映画古今東西
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『恋しくて』 ハワード・ドゥイッチ/1987年・アメリカ

いや〜懐かしい!わが青春の"青春映画"の一本。男勝りに見えて実はしおらしいメアリー・スチュアート・マスターソン、更衣室シーンのフェロモン光線が眩しいリー・トンプソン。まったくもって他愛のない三角関係モノの一典型、と言うだけで片付けてしまえない愛着が本作にはある。ただ同監督の『プリティ・イン・ピンク』と同工異曲である点は否めない。それにしてもエリック・ストルツ君、キスの練習までさせておいて、最後「ごめん、今まで気が付かなかったヨ!」は無いと思うゾ!(笑)

『恋におちたシェイクスピア』 ジョン・マッデン/1998年・アメリカ


『恋の手ほどき』 ヴィンセント・ミネリ/1958年・アメリカ

話としては可愛くて楽しいのですが、肝心の歌がイマイチでしたねぇ。ダンスシーンもほとんど無いので全体的にやや地味目に感じられました。ただヒロイン役のレスリー・キャロンはとてもキュートで魅力的でしたね(「巴里のアメリカ人」から比べると、ずっと綺麗になっていて驚き!)。この作品、アカデミー賞を9部門も受賞したそうですが、当時MGMミュージカルにかげりが見え始めていたという事情が大量受賞に繋がったとも言われているようです。確かに良い作品ではありますが、こんなに賞を取るほどの作品かというとちょっと?かな〜というのが正直な感想かも。

『恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』 スティーヴ・クローヴス/1989年・アメリカ


『恋人よ帰れ!わが胸に』 ビリー・ワイルダー/1966年・アメリカ

ん〜面白いは面白いんですが、ワイルダー監督にしては脚本も演出もいまひとつキレがなかったような。。。ヒロインのキャラと魅力が弱いのもいただけません。レモンの個人技やマッソーとの掛け合いは楽しめたんですけどねぇ。コメディというよりは友情を描いた爽やかな人間ドラマでした。

『恋をしましょう』 ジョージ・キューカー/1960年・アメリカ

んーこれはちょっと。。。いや物語自体は楽しめたんです(イブ・モンタン演じる富豪クレマンにはまったく感情移入できませんでしたが)。笑えるシーンも多いし歌と踊りも良かった。ただモンローの表情に疲労と暗い翳がありありと見て取れてしまい、それが作品の明るさと衝突して純粋に映画を楽しむことができなかったんですよねぇ。昨日観た『バス停留所』の彼女とはまるで別人みたく生彩の失われた笑顔。顔もちょっとやつれ気味で。。。『七年目の浮気』ではノイローゼだったことを微塵にも感じさせない溌剌とした演技を見せてくれたモンローですが、本作ではもはや隠し切れないほど悪い状態になってしまっていた、という事なんでしょうか。

『項羽と劉邦・その愛と興亡』 スティーヴン・シン/1994・中国=香港

楚漢興亡史が一通り描かれているのでやや駆け足感は否めませんが、物語構成の歯切れが良く3時間飽きずに観れました。ドラマの焦点が項羽と劉邦それぞれの妻、虞美人と呂稚にあてられているのが面白かったです。2人が一緒に入浴するシーンは合戦の場面以上にエキサイティングでしたね(笑)。中国映画だけに映像的には全然きわどくないのですが妙に艶っぽいんです。何故かこの作品、お風呂のシーンがやたらにあったりします。それにしても気の強い女性を演じさせたらコン・リーは本当に存在感抜群ですね。「ワンチャイ・シリーズ」のヒロインでお馴染みロザムンド・クアン演じる虞美人も実に可憐でした。ちなみに総監修はチャン・イーモウ。

