映画古今東西
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『サイクリスト』 モフセン・マフマルバフ/1989年・イラン=英

妻の手術代を稼ぐため7日間眠らずに自転車を漕ぎ続ける男の話です。期待通りの素晴らしい作品でした。親と子の絆を軸に据えた家族愛がテーマになっていて、スリルあり、ユーモアあり、涙ありの見応えある娯楽作品になっています。ただアフガン移民のイラン国内における厳しい社会状況がたえず物語の傍に寄り添いながら展開されるので、観てる自分は右の目で楽しみつつ左の目で憂思せざるを得ませんでした。貧困層の終わりなき苦悩を暗示するようなラストのモンタージュが強烈(他にもいくつか印象的なモンタージュが出てきます)。それと父親役の俳優が良かったですね〜(見事な額の存在感!まさにイランのオメロ・アントヌッティ!笑)。

『サイコ(60年版)』 アルフレッド・ヒッチコック/1960年・アメリカ


『サイコ(98年版)』 ガス・ヴァン・サント/1998年・アメリカ

時代設定を現代に置き換え若干演出を変更させたリメイク版サイコ。カラーになったら恐さ半減(笑)。それと全体的に演出のテンポがアップしている点も大減点。ノーマン・ベイツもアンソニー・パーキンスの圧勝(って比べるのはちょっと酷か)。アン・ヘッシュの演技力もやや(かなり?)難有りでした。まさに監督の自己満足映画。珍品中の珍品。

『最後の人』 F・W・ムルナウ/1924年・ドイツ


『最後の誘惑』 マーティン・スコセッシ/1988年・アメリカ

イエスをただ超人として描くのではなく、人間的(世俗的)な苦悩を抱える一人の男として描いている点が面白い。ゴルゴダの丘で磔にされたイエスが一瞬垣間見る長い幻想シーン(最後の誘惑)が圧巻。ウィレム・デフォーが超ハマリ役。男の自分でもゾクゾクするような色気がある。

『サイダー・ハウス・ルール』 ラッセ・ハルストレム/1999年・アメリカ


『サウンド・オブ・ミュージック』 ロバート・ワイズ/1964年・アメリカ

自分にとって別格と言っても良いくらいに大好きなミュージカル映画。そして、このジャンルに興味を持つ決定的なきっかけとなった作品でもあります。キャスト、ストーリー、音楽、映像、とにかく全てが最高!美しい空撮映像の導入部からアルプスの草原でジュリー・アンドリュースが唄う「サウンド・オブ・ミュージック」。ザルツブルグの街並みと共に劇中曲のインストをメドレーで流すオープニングだけですでに身震いするほど感動してしまうのは自分だけでしょうか。爽やかな存在感と絶品の歌声を聴かせてくれるジューリー・アンドリュースは勿論のこと、トラップ家の7人の子供たちも実にイキイキとキュートな演技で楽しませてくれるんですよね。また、曲が流れるシーンも本当に素晴らしいものばかり。ジューリーのダイナミックな踊りが圧巻な「自信を持って(I Have Confidence)」、長女リーズルと配達人ロルフが東屋で唄い踊る「もうすぐ17才(Sixteen Going on Seventeen)」、雷に怯える子供たちに唄い聴かせる「私のお気に入り(My Favorite Things)」、百万回観ても飽きない(笑)「ド・レ・ミの歌(Do-Re-Mi)」のシーン、思わずニコニコしてしまう「ひとりぼっちの羊飼い(The Lonely Goatherd)」、聞き入ってしまう「エーデルワイス(Edelweiss)」、最高にラブリーな「さよなら、ごきげんよう(So Long,Farewell)」、ロマンティックで優しさ溢れる「何かよいこと(Something Good)」、舞踏会でのマリアとトラップ大佐が見せるダンスシーンも絶品だし、ザルツブルグ音楽祭での「エーデルワイス」の大合唱は涙なしには観れません。要するに全部好きなんです(笑)。自分の中で「この作品を超えるミュージカル映画は絶対に現れない」という気持ちにさせるほど圧倒的に抜けた存在である『サウンド・オブ・ミュージック』。この作品が放つ輝きは永遠です。

