『千年女優』 今敏/2001年・日本

古き良き邦画とその時代を彩ってきた女優たちへの強烈なオマージュに溢れたアニメ。現実と回想のけじめがつかないトリッキーな画面演出は如何にも『パーフェクト・ブルー』の今敏らしい。ヒロインもなかなかに魅力的。でもいかんせん題材が地味すぎるような気がする。監督の個人的な思い入れが強く反映されすぎているせいか、すんなり作品に没入することができなかった。ただ最大限オマージュを捧げつつ、一方では残酷で冷めた視線もあったりするのが本作の食えないところで、ヒロインの最後の一言も「あ〜やっぱりそういうことなのね」という程度のものではあったが、安易なロマンティシズムでは終わらせない監督のシニカルなメッセージはある種痛快だった。黒澤明の『蜘蛛巣城』の妖怪老婆みたいなのが出てきたり、ラストシーンのパロディ(無数の矢が顔の横に刺さる)などが印象的に描かれる。他にも名作邦画のパロディがあるのかもしれない。

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