『攻殻機動隊』 押井守/1995年・日本

情報の海から生まれた意思体「人形使い」と、ほとんど機械化した人間・草薙素子が、お互いに抱える生命体としての矛盾を「精神の融合」によって解消しようとする、たったそれだけの話である。「生命とは?」「自己とは?」という完全に定義することのできない問題への挑戦や、独自の用語、仕掛けが何の説明もなしに頻出するといった作風は、確かに難解だし不親切な作品と言えるのかもしれない。ただ前者に関連する劇中(草薙を中心とした)のセリフの数々は、哲学や精神分析に少しでも興味を抱いたことがあるなら、非常に面白く興味深い内容であるし、擬似人格や偽りの現実の話は『ビューティフル・ドリーマー』や、後に作られる『アヴァロン』とも密接に繋がっている。また、氾濫するバセット・ハウンドや水溜りなどのいわゆる「押井印」も見逃せない遊びの要素だ(トグサのリボルバー「マテバ」をめぐるやり取りや、バトーの銃火器マニアっぷりもこれに含まれる)。後者は予備知識を必要とするが、それらを知った上で鑑賞すれば文句なしに楽しめる。だいたい説明的な描写やセリフの如何に野暮なことか。この作品の素晴らしさは80分という尺で収まっている点にもあるのだと確信する。光学迷彩や電脳が絡んだアクション演出と視覚効果は、緻密な銃撃戦の描写と相俟ってやたら格好良い。激しさの中に突然フッと現れる静謐な瞬間も好きだし、都市や人々の情景は陰鬱な美しさに充ちている。勿論、その雰囲気を醸成するのに、川井憲次の音楽が多大な貢献をしていることは言うまでもない。サイバーパンクの魅力が見事に凝縮されている傑作だと思う。ちょっと堅苦しい解釈だけれど、テーマの根幹にはニーチェの超人思想、そして『2001年宇宙の旅』のスターチャイルドがあるような気がする。ラストの聖書の一節は、ニーチェの「人は人たり得ないからこそ人を超え得る」という言葉と表裏一体をなすものに感じられてならない。

『交渉人』 F・ゲイリー・グレイ/1998年・アメリカ

ハリウッドらしい正義のドラマですね。ただ派手な爆発やら銃撃戦といった部分はオマケ的な扱いで、作品の最大の魅力は、何と言っても駆け引きの妙、凝った会話の面白さにあります。話しベタな同僚に交渉術を教えるシーンや、ローマンとセイビアンの緊迫感溢れる騙し合いなど飽きのこない展開が巧みです。キャスティングも絶妙で、サミュエル・L・ジャクソンとケビン・スペイシーは、どちらかと言うと地味な感じの俳優なんですが、それがかえってリアルな雰囲気を出しているし、何せ2人とも演技巧者ですから。ケビン・スペイシーなんてどうみても普通のオッサンにしか見えないんだけどなぁ(笑) この恐ろしいまでの存在感は何?って感じですね。ただラストは思ったよりも平凡だったのでそれが少し残念でした(と言っても途中まで「絶対こやつアヤシイ〜」と思っていた人物が実はイイ奴だったのにはすっかり騙されましたが笑)。

『河内山宗俊』 山中貞雄/1996年・日本

純粋可憐な甘酒屋の娘のために命を投げ打つアウトローの物語。清々しくてちょっぴり切ない「伊達と酔狂」の世界。流れるような弾むような会話の切れ味、そのユーモアと皮肉と愛嬌の絶妙な混ざり具合に山中貞雄の粋をみる。薄汚れた浮世の中で、原節子(15歳!)だけは別世界の住人であるかのような孤立した存在感を誇っていて、それが彼女のもつ聖性を一層際立たせている。あらゆる表情が美しい。そう、美しいと言えば、沈み込む原節子の横顔を捉えたアップショットの背後にふわふわと舞い落ちる綿のような雪の質感。暗い場面なのに思わず微笑んでしまった。凄い。

『こうのとり、たちずさんで』 テオ・アンゲロプロス/1991年・ギリシャ=仏=スイス=伊

「国境」という存在の不条理性を、難民や人種差別や国家や個人といった様々な角度から見つめることによって浮き彫りにしていく残酷な寓話。深刻なテーマを扱った硬派な作品ですが、「待合室」と呼ばれる難民隔離区画の魅力的な空間造形、失踪した政治家の捜索や政治家の謎めいた言葉と行動といったサスペンス的要素、一人の少女をめぐる緊迫した関係など、映像的にも物語的にも面白味は十分で見応えがあります。しかし、何と言っても圧巻なのは、川を挟んでの結婚式に尽きるでしょう。こんな物凄いロングショットの長廻しを見せられたらゴメンなさいと言うしかありません(笑)。このスペクタキュラーな映像演出こそアンゲロプロスの真骨頂ですね。最後のショットも美しすぎます。こうなるともう映像のメタファー云々とか言ってる場合じゃないです。ただただ感動。

『紅夢』 張芸謀/1991年・中国=香港


『荒野の決闘』 ジョン・フォード/1946年・アメリカ

冒頭の「オ〜マイ・ダーリン、オ〜マイ・ダーリン、オ〜マイ・ダ〜リン・クレ〜メンタ〜イン」で早くも目がウルウル(笑)。自分にとって最も美しい西部劇と言えばこれ。開拓時代の空気感や匂いが漂ってくるような素晴らしいショットの数々。野外ダンスの幸福感。ユーモア。極上のラストシーン。

