映画古今東西
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『幸福の黄色いハンカチ』 山田洋次/1977年・日本

いわゆるロードムービーなんですが、前半は武田鉄也(若い!)と桃井かおる(クセが強い!笑)、そして健さん(渋い!渋すぎる〜)の3人による北海道珍道中と言った感じのコメディー色が強い話、後半は健さん扮する謎の男の過去が徐々に明かになっていき、物語が意外な展開を見せていくという具合です。最後はモロにお涙頂戴なんですが、しっかりホロッときちゃいました(笑)。まぁタイトルが豪快にネタバレなんですけどね(^^; 良くも悪くも日本的な感性が滲み出ている作品でした。

『JFK 特別編集版』 オリヴァー・ストーン/1991年・アメリカ


『シェルタリング・スカイ』 ベルナルド・ベルトルッチ/1990年・イギリス

ロッセリーニの『イタリア旅行』ならぬベルトルッチの『アフリカ旅行』といった感じでしょうか(ただし終盤の展開はまったくの別物)。砂漠や異国情緒たっぷりなモロッコの街並みなど北アフリカの美しい情景がこれでもかってくらい映し出されますが、それに比例して飢餓と疫病と蝿(マルコビッチの顔面にビッシリこびりついた蝿!)が猛威を振るうアフリカの暗部も容赦なく描かれているところが凄まじいですね。キャストではデブラ・ウィンガーが圧倒的に素晴らしい!もう見事な演技っぷりと色気です。彼女がアフリカの雄大な風景の中を散歩するシーンのうっとりするような映像空間も特筆に値しますね。存在感ありまくりな光の捉え方や室内の大胆な照明効果などストラーロ節も随所で楽しめました。巨匠の風格を存分に満喫できる良作です。しかし、いくら開放的だからといっても、荒野のど真ん中で必死に腰を動かすジョン・マルコビッチはちょっと微妙でしたねぇ(先に『マルコビッチの穴』さえ観ていなければこの場面でお腹を抱える事もなかったろうに・・・)。

『式日-SHIKI-JITSU-』 庵野秀明/2000年・日本

曖昧な生と死の境界線でもがく女性の魂の再生を描いた前衛映画。内容的には相変わらず庵野秀明の独り善がりが炸裂している感じ。セリフはどうにも陳腐だが、映像は一種独特の魅力を放っている。ただ寺山修司の二番煎じは否めない。山口県宇部市のロケーションが一番の見所かも。

『地獄の剣豪 平手造酒』 滝沢英輔/1954年・日本

かなり凄味のある題名なんですが、いわゆるチャンバラ娯楽の痛快さや爽快さはなく、人間ドラマに重点が置かれているのが特徴で、悲劇の剣豪・平手造酒の破滅的な後半生が愛憎の葛藤を交えながら描かれていきます。平手役の辰己柳太郎はいまいち迫力に欠けているけれど、彼に連れ添う天涯孤独の女を演じる山田五十鈴が艶やかな存在感を見せてくれます。ニヒリスティックな作品に一陣の爽風を吹き込んでくれる宇野重吉の浪人も忘れ難いですね。

『地獄の黙示録』 フランシス・フォード・コッポラ/1979年・アメリカ


『地獄の黙示録・特別完全版』 フランシス・フォード・コッポラ/2001年・アメリカ

圧倒的!ただただ凄まじいの一言に尽きる映像体験でした。冒頭、ナパーム炸裂と共に流れる「ジ・エンド」から既に鳥肌。シネスコの巨大スクリーンで展開される騎兵隊(戦闘ヘリ)の襲撃シーンは戦争の恐怖を擬似体験させると同時にある種(不謹慎極まりないですが爽快とも言える)のカタルシスを与えてくれます。CGでは絶対に味わえない本物だけが出せる迫力、このシーンに限らずですが、まさに映像が生きてるんですよね。新たに追加されたシークエンスで特に目立ったのは4箇所。1つ目はキルゴア中佐がベトナム人親子を助ける場面。サーフィンとワグナーとナパームの香りを愛し、勇敢で敵に容赦無く弾を恐れないカリスマ軍人がふと見せる人間的な面、この矛盾はつまりはアメリカ軍(または全ての軍隊)そのものの矛盾に通ずるという皮肉なメッセージになっていて秀逸です。2つ目はウィラード一行が墜落したバニーガールのヘリに遭遇する場面。全体的にユーモラスな感じですが戦場では性の対象でしかない女性の悲哀も描かれ派手なプレイメイトショーとは違った意味で印象に残りました。激しいスコールの中、狭いヘリ内部で男女が絡み合う様はかなりエロティックです。そして3つ目。米軍最後の拠点を過ぎいよいよカーツの王国へと近づきつつあった一行が深い霧を抜けた後に迷い込むフランス植民農園の場面。白い邸宅と淡い自然光はまるで地獄の中に突如出現したユートピアを思わせますが、招かれた晩餐会では終始政治的な話が展開されます。「ベトコンを生んだのはアメリカ自身ではないか」と言うフランス軍人の言葉は現在のビンラディン問題に関するアメリカへの否定的意見にそのまま繋がってくるのが興味深いです。個人的に嬉しかったのがオーロール・クレマンの存在。「パリ、テキサス」同様色っぽいフランス訛りの英語にウットリ(笑)。しかも素晴らしい肢体まで披露してくれます。ウィラードが彼女の体に手を触れようとするところでフェイドアウトする演出がこのシークエンスの幻想性をより強調していて見事でしたねぇ。この後くる悪夢的なカーツ王国のシークエンスを前にホッと一息つけました。最後の4つ目はカーツがウィラードに話しかける場面。通常版では暗闇に潜み全体像や表情が分かり難かったカーツですが、このシーンは昼間なのでカーツの姿や表情もハッキリ見えます。ここで彼が話す内容は他で語る抽象的な言葉とは違い戦争に対する考えやアメリカ批判など具体的なもの。しかも後ろには無邪気に笑う子供達が大勢います。このシーンによって通常版ではそれこそ本当の狂人にしか見えなかったカーツ像がより理性的で身近なものに感じられました。つまりアメリカとアメリカの行なう愚かな戦争に絶望したカーツは自分自身が狂った支配者(まるで鏡に映るアメリカ政府の如く)となる事でアメリカの欺瞞をアメリカ(劇中ではあくまで軍上層部に止まりますが)に知らしめようとしたのではなかろうか、と。コッポラ監督によるアメリカ批判は恐ろしく痛烈です。勲章を大事に保管するカーツはアメリカ軍人たる自分に誇りも持っていた。彼の奇行がアメリカを愛するが故のものだとすれば彼が暗殺者による死を望み王国を爆破するよう密かに願っていたこともある意味理解できるような気がします。戦争と人間とアメリカをとんでもない物量を投じてあからさまに描いた壮大で狂気に満ちた映像絵巻。この映画の存在自体が奇跡ですね。