『ザ・エージェント』 キャメロン・クロウ/1996・アメリカ


『櫻の園』 中原俊/1990年・日本


『ざくろの色』 セルゲイ・パラジャーノフ/1971年・ソ連

絢爛の色彩と抽象的な様式美が奏でる幻想の映像叙事詩。思考させることを拒絶するかのように描き出される圧倒的なイメージと感覚の世界。ほぼ全編、固定キャメラ(一回だけ動く)と正対ショットと俯瞰だけで構成されているのが面白い。見て遊び、聴いて酔う、摩訶不思議なトリップ映画。

『叫びとささやき』 イングマール・ベルイマン/1972年・スウェーデン


『細雪』 市川崑/1983年・日本

・・・観なければ良かったかも(泣)。以下、悪口。

・電子オルガン調の「オンブラ・マイ・フ」が絶望的に合っていない。

・原色の照明を多用しているせいかギトギトして品のない映像。

・貧弱なユーモア感覚(これが最も致命的でしたね)。

・長女役の岸恵子が存在感ありすぎ(原作ではいないも同然の扱い)。

・次女役の佐久間良子が存在感なさすぎ(原作では堂々たる主役っぷり)。

・貞乃助が単なる人の良いスケベ男になっている(雪子に対する態度も露骨すぎる)。

・あまりにもこれみよがし的な着物のアップショット(あざとすぎて滑稽ですらあります。一番こだわっている部分だからこそサラリと見せて欲しかったです)。

・恐ろしく凡庸なラスト(思わず呆然。原作では谷崎一流のユーモアで締めくくられるのに・・・)。

どうやら市川崑のモダン感覚(?)と「細雪」の相性はすこぶる悪かったようです。本来序盤で描かれる筈の長女の東京行きを物語の最後に持ってくるのは脚色しすぎだと思います。四姉妹モノということで各人をバランス良く登場させたかったのでしょうが、岸恵子の輝きが強烈なのでかえってバランスを悪くしているような気がしました。それと尺の制約とは言え、隣人のシュトルツ一家との交流や、蛍狩りのエピソードは入れて欲しかったですねぇ。まあ本音を言うと一番観てみたかったのは大洪水の場面なんですが。何せ私の大好きなキャラであるお春どん最大の見せ場なだけに。

でも全部が全部嫌いなわけではありません。以下、好きなところ。

・京都の桜(小説が逆立ちしても敵わない、これぞ映像の強み)

・妙子役・古手川裕子の入浴シーン(な、な、なんと言うキュートなおっぱい!!笑)。

・女中・お春を演じる上原ゆかりの素晴らしさ(本作で最も良かった点。表情と声が絶品。後半は「もっとお春どんを映せーっ!」と心の中で叫んでいました笑)。

・三女・雪子の不気味にエロティックな存在感(原作よりも生々しい感じだけれどこれはこれで良いと思う。映画ならではの味?吉永小百合も予想に反してなかなかハマッていました)。

・女優陣の見事な着物の着こなし(さすがとしか言い様がありません)。

・三宅邦子の迫力(チョイ役ながらその貫禄たるや!)。

結論。。。小津安二郎の「細雪」が観てみたかった。


『さすらい』 ミケランジェロ・アントニオーニ/1957年・イタリア

反ロマンス的なリアリズムが描き出す不毛な愛の情景。広大で、貧しく、どんよりとした、寒々しい風景が主人公の孤独を鮮明に浮き上がらせる。奥行きのあるシンプルな構図のロングショットは、限りなく寂しいが、同時に限りなく美しくもあるのだ。この感覚は、心地良いような悪いような、奇妙な後味を残す夢にどこか似ている気がする。アントニオーニの映像には自分の心を捉えて離さない、何か得体の知れない魅力がある。ラスト、物語の本筋として起こる出来事とは無関係に起こるもう一つの出来事、それが生み出す劇的な効果もまた得体の知れない魅力なのである。不気味だ。作中、淡々と流れる、サティのような簡素な旋律美をもった、暗く繊細な音楽が素晴らしい。