『荒野の七人』 ジョン・スタージェス/1960年・アメリカ


『荒野のストレンジャー』 クリント・イーストウッド/1972年・アメリカ

主人公がいきなり女を犯してしまうアンチ・ヒーロー像、インディアンや小人の描写に見られる差別の逆転、愚かで偽善的な住人たち。これら反西部劇的とも言える要素と、陰鬱な暴力に満ちた復讐の物語には、西部劇というジャンルを闇に葬り去った(墓碑銘なき墓がそのことを象徴している?)時代そのものに対するイーストウッドの悲痛な怒りと絶望の隠喩が込められているのかもしれない。主人公の此の世の者ではないような、まるで神罰の執行者のような人物造形は、最後の西部劇作家としての皮肉に満ちた諧謔なのだろうか。本作の後に作られた『ペイルライダー』の主人公が牧師であり、敵から既に死んだ筈の人間として扱われていたことを考えると、この両作に見られる皮肉な諧謔性は、死んでしまった西部劇への哀惜の念がいびつな形となって作品に反映されたと言えるし、その一方で西部劇の死を絶対に認めたくないというイーストウッドのあがきのようにも思える。西部劇のヒーローがもはやヒーローとして振舞うことができず、あまつさえ亡霊としてしか存在しえなくなってしまったことの哀しさ・・・。単なる風変わりな西部劇では到底片付けることができない不気味な凄みを両作が持っていることは確かだ。赤く染まった町と町名札に記されたHELLという言葉。クライマックスで突然示される、視覚と文字の暴力性にも慄然とさせられた。まあ一番印象に残ったのは、すだれ頭でやたら臆病な床屋のオヤジだったりするのだけれど(笑)。

『氷の微笑』 ポール・ヴァーホーヴェン/1992年・アメリカ


『極私的エロス・恋歌1974』 原一男/1974年・日本

昔の恋人との繋がりを得る為にキャメラを回す、という口実で公認(?)ストーカーとなり、しかも今の恋人に録音係をやらせてしまう何とも大胆で破廉恥な恐るべきプライベート・フィルム。元恋人・武田美由紀の人間性が、生々しいやり取りの中で赤裸々に暴かれていくが、それが膨大な映像記録の一断片に過ぎないような、或いはそう思わせるかのような、何やら雑な印象を受ける編集になっているところが、巧妙でもあり歯痒くもある。しかし本作が2人の女性の出産シーンに及ぶに至って、もうそんなことはどうでもよくなってしまう。女性達だけで行われる自宅出産。少しピンボケの映像によって捉えられた生命誕生の瞬間。そこにはどんな理屈も感情もない、純粋な感動だけがある。神聖な儀式の前で、寡黙に、ただひたすらキャメラを回し続けていた原一男の心境や如何に。

『告発の行方』 ジョナサン・カプラン/1988年・アメリカ


『go』 ダグ・リーマン/1999年・アメリカ

同時進行で展開される3つの異なるエピソードが、最後ひとつに結びつくという『パルプ・フィクション』にちょっと似た設定の作品。で、演出は『トレイン・スポッティング』といった感じでしょうか(要するに今風の作りってやつですね)。どのエピソードも笑えるんですが、特に2番目のおバカな4人組みによるベガス珍道中が良かったです。このドタバタっぷりは観ていてスカッとしますね。デズモンド・アスキューという若手の男優と、サラ・ポーリー(ユマ・サーマン似のクール系美女)が印象に残りました。とぼけた会話の面白さやテンポの良さ、ラストのまとめ方も巧い!ってことでなかなか楽しめるコメディの小品でした。