『シザーハンズ』 ティム・バートン/1990年・アメリカ


『シーズ・オール・ザット』 ロバート・イスコヴ/1999年・アメリカ

アメリカ・ティーンズ映画の超定番、プロムを描いた青春ロマンスで、しかもダサイ女の子がキュートに大変身!という笑っちゃうくらいにベッタベタなお話。こういう作品はキャスティングの良し悪しで全てが決まると言っても過言じゃない。その意味でヒロイン演じるレイチェル・リー・クックを始めとする主要キャラたち(特に父親ケヴィン・ポラックと弟キーラン・カルキンが良い)は、いずれも魅力的で、すんなり映画を楽しむ事ができた。ただ、黒ブチ眼鏡とヤボな服でイモ女の出来あがり!という"お約束"はあまり機能していない。そもそもレイチェル・リー・クックはちっちゃな体と顔、そして瞳の存在感(タレ目でクリッと大きい)が凄いので、前述の小細工だけでは全然ブサイクに見えない。それどころかとても可愛い。勿論変身後のキュートさも尋常じゃないのだけれど、その点ではちょっと設定に無理がある、と言えなくもないかも(ここで一瞬ドリュー・バリモアだったらという考えが頭をよぎる)。まぁそんな些細なことはこの際どうでもイイか。でもこれだけは言いたい。変身後の笑顔よりも、ショートヘアよりも、赤や黒のドレスよりも、変身前のスクール水着でちょっと不機嫌そうに浜辺で読書をするレイチェルの姿に萌え(笑)。

『史上最大の作戦』 ケン・アナキン、ベルンハルト・ヴィッキ、アンドリュー・マートン、エルモ・ウィリアムズ/1962年・アメリカ


『静かなる決闘』 黒澤明/1949年・日本

野戦病院での手術中、患者から梅毒をうつされた青年医師が婚約者に事実を言えずひたすら悩み苦しみ己の欲望と闘うという人間ドラマです。梅毒というと如何にも前時代的な古いイメージに結び付きますが血液感染や性交感染する点からエイズに置き換えてみると立派に現代性を持った作品になるんですよね。話は終始病院内で展開されるため密室劇のような息苦しさ、緊迫した雰囲気が全体を覆ってます。しかも外は雨ばかり。。。これら重いテーマに追い打ちをかけるような演出が強烈です。主要人物は5人と少なめですがいずれも見事な造形で、特にダンサー上がりの見習い看護婦はキャラの魅力もさることながら演じる千石規子さんの存在感も素晴らしかったですねぇ。インテリで二枚目で聖人然とした三船敏郎はちょっと(かなり?)違和感ありましたが(^^;

『七年目の浮気』 ビリー・ワイルダー/1955年・アメリカ

いやいやいや、さすがは名人ワイルダー!しこたま笑わせてもらいました。台詞の面白さ、中年男(トム・イーウェル最高!)の妄想につぐ妄想、エアコン、引き出しの鍵、本、ボートの櫂、椅子などの道具の生かし方、コメディ映画を形作るありとあらゆる部分に巧みな職人芸を感じさせます。モンローもチャーミングなお色気爆発。これまで観てきた作品の中では文句なしに一番魅力的でした。あの超有名なスカートがめくれ上がるシーンは全身ではなく下半身のみが映されるショットだったんですねぇ。

『実録 阿部定』 田中登/1975年・日本

強烈!とある旅館の薄暗く狭い部屋の中で男と女が寝て、飯を食べ、酒を飲み、ふざけ合う姿を延々と映し出した映像。人間の欲望の何たるかを真っ正直に晒していきます。深すぎる男(吉蔵)への愛情が女(定)に狂気の独占欲を持たせ、それが遂には殺し、そして局部の切断という衝動を生む。自分には到底理解できない世界ですが、それだけにどこか興味を引かれる部分があるというのも確かですね(切られるのは勘弁ですが・・・爆)。

『シティ・オブ・エンジェル』 ブラッド・シルバーリング/1998年・アメリカ


『シテール島への船出』 テオ・アンゲロプロス/1983年・ギリシャ=伊

老夫婦の神話的(あるいは精神的)な愛という「虚構」と、現世的(あるいは肉体的)な愛という「現実」、二つの世界が入れ子のように重なって展開していくアンゲロプロスならではの一味違ったメロドラマ。物語の悲劇性にドップリ浸かるのではなく、一歩引いたスタンスが取れる「仕掛け」を作ることによって、悲劇の裏にある革命の挫折と国の堕落(これらは「食事は済んだ?」や「腐ったリンゴ」という言葉にも象徴されている)を浮き彫りにしようとする監督の冷静さが心憎い。老夫婦を演じるマノス・カトラキスとドーラ・バラナキ、二人の表情と佇まいが圧倒的に素晴らしかった。妻が最後に発する言葉の重み、降り続ける雨の青さ、アフロディテの島シテールへと旅立っていく沈黙と静寂と霧のラストシーン。この作品には感情移入も共感も許されない、孤高の厳しさ、美しさがある。