『さすらい』 ヴィム・ヴェンダース/1975年・西ドイツ


『殺人に関する短いフィルム』 クシシュトフ・キエシロフスキ/1987年・ポーランド

本作で描かれる殺人と死刑、この二つの死を見詰めるシークエンスはありとあらゆる感情を麻痺させる。それは虚実の判別ができなくなって、朦朧となるくらいに衝撃的な映像である。こんなに厳しい"死の演出"は観たことがない。キェシロフシキの視線はあまりにも誠実でかつ容赦がない。

『ザッツ・エンタテインメント』 ジャック・ヘイリー・Jr/1974年・アメリカ

ハリウッドのスタジオ・システムが崩壊する前の、まさに黄金時代を象徴するようなMGMミュージカルの世界、そのオイシイとこ取りだけあって全てのシーンが見所でした。中でも興奮させられたのは、未見だったり、日本では未公開だったり、メディア化されてなかったりという、いわゆるお宝度の高い作品の紹介シーンです。エリノア・パウエルのタップ(カッコ良すぎ!)と群舞が迫力の『ロザリイ』、アステア&ジーン・ケリーの夢の共演『ジーグフェルド・フォリーズ』、クラーク・ゲーブルが歌って踊っちゃう『愚者の歓喜』、ジュディ・ガーランドが「愛しのゲーブル様」(笑)という曲を歌う『踊る不夜城』、ジーン・ケリーのスタント芸が凄い『ビッグ・ウェイ』、リズ・テイラーが超初々しい歌声を披露する『シンシア』、そして泳ぐ女優エスター・ウィリアムズの『水着の女王』(思わず目が点^^;)などなど。エリノア・パウエルのタップは初めて観たのですが、とんでもなく素晴らしいですね〜。もうベタ惚れ。『踊るニューヨーク』でのアステアとのタップ合戦なんて本当に鳥肌モノの格好良さでした。それと最後にフューチャーされるジュディ・ガーランド。やっぱり彼女の歌声は最高ですね。そしてスクリーン上の存在感の凄さ。美人顔ではありませんが、吸引力がとてつもないのです。まさに釘付け。『サマー・ストック』のパフォーマンスも絶品でしたね。DVD化熱望です。

『ザッツ・エンタテインメント PART2』 ジーン・ケリー/1976年・アメリカ

前作ほど名場面テンコ盛りではありませんが、よりバリエーション豊かなハリウッド・ショー・ビジネスの魅力が堪能できる傑作アンソロジーに仕上がっています。中でも度肝を抜かれたのが、水着の女王エスター・ウィリアムズの『イージー・トゥ・ラヴ』。吹き替えもトリックも無しで撮影されたというスペクタクルな水上パフォーマンスは圧巻でした。シド・チャリースのパートも良かったですね。その優雅でダイナミックな踊りには見惚れてしまいます。でも、一番感動的だったのは、ホスト役のフレッド・アステア&ジーン・ケリーが年齢を感じさせない華麗な踊りを披露するシーンかも?(笑)。