『GO!GO!LA』 ミカ・カウリスマキ/1998年・フィンランド=英=仏

ハリウッドの裏側をコミカルに、皮肉っぽく描いたオフビートなラブコメです。オープニング・クレジットが建造物の後ろ側に隠れてしまったりとのっけからお遊びいっぱいの本作。「デッドマン」のポスターに映るジョニー・デップ(お〜本人!笑)の顔が動き出したりする、なんてのもほんのご愛嬌。当然登場人物もクセのある連中ばっかり出てきます。中でもリチャードと共に行動するヒッピーロッカーのモス。言葉にいちいち「ヨー」を混ぜる独特の喋り方が笑えます。演じるのはヴィンセント・ギャロ。相変わらず演技なのか地なのかよく分からない人ですが、存在感は抜群ですね。あとクラブのシーンに登場するレニングラード・カウボーイズというバンドが強烈!刺さりそうなくらい鋭いリーゼント頭が特徴の相当変な人達です(笑)。彼らとギャロのセッションライブはこの映画の見所の一つかも。それと女優陣ですが、モスの恋人役を演じるジュリー・デルピーの、のほほ〜んとした雰囲気が何ともキュートでした。ヒロイン役のヴァネッサ・ショウは美人なんですが、体格も顔の骨格も逞しすぎるのがちょっと・・・(^^; 最後の方でちょろっとだけ顔を見せるアヌーク・エーメ(「男と女」のヒロイン!)は、年を感じさせない美しさで思わず唸ってしまいましたねぇ。ハリウッドが主な舞台だけに映画ネタも満載、独特のユーモアセンスと言い、なかなか楽しめる小品でした。平凡すぎるラストがちょっと残念。

『ゴジラ』 本多猪四郎/1954年・日本

反核、反戦、科学文明に対する痛烈な批判。思っていた以上にヘヴィなテーマ性を持った社会派ドラマでした。陰影の深いモノクロや、芹澤博士のペシミスティックなキャラ造形が作品の雰囲気をひときわダークでおどろおどろしいものにしています。伊福部昭の音楽も抜群に良いですね。

『ゴースト・ドッグ』 ジム・ジャームッシュ/1999年・アメリカ


『ゴーストバスターズ』 アイヴァン・ライトマン/1984年・アメリカ


『ゴーストバスターズ2』 アイヴァン・ライトマン/1989年・アメリカ


『ゴーストワールド』 テリー・ズウィコフ/2001年・アメリカ

面白い。こういう脇道にそれた青春映画の方がアメリカ文化のリアルな側面が垣間見えて好きだ。台詞も捻りがあるし、一歩下がった位置から眺めるキャメラの冷めた視線も良い。風景の切り取り方がどこかジャームッシュを彷彿とさせる。いやがうえにも現実的な世界へと足を踏み入れなければならないハイティーン達の諦めと敗北を象徴するようなラストが切ない。ヒロイン演じるゾーラ・バーチとアンニュイ娘スカーレット・ヨハンソンの爆乳コンビが鮮烈だった。特にバーチの個性と演技力とムッチリ感(笑)にクラクラ。今後も要チェックの女優達である。ブシェーミも相変わらず最高。