『自転車泥棒』 ヴィットリオ・デ・シーカ/1948年・イタリア


『シド・アンド・ナンシー』 アレックス・コックス/1986年・イギリス


『死ぬまでにしたい10のこと』 イザベル・コヘット/2003年・カナダ=スペイン

女性版『マイ・ライフ』。静的なキャメラワーク、繊細な演出には好感が持てるけれど、死を宣告されたヤンママが不倫に走るというのは、女性の本質的な感性がなせる行動と言って感心するべきなのだろうか?それとも・・・。レオノール・ワトリング目当てで観たら彼女はチョイ役、でも、ヒロインのサラ・ポーリーが素晴らしい演技を見せてくたので全然損した気分にはなりませんでした。

『市民ケーン』 オーソン・ウェルズ/1941年・アメリカ


『至福のとき』 張芸謀/2002年・中国

「凡庸な真実よりも綺麗な嘘のほうが、しばしば人生には必要である」とは開高健の言葉。本作はこの至言が痛いほど身に沁みる切なくも人情味溢れる映画だ。ストーリーや演出はどちらかと言えば通俗的で、人物造形もかなりあざとい。なのにクライマックスでの展開の巧妙さたるや、ここで泣かねば人に有らずと言わんばかり。そしてしっかり涙腺ダムが決壊させられる自分(笑)。まったく『あの子を探して』といい、この辺りの巧さが実に心憎いというか癪にさわる(^^; 近年におけるイーモウの作風の変化には驚かされるばかりだ。良くも悪くもハリウッド的演出術を身に付けた器用でアクのない映画作家になってしまったということなんだろうか。初期作品のファンとしては少し複雑な心境である。それにしてもヒロイン演じるドン・ジエの美しさには参った。彼女が見せる数少ない笑顔はそれだけで本作を観た甲斐があったと思わずにはいられないくらい素晴らしい。おかげで最初に感じた「不幸な盲目の美少女なんて設定からして狙いすぎだし厭らしい」などという考えはどこかへ吹き飛んでしまった。コン・リーといい、チャン・ツィイーといい、チャン・イーモウの女優を発掘する"眼"は本当に大したものだと思う。ところで、もう一人の主人公である中年男、これが笑っちゃうくらい綿引勝彦にそっくり。しかも仲間の一人に岡田斗司夫までいる(笑)。

『シベールの日曜日』 セルジュ・ブールギニョン/1962年・フランス


『シャイニング』 スタンリー・キューブリック/1980年・イギリス


『シャイン』 スコット・ヒックス/1995年・オ−ストラリア


『ジャッキー・ブラウン』 クエンティン・タランティーノ/1997年・アメリカ

いや〜これはもうタランティーノ監督のスパイスが効きまくった痛快作ですね。ただ前作『パルプフィクション』ほどのインパクト、面白さには及ばなかったかな〜というのが素直な感想。大金を巡って様々な人物の思惑が複雑に絡み合う展開はとても巧みなんですが、「パルプ〜」のように異なるエピソードが大胆な構成によってラストへと繋がっていくあの鮮やかさに比べるとやはり見劣りするし、何と言ってもキャスティングの点で負けてると思うんですよね。あっでもパム・グリアーとサミュエル・L・ジャクソンの2人は例外です。パム・グリアーは『マーズ・アタック』では単なる普通のオバさん(笑)にしか見えなかったのに、本作での格好良さときたらもう見間違うばかり!タバコを吸う姿がこんなに様になってる女優って久しぶりに見ましたね。また劇中で青、白、赤、黒と次々に変わる衣装にも監督の愛がひしひしと感じられました(特に黒のスーツ姿がクール)。サミュエル・L・ジャクソンはやはり存在感が凄かったですね(冒頭の銃のうんちく語りが最高)。その他にも飄々とした演技が渋いロバート・フォスターや如何にも頭の悪そうなヤク中ビッチを演じるブリジット・フォンダも捨て難い魅力が・・・って、あれ?じゃあキャスティング良いんじゃ・・・いや違〜う!一人だけ不幸な俳優が・・・その名はロバート・デ・ニーロ。そのあまりにも不甲斐ないオヤジ振りにファンである自分は観ているのが辛かったです。いくら役柄がそういうキャラだからと言ってもオーラまで消し飛んでしまっているのだから酷い。「パルプ〜」ではハーベイ・カイテルにあんなクールな役をやらせてるのに、デ・ニーロがこんな役なんてあんまりじゃないかクエンティン!デ・ニーロ本人は楽しんで演っているのかもしれませんが、ファンとしては納得できませんでした。まぁ、結局のところ、この一点のみがキャスティングに納得のいかない理由なのであります。あくまで「パルプ〜」との比較なので、一本の映画作品としてはとても満足のいくものでした。音楽も相変わらず素晴らしかったし。

『沙羅双樹』 河瀬直美/2003年・日本

何か実存主義的な視点を感じさせるドキュメンタリー・タッチの人間ドラマ。ミニマルな空間の中でゆったりと流れていく時間が心地良く、環境音と自然光、ストイックな演出が静かな緊張感を生み出している。奈良の街並み、路地、薄暗い旧家。物語というよりは、情景詩のような趣がある。個人的にはとても好きなタイプの映画。ただ、登場人物たちの抑圧された内面が解放される「バサラ祭」の踊りが力強さに欠けていたのは残念。副次的な役割である筈の雨が主役になっちゃっている。