『ザッツ・エンタテインメント PART3』 バド・フリージェン、マイケル・J・シェリダン/1994年・アメリカ

蔵出し映像とマニアックな内容で構成された第三弾。まず"タップの女王"エリノア・パウエルが主演している『レディ・ビー・グツド』の撮影風景を捉えた映像が感涙モノ。ハリウッドのスタジオ撮影技術の凄さが堪能できます。また二分割画面を使った同一ダンスの別テイク比較も面白かったですね(アステアの正確無比な踊りに驚愕)。そしてジュディ・ガーランド!もう、ね、何という素晴らしさでしょうか。彼女こそMGM、いやミュージカルというジャンルの女王ですね。本作には「ミスター・モノトニー」と「March of the Doagies」という2曲の未公開シーンが紹介されているのですが、どちらもカットされたのが信じられないくらい絶品のパフォーマンスを披露しています。このシリーズにはそれこそ綺羅星の如くスターが登場しますが、ジュディとアステアの二人はやっぱり別格のオーラを放っているんですよねぇ。ジュディ・ガーランドは元々大好きな女優でしたが、『ザッツ・エンタテインメント三部作』を観て、ますますその魅力の虜になってしまいました。そんなわけで彼女の伝記本「ジュディ・ガーランド」をサクっとネット注文(笑)。ちなみに本作にも"水着の女王"エスター・ウィリアムズ嬢が登場、もう異彩放ちまくりです。MGMミュージカルを語る上で外すことのできない存在なんでしょうね。中国雑技団もびっくりのロス三姉妹による軟体曲芸ダンスも鮮烈でした(笑)。

『サード』 東陽一/1978年・日本


『座頭市』 勝新太郎/1989年・日本

たま〜に耳を刺激する音があるだけの酷く退屈な前衛音楽なのかと思いきや、最後の最後でとんでもなくパワフルな心震わす旋律をパッと響かせて終わっていく、そんな時代劇だった。良くも悪くも監督・勝新の個性が強烈に発揮されていて、物語構成がチグハグだとか、編集が雑だとか、キャラの描き方が中途半端だとか、普通なら欠点になる筈の要素が妙な味わいを生んでいる。まさに怪作。とにもかくにも最後の大殺陣が凄い。はっきり言ってこのシーン以外は全部蛇足かも(笑)。

『座頭市』 北野武/2003年・日本

タイトルは『北野武の座頭市』にするべきだった?それくらいオリジナルとは似て非なる作品だ。その破壊ぶりは徹底している。市は按摩師で居合いの達人という設定以外はまったくの別物。何とも不気味な存在で、主人公にしては影が薄く、人を斬る部分だけが突出して印象に残る。勝新のような人懐っこさやユーモアも持ち合わせていない。揉みっぷりも悪いし、飯の食べ方や酒の飲み方すら素っ気無い。しかし何よりも驚かされたのが目。ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、旧作ファンならひっくり返るようなセリフをクライマックスで言い放つ。最後の最後で「なあんだ」となるも、イマイチ釈然としないモヤモヤ感が残る。市には西洋人の血が入っているのかも(金髪は伊達じゃない?笑)。まったく食えないオッサンである。市以外のキャラクターも実にユニーク。入れ子の構造になっている悪人、やたら饒舌に描かれる姉妹(しかも一人はオカマ)、コメディ・パートを一身に受け持つ遊び人・新吉(ガダルカナル・タカが好演)、『ソナチネ』の殺し屋を思わせる謎めいた凄腕の浪人、田んぼで踊る農民と武士に憧れるオツムの弱い男(『七人の侍』のラストシーンと菊千代への北野流オマージュ)など、いずれも市本人より強い光を放っているのが面白い。冗長ながらも独特の編集で惹き込まれる回想シーンや、一見無意味なのに何故か忘れられないインサートカットの数々、集団タップによる大団円。やっぱり北野武の映画は他にはない異様な独創性に満ちている。ただ殺陣は思ったよりも普通だった。確かにスピーディで演出も凝っているし、カット割りだって格好良い。でも武の動き自体は早いだけの無骨剣法。とても勝新の洗練された美しい殺陣には及ばない。要するにいつもの北野映画で観られる突発的な暴力シーンと同じなのだ。拳銃が剣になっただけで、肌触りは一緒。手や指がポロポロ切れたり、血が派手に飛び散るのなんてまるで『BROTHER』、コミック感覚だ。だからこれはもう100%北野印の時代劇。従来の時代劇なんて眼中にない。だからこそ良い。主人公が死ななかったのはきっと続編があるからに違いない(笑)。