『ゴダールの新・ドイツ零年』 ジャン=リュック・ゴダール/1991年・フランス

旧東ベルリン、フランス語音声とドイツ語音声、トーマス・マン『魔の山』、ジャン・ジロドゥ『ジークフリートとリムーザン人』、ヘーゲル『法の哲学』及び『哲学史序論』、ゲーテ『ファウスト』、ディズニー映画『不思議の国のアリス』、「カール・マルクス通り」の標識、リルケ『若い詩人への手紙』、レミー・コーション、トン・シュタイネ・シェルベンによる1969年の曲、ベルナール・ボルドリー監督作『緑青と呼ばれる女』、マルクス『ヘーゲル法哲学批判序説』、ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデの詩、ベルナール・ボルドリー監督作『女たちはどうでもいい』、ヘーゲル『哲学史講義』、チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』、シェルシ『ピアノ組曲第10番第7曲』、フリッツ・ラング監督作『メトロポリス』、ライナー・ベルナー・ファスビンダー監督作『リリー・マルレーン』、ヘーゲル『歴史における理性』、ロベルト・シオドマク監督作『別れ』、アンジェイ・ムンク監督作『パサジェルカ』、モーツァルト『弦楽五重奏曲ト短調:作品516終楽章』、「記念地:ブーヘンヴァルト」の標識、トーマス・マン『ワイマールのロッテ』、マルティーヌ・キャロル、リストの写真とコジマ・ワーグナーの写真、『使徒行伝』第16章28節、ベートーヴェン『交響曲第9番「合唱」第2楽章』のリストによるピアノ編曲版、プーシキンの叙事詩「前ぶれ」、ゲーテ『ファウスト』第1部「市前の門」、ヴィトゲンシュタイン『色彩について』第T部断章72、パスカル『パンセ』、ゲーテ『ファウスト』第1部「夜」、レオンティーネ・サガン監督作『制服の処女』、ジャン・ジロドゥ『ジークフリートとリムーザン人』第4章、ハインリヒ・フュスリ『沈黙』、ヴィルヘルム・ハウフの詩『騎士の朝の歌』、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督作『アレクサンドル・ネフスキー』、ストラヴィンスキー『三楽章の交響曲』、ジャン・ジロドゥ『ジークフリートとリムーザン人』第4章、『マタイによる福音書』17章1-13、アルヴォ・ペルト『ヨハネ受難曲』、アルチュール・オネゲル『交響曲第5番三つのレ』、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『イレネに介抱される聖セバスティアヌス』、グリューネヴァルト『磔刑』、カフカ『城』、グリューネヴァルト『聖アントワーヌの誘惑』、ドン・キホーテと東独の国民車トラバントを押すサンチョ・パンサ、リルケ『若い詩人への手紙』、ベートーヴェン『第7交響曲』のアレグレット、『詩篇』130章1、モーツァルト『弦楽五重奏曲ト短調:作品516終楽章』、ハイデガー『杣径』、リルケ『ヴァレーの四行詩』、ウェーベルン『弦楽四重奏のための緩徐楽章』、展示施設『恐怖の地勢学』、フリッツ・ラング監督作『メトロポリス』、ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』、クリストファー・イシャウッド『さらばベルリン』、「クララ・ツェトキン通り」の標識、ミハイル・チアウレリ『ベルリン陥落』、ジャン・ジロドゥ『ジークフリートとリムーザン人』第4章、フリッツ・ラング監督作『ニーベルンゲン』、ベートーヴェン『第7交響曲』のアレグレット、ロベルト・ロッセリーニ『ドイツ零年』、レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』、ボリス・バルネット監督作『青い青い海』、フリッツ・ラング監督作『メトロポリス』、トーマス・マン『魔の山』第7章、ベートーヴェン『音楽ノート』、クールベ『出会い』、バッハ『ブランデンブルク協奏曲』第6番、バッハ『フーガの技法』第18曲、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの手記、ドミトリー・ショスタコーヴィチ『ヴィオラ・ソナタ:作品147第3楽章』、ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデの詩、アンドレ・マルロー『侮蔑の時代』、ヤン・ヴァルティン『夜をのがれて』第41章、ヘーゲル『歴史における理性』、ゲオルグ・クリストフ・リヒテンベルグ、フロイト『続・精神分析入門』、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督作『戦艦ポチョムキン』、フロイト『夢判断』、トーマス・ベルンハルト『いにしえの巨匠たち』、フロイトの肖像、鈎十字とゲッペルスの写真、シューマン『子供の情景』第1曲、ロバート・シオドマク及びエドガー・ウルマー『日曜日の人々』、エルンスト・フォン・ザロモン、ドイツ民謡『あなたがわたしの恋人であることを・・・』、撮影所デーファ、マリー・ルイーズ、マレーネ・ディートリヒの音声、アナトール・リトヴァク監督作『女人禁制』、マルゴ・リオンの劇中歌『Leben ohne Liebe Kannst Du nicht』、ドミトリー・ショスタコーヴィチ『映画「ハムレット」の音楽による組曲』作品116第3曲「亡霊」、イングマール・ベルイマン監督作『闇の中の音楽』、『ハレルヤ』、ベルトルト・ブレヒト『暗い時代に』、フリードリヒ・ヘンダーリンの詩『生のなかば』、旧西ベルリン、フリードリヒ・ムルナウ監督作『吸血鬼ノスフェラトゥ』、ベートーヴェン『第7交響曲』のアレグレット、フリッツ・ラング監督作『怪人マブセ博士』、『マタイによる福音書』2.18、ハンスとゾフィのショル兄妹、ジュール・ヴェルヌ『インド王妃の遺産』、「マルティン・ルター通り」の標識、カール・グルーネ、カール・フロイント、フリードリヒ・ムルナウ監督作『最後の人』、オスヴァルト・シュペングラー『西洋の没落』最終章、タキトゥス『ゲルマニア』、アウシュヴィッツ収容所の正門に記された言葉『労働すれば自由になれる!』、ヒルデミット『ヴィオラとピアノのためのソナタ:作品11-4』第1楽章「幻想曲」、62分。という作品です。あ〜疲れた(^^;

これは、引用の原典や重要なキーワードを映画の流れにそって書き出したものです。DVDに封入されている解説ブックレットの「採録シナリオ」を参照しました。「ル・モンド」紙によるゴダールのインタビュー記事も収録されていて非常に読み応えのある内容です。固定キャメラによる厳格なショットの美しさや出演者の表情の素晴らしさ以外には何ら語ることがないし、また語ることもできないと思うので、とりあえずこういう形でお茶を濁しておこうかなと(笑)。それにしても何という濃密な1時間。この厳密極まりない構成と編集には鬼気迫るものすら感じられますね。ゴダール畏るべし。