『Shall we ダンス?』 周防正行/1996年・日本


『シャロウ・グレイブ』 ダニー・ボイル/1995年・イギリス


『ジャンク・メール』 ポール・シュレットアウネ/1996年・ノルウェー


『シャンドライの恋』 ベルナルド・ベルトルッチ/1998年・イタリア


『ジャンヌ・ダルク』 リュック・ベッソン/1999年・フランス=米


『ジャンヌ・ダルク裁判』 ロベール・ブレッソン/1962年・フランス


『上海から来た女』 オーソン・ウェルズ/1947年・アメリカ

馬車に乗ったブロンド美女に導かれ、人間の暗黒面へと足を踏み入れてしまう善良な男を描いたフィルム・ノワール。編集段階で1時間もカットされたというだけあって話はどこかチグハグしているけれど、天才ウェルズの面目躍如たる映像表現の冴えは随所に見られる。表現主義的な構図、アップショットの多用、パン・フォーカスによる奥行き感抜群の背景、極端な俯瞰とローアングル。水族館で逢引する男女(逆光で捉えられている)の背後から巨大なタコが浮き上がってくるショットや、崖上で対峙する男二人の背後で煌く海、クレイジー・ハウスの中を彷徨うシュールなシーンなど、主人公の不条理な境遇を象徴的に現した異様な映像の数々が面白い。ちなみに最後のマジック・ミラーの場面はウディ・アレンの『マンハッタン殺人ミステリー』でまるごとパロディされている。

『上海特急』 ジョセフ・フォン・スタンバーグ/1932年・アメリカ


『秋菊の物語』 張芸謀/1992年・中国=香港


『シュウシュウの季節』 ジョアン・チェン/1998年・アメリカ

これは男としてすごく観ていて辛い作品でしたねぇ。牧歌的な映像の美しさや穏やかな雰囲気が心地良い前半の様子が一転して悪夢のような展開になる後半。このギャップが実に強烈です。最初は文化大革命と深い関わり合いがある物語だと思ったのですが、これは違いますね。確かに文革の影響でおきた悲劇ではあるのですが、自分が感じたのは、監督による痛烈な男性批判です。後半、シュウシュウは帰郷したいが為に次から次へと男達に体を許してしまいます。でも彼女が何故そこまでしなくてはならなかったのかを深く掘り下げて描こうとはせず、ただひたすら男達に無抵抗に弄ばれる彼女を映し出していくだけなんですよね。とにかく徹底して男(大人の)を醜いものとして描いているように感じられました。唯一彼女に対して本物の愛を捧げるのが去勢された「男」ではない「男」である老金だけというのが、何とも皮肉です。最後、シュウシュウは死を選びます。でも本当にそれしか選択肢はなかったのでしょうか?これが実話を元にした話でないのなら、このラストは惨すぎる。これではあまりに絶望的で救いが無いような気がします。シュウシュウ役のルールーという女優は、本作が本格的なデビュー作品だそうですが、瑞々しい演技と存在感で、ちょっと若い頃の小林聡美が重なりました。老金役の男優はまんま正道会館の角田信朗してます(笑)。

『修道女』 ジャック・リヴェット/1966・フランス

外界から隔絶された世界に否応無く押し込められてしまった少女の抵抗の日々を描いた寓話的な悲劇。ドラマティックな感情を排した厳格な演出、ほとんど室内だけで展開していくスタイルが、恐ろしいまでの重苦しさと息苦しさを生んでいる。修道院という名の牢獄で悶え苦しむアンナ・カリーナの鬼気迫る演技。その虚ろな瞳に被さる深い二重瞼は、ジワジワと少女の絶望感を観る者の心に沁み込ませていく。方針の全く異なる二つの修道院の対比、そのどちらも受け容れない少女によってあぶり出される宗教の欺瞞性。しかも自由を求めて外界へ飛び出したその先にもやはり自由はないのだ、という痛烈な皮肉に満ちたラスト。「人の世の不条理という条理」に溜息が漏れる。

『十二人の怒れる男』 シドニー・ルメット/1957年・アメリカ

ディスカッション映画の最高峰。お金をかけずとも良いモノは作れるというお手本のような映画ですね。会話の面白さや小道具の巧みな使い方、緩急織り交ぜた絶妙の構成、汗の演出、でもやっぱり一番の見所は俳優達の演技!これに尽きます。とにかく表情や動きが豊かで個性的、それぞれに特徴があり、しかもちゃんと各人見せ場があるので全然退屈する事がありません。でも主役のヘンリー・フォンダ演じる8番陪審員ってけっこう嫌な奴ですよね(笑)。確かに人一倍正義感は強いのかもしれませんが、計算高く、攻め方や態度にイヤらしいオーラが出まくっています。全員が無罪を主張したら有罪にまわるような天の邪鬼な男に思えなくもありません。フォンダのエラソーな立ち振る舞いや表情がそう思わせるのかも?(笑) 個人的には絶妙なバランサーぶりを発揮したかと思えば、突然いじけちゃったりもするお茶目な1番陪審員長がお気に入りです。鋭い観察眼をもつ9番のジイサマや、最後までフォンダを苦しめる理論派の4番陪審員も捨て難い魅力がありますね。

『自由の幻想』 ルイス・ブニュエル、ジャン=クロード・カリエール/1974年・フランス

何て人を食った映画でしょうか。一環したストーリーの繋がりなどはなく、ただひたすらシニカルで滑稽で不条理なエピソードの羅列になっています。まさに映像のシュールレアリスト・ブニュエルの面目躍如たる作品ですね。共通しているキーワードは「倫理観の破壊」。中でも食事とトイレの役割が逆転してるエピソードには大笑い。こんなバカらしい事を俳優達が大真面目に演じているから余計に可笑しいんですよね。固定観念に凝り固まった頭を柔らか〜くしてくれる愛すべき小品でした。

『祝祭』 イム・グォンテク/1996年・韓国

ある大家族の葬儀を軸に様々な人間模様がグランドホテル形式で描かれていくのですが、伊丹十三の「お葬式」のようなコメディ色の強いものではなく極めて真面目な群像劇になっています。ただちょっと変わってるのは度々演劇風の回想シーンが挿入されること。これは最後に種が明かされるのですがなかなか面白い発想だと思いました。それと韓国の葬儀様式はやはり中国文化の影響が強く感じられますね。歌や踊りで賑々しく死者を送るというのは個人的には良いなァと思います(大往生なら尚更)。黒澤明の「夢」の最後を彷彿させるような豊かな色彩、そして全身白で統一された喪服が印象的でした。