『座頭市あばれ凧』 池広一夫/1964年・日本

今回のオープニング・アクションはいきなり俯瞰ショットから始まる。ウルサイ蝿を居合で叩っ斬って、目付きの悪いアンちゃんたちをびびらせる市つぁんがお茶目。強力なライバルキャラが出てこないのでちょっと物足りないかと思いきや、美人姉妹&色っぽい姉御との艶っぽい絡み(注:エロじゃないよ^^;でも行水アリ)やアクの強い脇役たちのお陰で存分に楽しめる内容になっている。最後の蝋燭を使った光と影の対比を強調した大立ち回りが素晴らしい。水中居斬りなんてキワモノ演出も出てきたりと、凝った殺陣が目に付くのが本作の特徴だ。それとメシを食う勝新の至芸もふんだんに拝めるのが嬉しい。まったく、こんな美味そうに御飯を食べる役者は見た事がない。特に冒頭の粥を食べるシーン。匂いの嗅ぎ方、表情、かっ込み具合、プッと梅干を出すタイミングとユーモア、ほんとに絶妙すぎ。花火で真っ赤に照らされ修羅のような顔をした市のアップで終わるラストが唐突ながらも印象に残る。

『座頭市あばれ火祭り』 三隅研次/1970年・日本

三隅研次&宮川一夫の強力タッグが放つチャンバラ娯楽の快作!脚本の荒さなど何のその、ケレン味過剰なアクションの数々と個性豊かなキャラクターが、まさに祭りのような華やかさとエネルギーに満ちた映像を生み出している。風呂場での素っ裸大立ち回りはシリーズ中でも屈指のユニークかつ見事な殺陣だと思う。吉行和子のデカダンな美しさ、目玉剥き出しで凄む仲代達矢の怪演、妖艶なピーター、大原麗子の女臭さ、森雅之の凄み、劇場版「座頭市」の私的ベスト5入りは確定。

『座頭市兇状旅』 田中徳三/1963年・日本


『座頭市血笑旅』 三隅研次/1964年・日本

題名に「笑」が入っているので今回はコメディタッチで攻めるのかな、と勝手に思っていたらこれがトンデモなく切ない話だったので唖然。ひょっとしてシリーズ中最も異色の作品なんじゃないだろうか。何せウリである筈の殺陣が明らかにオマケとしか思えないのだ。スタイルは道中モノ、所謂ロードムービーだし、撮影はロングショットや長廻しを多用した落ち着いたリズムでじっくりと見せるドラマ性豊かな作りになっている。勿論凄腕のライバルも登場しない、というより完璧にザコです、ってな奴ばかり(笑)。最終バトルも迫力はあるのにどうも今一つスッキリしない。だから娯楽時代劇としてはちょっと、いや、かなり物足りない。が、しかし、純粋に映画として観た場合唸らずにはいられない実に見応えのある作品になっている。まず何よりもキャメラが素晴らしい(映画的な美しさにハッとさせられるショットがいくつも出てくる)。前述しているがロングや長廻しの絵がとにかく見事なのだ。細部の描写も実に活き活きしている。そして構成の巧さ。特に円環をなしていながら明暗クッキリと対比させる冒頭と最後のシーン。市の圧倒的な孤独感がひしひしと伝わってきて思わず目頭が熱くなる。このシリーズは結構ペシミスティックな終わり方をするけれど、これはまさに極め付けという感じ。時代劇でこんなにブルーな気分にさせられるとは思ってもみなかった。恐らくアクション・シーンが浮いて見える唯一の座頭市だろう。話的にも映像的にも演出的にも一昨日観た『千両首』の対極に位置する作品。これは傑作です。

『座頭市喧嘩旅』 安田公義/1963年・日本


『座頭市御用旅』 森一生/1972年・日本

市つぁん、アヴァンタイトルで助産師になる。巻き込まれ&間違えられた男というヒッチコック映画の主人公みたいな境遇に置かれたり、ヤクザにあっさり捕まってリンチされたり、本作の市つぁんはどこか力弱い。居合い斬りも控え目だ。ローキーに徹した映像という陰の要素と、祭りの賑々しさという陽の要素の対比が面白い。獅子舞や油を使ったコミカルな殺陣もなかなか。三国連太郎が『牢破り』に続いて再登場、今回も屈折した親分(笑)。子分が石橋蓮司と蟹江敬三。敵ながら純粋に一剣士としての矜持だけで市に挑もうとする高橋悦史の用心棒が爽やかな存在感を見せる。