『ゴッドファーザー』 フランシス・フォード・コッポラ/1972年・アメリカ


『ゴッドファーザーPARTU』 フランシス・フォード・コッポラ/1974年・アメリカ


『ゴッドファーザーPARTV』 フランシス・フォード・コッポラ/1990年・アメリカ


『孤独な場所で』 ニコラス・レイ/1950年・アメリカ

アンチ・ハリウッド精神に貫かれた異色ロマンス。殺人事件と男の暴力性、二つの不安要素が危ういながらも繋がっていた男女の関係を決定的な破滅へと導く。その過程が、適確なリズムと巧みな演出によってシャープに描かれていく。ボガートは神経症の脚本家を静かな凄みで演じ、その存在感は圧倒的。グロリア・グレアムも良い。キスシーンで見せる3度のまばたきは、愛情と疑念、相反する感情に揺れるヒロインを見事に表現している。ニコラス・レイの演出は、やや奇異な印象を受ける物語とは裏腹に、職人的な確固たる技術を感じさせるので、観ていてとても心地が良い。滑らかなカット繋ぎ、ビシッと決まった構図、美しいアップショット等々。それとスペイン風の中庭。華やかな舞台装置が物語の暗い性格と鮮やかなコントラストになっている。本作の持つ絶望的なまでの重さは、監督としての技量とは全く関係ない部分によってハリウッドを去らなければならかったレイの未来を予見しているようで切ない。呪われた50年代作家が残してくれた素晴らしい傑作。

『ことの次第』 ヴィム・ヴェンダース/1981年・西ドイツ


『子供たちの王様』 陳凱歌/1987年・アメリカ

青年教師と子供たちの心の触れ合いを描いた言わば月並な物語でありながら、まったく安心して観ることができない陳凱歌の魔術的な映像感覚。ミステリアスな音の使い方、演出の独特の間の取り方、美しいショットの数々。教師を演じる謝園の脱力した笑顔とスンゴイ寝ぐせ頭も忘れ難い。

『子供たちの城』 ビレ・アウグスト/1983年・デンマーク


『GONIN』 石井隆/1995年・日本


『この森で、天使はバスを降りた』 リー・デヴィッド・ズロトフ/1996年・アメリカ


『御法度』 大島渚/1999年・日本


『小早川家の秋』 小津安二郎/1961年・日本

気味の悪いホームコメディというのが観終わった直後の印象だった。カラッとした明るさと登場人物たちの笑顔に彩られていた物語は、司葉子の不吉な涙をきっかけにして何やら異様な様相を帯び始める。病床の中村鴈治郎が、突然白い着物、頭上に白い手拭いという出で立ちでヒョコヒョコ厠へ行く場面は陽気な幽霊を見るようで、かなり怖い。このあと作品は、前半と変わらない明るさのまま、ほのかに漂ってくる死の臭いによってズレを起こし、得体の知れない不気味な雰囲気を感じさせるようになる。無邪気な団令子によって、生も死も、宗教さえも混交曖昧になってしまう場面の奇妙なユーモア。パッと消えるような唐突さで物語から退場してしまう鴈治郎が可笑しくもあり哀しくもあり・・・。小津監督の死生観が濃厚に反映されている作品だと思う。杉村春子がチョイ役ながら強烈な印象を残す。サラッと恐ろしいことを言わせたらこの方の右に出る女優はいません。ひぃぃぃ。

『小人の饗宴』 ヴェルナー・ヘルツォーク/1970年・西ドイツ

施設に隔離された小人が所長の留守中勝手し放題暴れまくるという実にアナーキー且つ破壊的な作品。もう全員が「カッコーの巣の上で」のマクマーフィみたいなものですね(笑)。出てくる小人達の個性的な容姿や声、さらに刺激的なビジュアルの数々と耳に残る音楽が相俟って鮮烈な印象を残します。妙な解放感に浸れる不思議な魅力を持った作品です。

『コブラ』 ジョルジ・パン・コスマトス/1986年・アメリカ

まだ中学生だった頃、スタローン好きの友達と駅前の小さな映画館へ観に行った思い出の作品。と言ってもブリジット・ニールセンがフライドポテトに「ウソッ!?」ていうくらいケチャップをぶっかけて、幸せそ〜に食していたシーンしか覚えていません。主役だった筈のスタローンの顔がまったく思い浮かばないのは何故?いや、そもそもどんな内容の話だったんだろう・・・。う〜む。