『ジュラシック・パーク』 スティーヴン・スピルバーグ/1993年・アメリカ


『ジュリオの当惑(とまどい)』 ナンニ・モレッティ/1985年・イタリア


『シュレック』 アンドリュー・アダムソン/2001年・アメリカ

ものすごく下品で中途半端に毒のある妙な味わいのフルCGアニメ。童話の持つ残酷性をテーマにしたのは面白いが、いかんせん脚本がショボすぎる。キャラクター造形もイマイチ魅力に欠けている。あらゆる面でピクサー作品よりもワンランク落ちる印象は否めなかった。ただCG映像の表現力は文句なしに素晴らしい。ところで視聴後にちょっと日本語吹替え版を聴いてみたが、浜ちゃんの声がシュレックにまったく合っていないのには参った。演技云々以前に黒人を模したシュレックの顔に、あの声と関西弁はかなり無理があると思う。相棒に達人・山ちゃんを起用したのは、演技レベルのギャップそれ自体を笑いのネタにする狙いがあったのかとへんに勘繰りたくなったくらい(笑)。

『春香伝』 イム・グォンテク/2000年・韓国

これは良かった!やはり素晴らしいですイム・グォンテク監督。艶やかで格調高い映像、深みのある演出、いや〜映画の快楽のツボを押されまくっちゃいました。主人公がビビンバをかっこむ描写が妙に忘れ難いです。『風の丘を越えて』といいパンソリのCDが無性に聴いてみたくなりますね。

『少女革命ウテナ/アドゥレセンス黙示録』 幾原邦彦/1999年・日本

一言で表現するとヘンチクリンなアニメ。ラストのオチで納得するか更に混乱するかは観る人によって分かれると思います(自分はかろうじて前者でした)。摩訶不思議な世界観、奇抜な演出と華麗な美術、洗脳度抜群なJ・A・シーザーの音楽等々・・・オリジナリティ溢れる野心作ですね。キャラのデザインは苦手な少女漫画系なんですが作品とのマッチングは絶妙(当たり前か^^;)で中でも三石琴乃演じる「有栖川樹璃」はかなりのお気に入りです。TV版も観てみたくなりました。

『少女の髪どめ』 マジッド・マジディ/2001年・イラン

イラン映画らしいあまりにもストイックで不器用な恋のカタチ。そしてアフガン難民が置かれている厳しい現状が同時に描かれる。青年の真摯で一途な行動に、政治や民族の問題といった暗雲を、「人間の善意」によって払いのけようとするマジディ監督の切実な想いが重なって見えた。何度か出てくるヒロインのアップショットが素晴らしい。複雑な背後を感じさせる微笑、その凄味と存在感。

『少女ムシェット』 ロベール・ブレッソン/1967年・フランス

究極のボクサー体型映画。厳格極まりないショット、無感情的で無機的な演出と編集が恐ろしいまでの緊張感を生んでいる。ムシェットの、世界に対する憎悪の眼差し、僅かに見せる笑顔との対比が痛々しい。また、首から下、手や足のみを捉えるブレッソンならではの接写。このショットには本当にギョッとさせられる。なぜなら顔の表情や言葉以上に、これら手足には強烈な「人間の意志」が込められているからだ。最後でムシェットは死を儀式化し、神聖なものへ昇華させようとしながら、何度もやり直しをする。その激しい姿には、生への執着を持ちながらも死んでいくしかなかった少女の不条理な怒りと哀しみが刻まれている。残酷さと美しさが紙一重で共存する稀有な作品。

『情熱の処女(おとめ)〜スペインの宝石〜』 ジェラルド・ヴェラ/1996年・スペイン

今まで観てきたペネロペ嬢出演作の中ではダントツのトホホっぷり。ヒロインとは思えない存在感の薄さ、気のせいか演技までヘタに感じる。「スペイン版ロミオとジュリエット」って、うーん、まぁ確かに大雑把な脚本といい、むやみやたらと(あけっぴろげな)エロ描写が出てくるところといい、如何にもラテンなノリではある(笑)。結末もなんだかなぁという感じ。

『少年時代』 篠田正浩/1990年・日本


『情婦』 ビリー・ワイルダー/1957年・アメリカ

以前より書籍やらウェブ上やらでさんざっぱら「ドンデン返し」「衝撃のラスト」と言ったキーワードを読まされ見せられ続けてきたので、ちっとやそっとの仕掛けじゃあ驚きませんぞ!という心持で観ました・・・・・・が!が、しかしです。してやられました。モノの見事に。唖然、茫然、驚天動地の大仕掛け。気付かなかったぁ〜、クヤシィィィ〜!(^^; エンドクレジットで「未見の人には決して結末を言わないように」とわざわざナレーションが入るのも頷けますね。最後が凄いと知っていたにも関わらずこのインパクト。いや〜強烈でした。そうそう強烈と言えばチャールズ・ロートンの存在感!激太りの体を揺らしながら苛烈かつユーモラスに老弁護士を演じていて絶品。「黒い罠」のオーソン・ウェルズと良い勝負ですね。あとはやっぱりディートリッヒでしょ〜。オーラ放ちまくりです。

『ショウほど素敵な商売はない』 ウォルター・ラング/1954年・アメリカ

芸人一家の悲喜交々を描いたミュージカルです。モンローは一家の次男と恋仲になる歌手をセクシーかつキュートに演じています(ん〜他に気の利いた言い回しってできんもんかいな^^;)。一家の肝っ玉母さん演じるエセル・マーマン(絶品!)を始めとする芸達者な俳優たちのショウは見応え十分、物語自体も正統派ホームドラマ調の展開で飽きずに楽しめました。最後は思わずホロリ・・・とさせるや一転、出演者たちが揃ってテーマ曲「There's No Business Like Show Business」を唄いながらの大団円。いや〜お見事!これぞハリウッド・エンターテイメントって感じの鮮やかな幕切れでした。目も耳も心も大満足。