『座頭市逆手斬り』 森一生/1965年・日本

藤原寛美のすっ呆けたキャラが効いていて、今までにないコミカルな味が楽しめる。話としてはもう一捻り欲しいところだが、海沿いの道や砂浜をひたゆく市を捉えたロングショットなど、荒々しくも詩情性豊かな映像美を堪能できる。ただしアクションは大味。だんだん市が超人と化してきている。

『座頭市地獄旅』 三隅研次/1965年・日本

緩急自在のリズム、独創的でユーモラスなアクション、情感溢れる人間描写、映像(ルック)の艶、やっぱり三隅演出の座頭市は一味も二味も違う!市つぁんのドロップキックは最高だった(笑)。敵役・十文字糺のキャラ造形も良い。成田三樹夫のクールな色気。呆気ない最後がちょっと残念。

『座頭市関所破り』 安田公義/1964年・日本

無難な仕上がり、という表現がしっくりくる座頭市。話的にもアクション的にも特筆すべき点は見られないが、脇役が実に良い味を出している。顔といい声といい何とも個性的。昔の邦画にはこういうアクの強い端役がゴロゴロいるから楽しい。ヒロインの高田美和も可愛らしい。平幹二郎が若い!

『座頭市千両首』 池広一夫/1964年・日本

ん〜たまりまへん!シリーズも勧善懲悪&アクション&お色気の時代劇トリニティ・モードに突入。冒頭から市の居合斬りがこれでもかというくらい炸裂して爽快この上なし。勝新の流れるような太刀筋と緩急をつけた挙動が織り成すダイナミックで流麗な殺陣のなんたる美しさ。殺陣シーンが多いために肝心のドラマ部分がかなり御座なりになっているなどという欠点がどうでもよく思えてくる。またカッティングのキレの良さも凄い。編集そのものがアクションになっている。宮川一夫の撮影も素晴らしいの一言。無数の御用堤燈が列をなし闇夜の川岸を駆け抜ける超ロングショットや国定一味が赤城山を下る様を逆光のローアングルで捉えたショットなど殺陣以外にも見所満載。敵役の鞭使い・城健三郎(若山富三郎)もなかなか良い味を出している。西部劇っぽい最後の決闘シーンがユニーク。でもアクションの白眉は市との賭場での銭斬り対決で決まり。ケレン味とはまさにこのシーンのために用いるべき言葉、最高に出鱈目でクールな演出だ。タランティーノが狂喜するのも分かるような気がする(笑)。

『座頭市鉄火旅』 安田公義/1967年・日本

どっしり腰の据わった円熟味溢れる演出とストーリー展開が心地良い正調時代劇。ジリジリとした流れから最後一気に爆発させるところもニクイ。市つぁんの仕込み刀にスポットが当たる話なので、殺陣も居合い斬りより刀の方が目立っている。その威力たるや斬鉄剣なみ(笑)。東野英治郎扮する鍛冶屋のオヤジが絶品。水前寺清子と藤田まことはほとんど顔見せ程度のものでした。

『座頭市と用心棒』 岡本喜八/1970年・日本

勝新太郎と三船敏郎がそれぞれの当たり役で共演!という何とも粋な企画の時代劇です。面白かったのは三船演じる用心棒が黒澤映画の三十郎よりも金に汚く女も好きとやたら人間臭いキャラクターになっている点。口が悪いのは相変わらずで、市に向って「やい、ど○○ら!」と放送禁止用語を連発します。一方、勝新の市は普段、飄々とすっ呆けていながら時折見せる電光石火の居合斬り、そのギャップにシビれちゃいます。後半登場する隠密・九頭竜の不気味な存在感も秀逸(岸田森の顔面蒼白メイクが怖すぎ^^;)。神山繁、細川俊之、嵐寛寿郎、寺田農、常田富士男など脇役陣もとにかく豪華で昔の邦画のパワーを思い知らされる快作でした。