『小間使の日記』 ルイス・ブニュエル/1963年・フランス=伊

不気味な作品です。表面的にはまともそうな人間でも必ず裏側には暗い何かが潜んでいるという・・・。それをブニュエル監督はブルジョワ階級の人々を素材に暴き出していくわけなんですが、本作ではさらにその毒に冒され堕落した、または堕落していく一般人達をも描くことによってより全体的な人間の本質をえぐり出しています。どうもブニュエル監督という人は人間の醜悪な部分を徹底的に見せつけるのが好きみたいですね。あとかなりの脚フェチらしく、随所にそれを感じさせるカットが挿入されていました(特にセレスティーヌがガーターベルトを外そうとする場面での脚の動きが何とも妖艶!)。セレスティーヌ役のジャンヌ・モローはクールな色香を漂わしながらもどこか気だるそぉ〜な雰囲気が作品の持つ頽廃的な世界にドンピシャでした。ところでこの作品、ラストでデモ行進する群衆が「シアップ万歳!」と叫ぶのですが、自分にはちょっと意味が分かりませんでした。後で調べてみて分かったのですが、実はこれブニュエル監督を反動家として弾圧した警察署長の名前なんだそうです。う〜ん、なんて毒のある皮肉だ。

『コマンドー』 マーク・L・レスター/1985年・アメリカ

もう10年以上前のTV放映を観たのが最後だと思うのですが、顔に迷彩のペインティングを施した筋肉オバケのシュワちゃんが大暴れしていたのだけはよく憶えています。ロケットランチャーやら火炎放射器(?)やら斧なんかを使ってジェイソンも真っ青の殺人鬼ぶりでした。確か娘が重要な役割を果たしていたような気もしますが思い出せません。仲間のオネーチャンが「コメンドォ」と素晴らしい発音で無線連絡していたのも強烈な印象として残っています(笑)。

『ゴヤ』 カルロス・サウラ/1999年・スペイン=伊

ん〜ストーリー展開があまりにも抽象的すぎてどうもピンときませんでした。明らかに脚本よりも映像を重視した作りになっていて、ゴヤの内面世界を視覚化したような息苦しさのあるセットや美しくも不気味な照明の数々が印象に残ります。映画というよりは舞台劇に近い感じでしたね。晩年のゴヤが回想に耽るという性質上、話が断片的になってしまうので、ゴヤ初心者の自分にはちょっと辛かったです。ただサウラ監督独特の夢幻的空間演出や美術は見応え十分、光の魔術師ストラーロの映像も相変わらずの美しさ!

『コーラスライン』 リチャード・アッテンボロー/1985年・アメリカ


『ゴールキーパーの不安』 ヴィム・ヴェンダース/1971年・西ドイツ

序盤からシネフィル・ヴェンダースが炸裂(笑)。映画館ではホークスの『レッドライン7000』が、ロングショットの風景にはアントニオ−ニが、夜の街の映像にはラングやニコラス・レイが、主人公が映画館の受付嬢(グロリアという名前はやはりグロリア・グレアムから?)を絞殺するシーンではヒッチコックが。本作の奇妙な面白さは、この決定的な出来事が起こってからの展開にあって、ここから映画はヴェンダース的(あるいはハントケ的)というしかない世界へと移行していきます。それは物語性からの逸脱または希薄化です。国境近くの村で淡々とした日々を送るだけの主人公、その行動には殺人犯としての切迫感は皆無だし、拘束される危険性すらもほとんど示されません。まるで殺人など無かったかのように話は曖昧に進行していきます。ただ主人公の表情は一貫して陰鬱で、それが言いようのない不安感を映像の表層に漂わせ、サスペンスフルな雰囲気を生み出しています。意味ありげに語られる村の子供の失踪事件も、ただ単に主人公が犯した殺人の事実を希薄化するための装置に過ぎないことが分かるとさすがに少し狼狽するのですが、そこから唐突に訪れる最後のシーンによってハッと気付かされるのです。それはサッカーの試合を見に来た主人公と観客の会話。主人公が熱心に語る奇妙なサッカー観戦の仕方は、その奇妙さ故に映画鑑賞のいささか皮肉めいた比喩的表現であることが分かります。つまり、本作の"物語のようなもの"は"死につつある映画(TVによって?)への危機感を象徴するもの"だったんですね。理由なき殺人というあまりにも映画的な出来事が起こりながら、どんどんその事実から遠ざかっていく反映画的な展開もそのように解釈すれば妙に納得がいきます。序盤の私的な映画史へのオマージュとも言える描写の数々も決してヴェンダースの自己満足的な戯れではなかったんですね。『ゴールキーパーの不安』とは「映画作家ヴェンダースの不安」だったのではないでしょうか。