『勝利への脱出』 ジョン・ヒューストン/1980年・アメリカ


『少林サッカー』 チャウ・シンチー/2001年・香港

愛すべきおバカ功夫スポ根ムービー。リミッターが解除された誇張とギャグの世界。そのあまりのアツさ、デタラメさに脳みそも溶解寸前。やっぱり香港映画のパワーは半端じゃない。最後の決着の付け方なんてまさにミラクル。笑って、泣いて、降参です。志村喬似の監督がイイ味出してる。

『ショーガール』 ポール・ヴァーホーヴェン/1995年・アメリカ


『蜀山奇傳・天空の剣』 ツイ・ハーク/1984年・香港

いやはや、これは凄い。何が凄いってその大胆なストーリー構成。もはやテンポがいいのを通り越して訳わかんなくなってます(笑)。丁寧な展開などまどろっこしくてやってられるか〜!とでも言いたげなその落ち着きのない進行ぶりにはかなり戸惑ってしまいました。そして、さらに驚きなのが劇中に出てくるチープな特撮演出の数々。83年製作とはにわかに信じ難いほどレトロ感覚炸裂な特撮映像に思わず大笑い。ワイヤーアクションという香港映画が生んだ芸術的表現方法に日本的な特撮技術を融合させた野心作との見方もできますが、今観ると単なるギャグとしか思えないのが何とも悲しいですねぇ。登場人物は個性的で面白いのに、いかんせんどれも中途半端な描き方になってしまっているのも勿体無いと思いました。ラストも心の準備が出来ないままパッと来てパッと終わった感じ。う〜ん、香港映画恐るべし・・・。あっ、でも主人公たちと行動を共にする女剣士(女優の名は分からず)がとっても可愛くて良かったです。

『ショコラ』 ラッセ・ハルストレム/2000年・アメリカ

ハルストレム監督の作品は安心して観れますね。偉そうな言い方ですが、演出といい映像といい実に質が高くて贅沢。豪華なキャスティングも圧巻です(ジュリエット・ビノシュの貫禄を見よ!笑)。いつもの厳しさやホロ苦さは希薄ですが、コッテコテの寓話タッチなのでそういう要素は必要なかったのかもしれません(何と言ってもショコラですしね)。前作同様レイチェル・ポートマンが素晴らしいスコアを聴かせてくれます。それと期待のヴィクトワール=ポネット=ティヴィソルですが・・・何か演技下手になってません?(笑) いつも泣きそうな顔してるし(^^; どうか並の女優にだけはならないでね。私的にはキャリー・アン・モスのクラシカルな美女っぷりと上品な笑顔、そして劇中どんどん美人になっていくレナ・オリンお姉様がポイント高しでした。

『ショーシャンクの空に』 フランク・ダラボン/1994年・アメリカ


『JAWS/ジョーズ』 スティーヴン・スピルバーグ/1975年・アメリカ


『ジョゼッペ・トルナトーレのシチリアで見た夢』 マーク・エヴァンス/2000年・イタリア

シチリアの風土や文化を題材にしたトルナトーレ製作のドキュメンタリーを中心に、彼とシチリアの深い絆を紹介していく真面目な作りの作品でした。

『ショート・カッツ』 ロバート・アルトマン/1994年・アメリカ


『書を捨てよ町へ出よう』 寺山修司/1971年・日本

メッセージ色と実験性が強いメタ映画。映画の中で映画を否定してしまう大胆さ、全編めちゃくちゃでアナーキーなエネルギーに溢れているが、ちょっと時代臭がキツ過ぎるのが欠点かも。セクシャルなイメージといい、ケバイ美術といい、随所にフェリーニからの強い影響を感じさせる。

『ジョン・カサベテスのビッグ・トラブル』 ジョン・カサヴェテス/1986年・アメリカ

わっはっはっ!こりゃ参った。善良な保険マンが子供の学資の為にズルズル犯罪に巻き込まれていく。その手引きをするのは、胡散臭さ全開のピーター・フォークとキュートなブロンド熟女。なんだカサベテスもヒッチコックが好きなんだね〜、と思いきや、物語は中盤で大崩壊。あれよあれよとシュールでナンセンスなドタバタ喜劇へと雪崩れ込んでいく。最後は一体どうなるのか?これがね、実にあっさりと一件落着♪ってコラァッ(笑)。そりゃいくら何でもゴーインすぎますがな。エンドクレジットが流れる中、抱擁、キスを交し合う登場人物たち。何なんだこの幸福感は。狐に抓まれたように呆然としていると画面上に「not the End」の文字。やっぱりカサベテスは一筋縄じゃいかない。

『ジョンQ-最後の決断-』 ニック・カサヴェテス/2002年・アメリカ

奇をてらわない職人的演出が光る良質の状況ドラマでしたが、後半の展開と脇役の人物造形はコッテコテのハリウッド式御都合主義&定番路線。これには少々閉口。個人的にアン・ヘッシュには最後まで嫌な奴でいて欲しかった(笑)。デンゼル・ワシントンはやっぱり格好良くて巧い。

『ジョン・レノンの僕の戦争』 リチャード・レスター/1967年・イギリス


『知りすぎていた男』 アルフレッド・ヒッチコック/1956年・アメリカ

サスペンスとユーモアにロマンスではなく堂々たる家族愛を盛り込んでしまったヒッチコックとしてはちょっと異色な、しかし見事な娯楽作品。巧みな脚本と構成、最後のコンサート・シーンの惚れ惚れするようなカッティング(映画教材になるのも頷ける鮮やかさ)。でも決定的に素晴らしいのはドリス・デイと彼女の唄う「ケ・セラ・セラ」だろう。”Que sera sera〜.Whatever will be, will be〜♪”。