『座頭市二段斬り』 井上昭/1965年・日本

珍しく勧善懲悪がくっきり分かれた娯楽作になっている。多用されるアップ&俯瞰ショット、敵用心棒とのやり取りにおけるハードボイルドな描写など監督独自の色が濃く出ている点が良い。最後の大殺陣は圧巻だったが、ちょっと"らしくない"かも。子役時代の小林幸子が美声を披露している。

『座頭市物語』 三隅研次/1962年・日本


『座頭市の歌が聞える』 田中徳三/1966年・日本

これと言って特色のない平凡な物語だけれど、市つぁんの居合い斬りが存分に堪能できるので満足度は高い。月光差す橋上での決闘、逆光の演出が格好良い。一作目以来の登場となる天知茂も凄腕のニヒルな浪人を好演している。最後の水面に月明かりが反射する川辺での対決シーンが美しい。ロングショットを多用した広がりのある映像空間が特徴で、構図や人物配置の工夫は宮川一夫ならではと言った感じ。女郎役の小川真由美がチョイ役ながらも印象に残った。何とも艶っぽい。ひょっこり現れては市つぁんに説教を垂れる浜村純の琵琶法師もうざったくてイイ感じ(笑)。

『座頭市牢破り』 山本薩夫/1967年・日本

チャンバラ活劇としては物足りないけれど、農民VSお上という基本的な対立構造を軸に、非暴力主義の浪人、善を装ったヤクザの親分、市を狙う隻腕のチンピラが絡んでくる一筋縄ではいかないドラマ構成は面白かった。中間的な立場で揺れ動く市の、存在の曖昧さも本作の特徴だ。凄腕の渡世人であるが故に背負わなければらない"業"に苦しむ市の姿が痛々しく描かれているせいか、作品の印象はかなり暗いものになっている(ただ、中盤の按摩屋でのやり取りだけは妙にコミカル)。西村晃演じるサディスティックな役人が良い。そこはかとなくいやらしい表情がナイス。

『裁きは終りぬ』 アンドレ・カイヤット/1950年・フランス

安楽死問題や人が人を裁く事の困難さをさらりと提起しつつ陪審員の人間群像をメインに据えて描いていく構成の妙がドラマとしての完成度を高めています。ラストの重苦しいナレショーンが胸を打ちました。これは傑作です。

『さびしんぼう』 大林宣彦/1985年・日本


『サブウェイ』 リュック・ベッソン/1984年・フランス


『ザ・プレイヤー』 ロバート・アルトマン/1992年・アメリカ


『さらば箱舟』 寺山修司/1982年・日本

寺山修司と仲間たちのユートピア的な世界を思わせる小さな村で、生と死が渾然と融和しながら、人間の性と暴力が奇妙なユーモアを伴ってエネルギッシュに描かれる。仰々しい美術、見世物小屋、巨女、時間と空間を超越して集う人々など本作からもフェリーニ臭が濃厚に漂ってくる。

『さらば冬のかもめ』 ハル・アシュビー/1973年・アメリカ

しょーもない水兵たちのしょーもない珍道中を軽快な行進曲に乗せて描いた如何にもニューシネマらしい佳作。いや〜こういうの大好きですね。ロードムービー・スタイルで進行するちょっと屈折した青春映画。ジャック・ニコルソンのとても軍人とは思えないいい加減さ、悪童ぷりが痛快です。法華経を信仰するアメリカ人の英語訛りのナンミョ〜ホ〜レンゲ〜キョには大笑い。