『死霊のはらわた』 サム・ライミ/1983年・アメリカ


『白い犬とワルツを』 グレン・ジョーダン/1993年・アメリカ


『白い恐怖』 アルフレッド・ヒッチコック/1945年・アメリカ

何と見事なサスペンスの香り!「白」と「線」というキーワードから徐々に核心に迫っていく展開の妙!そつのない物語構成はさすがです。最後のヒネリがある程度読めてしまうのは残念ですが・・・。ダリがデザインしたシュールな夢の描写は地味な心理ドラマ中ひとつのアクセントになっていて面白かったです。あとはやっぱり主演の二人でしょ〜。バーグマンとペック、まさに絵に描いたような美男美女。お互い長身でスラッとしてるので実に見栄えが良いです。バーグマンはちょっと顔がふっくらと可愛らしい感じ(眼鏡姿が凛々しいー)。逆にペックの顔は減量中のボクサーみたく痩せ細ってます(笑)。二人が恋に落ちるシーン、見詰め合う瞳のドアップが昔の恋愛漫画みたいで思わず笑っちゃいました(懐かしいなぁ、ちば拓の「キックオフ」^^;)。しかしキスシーンの美しいことロマンティックなこと厭らしくないこと。アジア人や今のハリウッドだとこうは映りますまい。もちろん白黒マジックも手伝ってのことですが。

『白い花びら』 アキ・カウリスマキ/1998年・フィンランド


『白い風船』 ジャファール・パナヒ/1995年・イラン

兄妹という設定はマジッド・マジディ監督の「運動靴と赤い金魚」と同じですね。どちらも金魚がポイントになってますが、イランでは割とポピュラーな愛玩動物なんでしょうか(しかも縁起モノらしい)。序盤は「初めてのお使い」イラン版と言った感じで、何とも微笑ましいのですが、物語は途中から溝に落としたお金を如何にして取り戻すかという展開になっていきます。そう、先日観た「鍵」と同じ歯痒〜い展開になるんです(笑)。ただ少年の孤独な奮闘を描いた「鍵」と違い、本作ではお札を取り戻そうとする過程で出会ういろんな人達とのちょっとヘンテコで温かい交流が描かれているのが特徴です。どちらも発生するアクシデント自体はかなり御都合主義的、要するにワザとらしいのですが、演じる子供達の素朴で自然な存在感がそんなあざとさを見事に中和していますね。事態が一向に進展せずひたすら取り留めのない会話が続いていく様は「友だちのうちはどこ?」を彷彿とさせます。この執拗な反復によるまわり道によってなかなか結末に向おうとしない手法はキアロスタミの十八番と言えるでしょう。また子供が困ってるのに真面目に取り合わない大人達や、体罰が厳しいイランの家庭問題がさりげなく描写されているところにパナヒ監督やキアロスタミの社会に対する危惧の念を感じ取れました。ラストシーンも良かったです(「鍵」とは大違い^^;)。

『親愛なる日記』 ナンニ・モレッティ/1993年・イタリア=仏


『新幹線大爆破』  佐藤純弥 /1975年・日本

いや〜パワフル。演出も俳優の演技もテンションが高い!この時代の大作邦画って、陽気なツッコミで盛り上がれるから好きです。それも別に笑わそうとしていない場面、それどころか作り手側は大真面目にやっているのかもしれない場面に限って、というのがミソですね(笑)。警察がとことん間抜けな存在として描かれているのも本作の特徴で、何やら監督の悪意すら感じさせる徹底ぶりです。

『神曲』 マノエル・デ・オリヴェイラ/1991年・ポルトガル

聖書、哲学、ロシア文学、ポルトガル文学のテクストを縦横に引用、コラージュしながらキリスト教的な精神世界を語り、しいては欧州文明と人間の本質を顕わにしようという何とも大胆不敵にして繊細な映画。しかし、まったくピンとこなかった、というのが観終わっての率直な感想。この映画をスポンジのように吸収できるのは、ある程度の教養を持ったキリスト教圏の欧州人だけなのではないだろうか。部外者には作品を表面的に理解することはできても、皮膚感覚として実感することはできないと思う。ただオリヴェイラらしい重厚で静謐な雰囲気と、虚と実が渾然となった魔術的な映像は存分に堪能できるし、延々と繰り返される対話の数々は難解ではあるものの、人間存在の根源的な問題に鋭く切り込んだ示唆に富む内容になっている。俳優陣の演技も素晴らしい。マリア・ジョアン・ピルシュによるピアノ演奏にはただただ聞き惚れるばかりだ。頑なに固定されたキャメラ、壮麗な美術、セットのユニークな見せ方・使い方など、今まで観てきたオリヴェイラ作品の中でもひときわ演劇臭が強い。それでいて本作が"映画"以外の何物でもないことをあからさまに表明するラストショットの粋な仕掛け。本作を語るにはあまりにも勉強不足、理解不足だと分かっていながら"この映画は傑作だ!"と声を大にして言わずにはいられない。レオノール・シルヴェイラ嬢の美しすぎるヌードが冒頭で拝めてしまう作品であることも蛇足ながら付け加えておきます(笑)。

『シングル・ガール』 ブノワ・ジャコー/1995年・フランス

ヴィルジニー・ルドワイヤンが主演しているというその一点だけで観ましたが、なかなかどうして作品自体も地味ながら好感の持てる小品でした。まっ、ホテルで働く様子を淡々と映してるだけの映画なんですけどね(笑)。彼女が不機嫌そうにホテルの中を歩く、ひたすら歩く。その様子をキャメラの長回しで執拗に追っていく映像が妙に心地良く魅力的です。ルドワイヤン嬢の微細に変化していく表情が見所。ただ街を歩く映像は通行人がいちいちキャメラの方を見てしまうので緊迫した場面も何だか嘘っぽく思えてしまうのが残念でした(ここは長回しもかえって逆効果)。

『神経衰弱ぎりぎりの女たち』 ペドロ・アルモドバル/1987年・スペイン

強烈。ストーリー、映像(色)、登場人物、ことごとくエキセントリックなスパニッシュ・コメディ。普通じゃないのが普通なアルモドヴァル・ワールドに終始クラクラしっぱなし。ラテン民族は痴話喧嘩だって情熱的なのだ(笑)。アルモドヴァル作品に出てくる女性たちは、みんな味のある顔をしているけど、本作にはその極め付けとも言えるロッシ・デ・パルマがチョイ役ながらとてつもない存在感で楽しませてくれる。まさにピカソ顔とも言うべき超異相。いや、まったく恐れ入りました。アントニオ・バンデラスが一番クセがないというのもある意味凄いことだと思う(笑)。