『さらば、わが愛/覇王別姫』 陳凱歌/1993年・香港


『猿の惑星』 フランクリン・J・シャフナー/1968年・アメリカ


『ザ・ロック』 マイケル・ベイ/1996年・アメリカ


『三国志』 フー・ピン/1990年・中国


『サンセット大通り』 ビリー・ワイルダー/1950年・アメリカ

過去の栄光に取り憑かれたかつてのスター女優が次第に狂っていく様を描いたハリウッド内幕モノです。屈折した映画愛とも言うべき残酷な物語で、大女優の誇りと執念とが憐れなくらい執拗に描かれていきます。演じるグロリア・スワンソンの鬼気迫るような凄まじい表情の数々。そして彼女の忠実な執事を演じるはかのエーリッヒ・フォン・シュトロハイム。画面に"いる"だけでとてつもない存在感を放つ小さな巨人です。ラストは圧巻!壮絶!全ての女優は目を覆い或いは涙するかもしれません。でもある意味スワンソン以上にシュトロハイムの目が怖い・・・(笑)。

『秋刀魚の味』 小津安二郎/1962年・日本

最後の作品も家族を、そして娘を嫁に出す父親を描いたホームドラマだった。笠智衆が相変わらず味のある柔らかい演技を見せくれる。場末のバー、軍艦マーチに乗せて笠智衆、加東大介、岸田今日子が三者三様の表情で敬礼をするシーンが面白い。敗戦の痛みと戦後の豊かさが絡み合った、この時代の日本人の複雑な心情を象徴しているようだった(ヴェンダースの『東京画』には軍艦マーチを流すパチンコ店の映像が出てくる)。娘役の岩下志麻がすこぶる魅力的。着物姿で微笑むシーンの可愛らしさときたらちょっと尋常じゃない。こんな可憐な少女が後に「極妻」になってしまうんですね(笑)。最後に泥酔した笠智衆がふと洩らす「ひとりぼっちかぁ・・・」というセリフ。涙を見せたり、力なく佇む姿をロングで捉えるなど、他作に比べてウェットさが強調されている。本作撮影中に長年連れ添った母を失った小津安二郎の哀しみが強く反映されているからなのだろうか。

『サン★ロレンツォの夜』 パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ/1982年・イタリア

何とも不思議な魅力を感じさせる作品です。ノスタルジックで温かみのある部分と凄惨極まりない部分とが奇妙に融合しているような・・・。悲惨な出来事を少女の記憶という視点から描いている点がこの作品を暗さとは無縁なものにしていると思います。少女にとっては決死の逃避行もピクニック感覚の楽しいイベントだったと言うことでしょうか。そして6歳時の記憶の曖昧さという点を巧みに利用した数々の幻想的な映像が素晴らしいですね。撃たれた女性が死ぬ瞬間に見る同郷のアメリカ兵との会話のシーン、チェシリアが道端でくつろぐアメリカ兵とにらめっこ(?)をしてコンドーム風船(笑)を貰うシーン、そして極め付けは、一面稲穂の長閑な風景の中で繰り広げられるファシスト兵とパルチザンの壮絶な銃撃戦。目の前で人が殺されるのを見てしまったチェシリアが母親に教えてもらった恐い時に唱える呪文を唱える。直後に現れる古代ローマ帝国の兵士たち。彼らがファシスト兵の一人を槍で串刺しにするシーンは圧巻です。最後、村の解放を知った人々が日照り雨の中、嬉しそうに帰り支度に励む様子が感動的でした。暗く悲しい歴史の事実を、独特のユーモラスな語り口で寓話的に見せていく演出は、まさにタビアーニ兄弟の真髄ここにあり、という感じでしたねぇ。これは文句なしに傑作です。それと役者について一言。村の長を演じるオメロ・アントヌッティ・・・何という存在感でしょうか。常に苦虫を噛み潰しているような表情が、時折見せる穏やかな微笑み、その目尻に刻まれた深いシワ、何気ない仕草にふっと漂う男の色気、いや〜たまりませんね(笑)。この人が出ているというだけでその映画は観るに値するような気がします。まさに名優。絶品なり!

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