『人生は、時々晴れ』 マイク・リー/2002年・イギリス=仏

真っ暗闇の家族生活にトドメを刺さんと襲いかかる不幸な出来事が、思わぬ化学反応を起こして、一筋の希望の光をもたらす。どん底からの逆転劇をペーソスたっぷりに描いたマイク・リーならではのビターな人生讃歌。生々しいアップショットや、突発的な感情の発露、深刻なのに、どこかユーモラスな人物造形など、同監督の『秘密と嘘』再び、といった印象を受けた。一対一ないし複数による会話シーンがとにかく濃密で迫真性に富んでいる。それがマイク・リー独特の即興演出と見せない脚本の所産であることは疑いようがない。何ら小細工を用いない普通に良質の映像だからこそ、人と人とのコミュニケーションがある種のスペクタクル性を帯びて目と心に突き刺さってくる。終始悲しい顔をした夫婦を演じるティモシー・スポールとレスリー・マンヴィルが素晴らしかった。

『新・座頭市物語』 田中徳三/1963年・日本


『新座頭市・破れ!唐人剣』 安田公義/1971年・日本

ん〜さすがにシリーズ22作目ともなるとすっかり大味なチャンバラ映画になってます。市が雑魚を斬りまくるのは確かに爽快なんですが、「いつ抜くのか」という居合の緊張感をもっと味わいたかったですね。とはいえジミー・ウォング演じる隻腕剣士との一騎討ちは熱かった!善人同士でありながら言葉が通じないせいで殺し合う羽目になるというペシミスティックな展開が普通の娯楽時代劇とは違い新鮮でした(かなり強引な気もするけど笑)。何でも香港公開版はジミーの勝利で幕だそうです。ってことは市が殺される?ちょっと観たいかも。

『紳士は金髪がお好き』 ハワード・ホークス/1953年・アメリカ

モンローとジェーン・ラッセル主演によるミュージカル仕立てのコメディです。モンローは玉の輿を狙うちょっとオツムのあったかいダンサーを好演(こんなキャラばっか^^;)。物語としては今一つ面白味に欠けてましたがそこは流石のハリウッド、スターの魅力を引き出す演出術で存分に楽しませてくれます。特にモンローが鮮やかなピンクのドレスをまとって唄い踊る「Diamonds Are a Girl's Best Friend」(ダイアモンドは女の最良の友)は最高でした。

『心中天網島』 篠田正浩/1969年・日本

近松門左衛門による人形浄瑠璃の名作を映画化したもので、町人・治兵衛と遊女・小春が不条理な現実に絶望した挙句、心中を決意し実行するまでを描いています。観ていてまず驚かされるのが映画に歌舞伎の様式を組み込んである点です(部屋の壁が突然反転したり、俳優の言い回しがオーバーだったり)。中でも馴染みの深い黒子が映画の中に登場する試みは実に面白い。彼らは時に傍観者であり、道標であり、補助役であり、そして死神(死に場所を探す2人に「おいで、おいで」とばかりに手招きするシーンはユーモアと恐ろしさが混在した奇妙な雰囲気を作っている)でもあります。他にも慟哭する治兵衛の周りを取り囲む黒子の場面等極端に様式化された動きが独特の美しさを生んでいます。また美術の素晴らしさも特筆もので、ジャレ合う治兵衛と小春を俯瞰で捉えたショットに映る浮世絵風の敷物や、遊郭の金属板を使った壁、壁や床が文字だらけの治兵衛の家等々どれも奇抜ですが鮮やかな印象を残します。その独創的な映像世界には思わず釘付けになってしまいました。武満徹によるシンプルで不気味な音楽も素晴らしいです。篠田正浩と言えば「瀬戸内少年野球団」や「少年時代」などオーソドックスな作風の監督というイメージがあったのですが、昔はこんな野心的な作品も撮っていたんですね。

『シンドラーのリスト』 スティーヴン・スピルバーグ/1993年・アメリカ


『新のんき大将』 ジャック・タチ/1949年・フランス

移動式遊園地が村にやってきて、去っていくまでをタチ扮する郵便配達員をコメディ・リリーフにして描いたドタバタ喜劇。軽快に滑稽味たっぷりに躍動するタチ、その天性のトラブルメーカーぶり。音の使い方と工夫の面白さ(明らかに現実的ではないヘンな効果音の数々)。後のユロ氏シリーズでもお馴染みとなる要素が既に見られる。そして本作一番の魅力と言えばジャック・タチの自転車さばき!これが絶妙。後半の猛烈な漕ぎ回しによる映像の躍動感も圧巻だった。動物や子供を捉えたショットもタチならではの叙情が漂っていて、冒頭の車に積まれた木馬に群がってくる子供たちの描写は、エリセの『ミツバチのささやき』冒頭シーンが重なって思わず笑みがこぼれてしまった。

『人狼 JIN−ROH』 沖浦啓之/1999年・日本

架空の戦後史を舞台にして展開される組織間の諜報戦、そして体制側の人間とテロリストの少女との許されぬ恋を描いたハードな人間ドラマです。いや〜ビックリしました。劇場用アニメーションでここまで非娯楽的な作品というのも稀有ではないでしょうか。最近の押井守作品(本作では脚本担当ですが)はどんどん商業主義から外れていってるような気がしますね〜。この作品は彼が以前に制作した実写映画「赤い眼鏡」「ケルベロス」と同一の世界観を持っているらしく、それだけに彼の個性が強烈に現れています(昭和30年代の東京の風景や地下水道、鳥の描写などまさに押井ワールドそのもの^^;)。それと相変わらず見事なのが銃撃シーンのド迫力映像。アニメでなら日本もハリウッド級(それ以上か?)の銃撃シーンを作れるんですけどね〜。ラストはちょっと凹みましたが、どこか純粋で儚い「負の美しさ」のようなものも感じられました。個人的には傑作だと思います。

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