『殺しのドレス』 ブライアン・デ・パルマ/1980年・アメリカ


『こわれゆく女』 ジョン・カサヴェテス/1974年・アメリカ

初めから既にこわれていたであろうジーナ・ローランズ扮する3児の母。不安感と緊迫感が、何事も起きないかのように装われた、あらゆる場面に見えない形となって潜伏している。あるところでは表層に噴出し、あるところでは影を潜める。その危うさの絶え間ない連続に、観ている方も神経が磨り減ってくる。何故、女はこわれてしまったのか?劇中で触れられることはない。いくつかのセリフと、ある身近な人物の表情が、ひとつの恐ろしい推測を生むが、真相は最後まで分からないままである。ジーナ・ローランズ。本当に凄い女優だ。凄いとしか言いようがない。彼女の所作はほとんど子供そのものだが、時には妻に、時には娼婦に、時にはバレリーナにだってなるのだ。何という演技!何という演出!!突然やってくるエンディング、張り詰めていたものがスッと解放されるような幸福感とともにある種の戦慄が走る。ええぃ、もう言ってしまおう、カサヴェテスは天才だっ!

『コンサート・フォー・ジョージ』

ジョージ・ハリスンの一周忌コンサートを収めた作品。いや〜凄い。インド音楽による厳かなオープニングから、モンティ・パイソンの尻出し(笑)、息子ダニー・ハリスン(若き日のジョージにそっくり!)を含めたジョージ・バンドによる極上演奏の数々。もう、のっけの「I Want to Tell You」から一緒に観た友人と声を揃えて「スゲぇ」「良いねぇ」を連発(笑)。ギター6人とドラム3人が生み出す音の厚みは圧巻の迫力です。トム・ペティの「Taxman」に唸り、クラプトンの泣きのギターとビリー・プレストンの躍動するキーボードが鮮やかに融合した「Isn't it A Pity」に陶然となる。そしてリンゴとポールが登場するに及んで興奮は最高潮に。ポールのウクレレとクラプトンのギターで前後半を歌い分ける「Something」、完璧な演奏による「While My Guitar Gently Weeps」には涙ちょちょ切れんばかりに感動。ジョージの曲の素晴らしさを改めて再確認しました。George Forever〜〜〜!!!

『コンタクト』 ロバート・ゼメキス/1997年・アメリカ


『コントラクト・キラー』 アキ・カウリスマキ/1990年・フィンランド=スウェーデン

職を失った小心の男ジャン・ピエール・レオーが殺人請負業者に自分殺しを依頼する、が、突如目の前に現れた花売り女に一目ボレ、一転死ぬのが嫌に。。。さぁどうする?という話です。ちょっぴり変なユーモアとハードボイルドが絶妙に絡み合うカウリスマキ流人間讃歌。暗い話、どん底な人々を描きながらいつもそこには温かい照明と豊かな色彩が溢れている切なくて優しい映像世界。好きですね〜。本作も退職金代わりの金時計(質屋でたった5ポンド!泣笑)や「この美しいグラスが死を望んでるか?」とレオーを諭す妙に憎めない殺し屋、場末のバーで唄うジョー・ストラマーなどカウリスマキ印の粋な小道具&キャラがいっぱい出てきて終始くすくすニヤニヤ。時折挿入される街の風景も相変わらず味わい深い。物語の最後の舞台となるフレンチ・ハンバーガー屋、そこのオヤジ、店主が「人生なかなか捨てたもんじゃないだろ?」ってな感じで煙草を燻らせつつマッタリしているラストショットが最高でした。なんて心地良い余韻だろう!映画の快楽エッセンスがたっぷり入った贅沢な80分です。

『コンドル』 ハワード・ホークス/1939年・アメリカ

キレのある語り口と味わい深いキャラクター造形が光る男達の友情とロマンを描いたドラマ。脇を固めるリチャード・バーセルメスとトーマス・ミッチェルがとにかく素晴らしい。ただ、主役のケーリー・グラントは作品の雰囲気に合っていなかったかも。容姿がスマートすぎて、どうしても冒険的な仕事に命を賭ける男には見えないんです。コーヒーポッドを絡めたジーン・アーサーとのコミカルなやり取りや、リタ・ヘイワースとのキスシーンで見せるお茶目な表情など、女優相手だと俄然輝きを増すところなんかはまさにグラントの面目躍如って感じなんですけどね(笑)。特撮を駆使した飛行シークエンスは今観るとさすがに少し古臭いのですが、ダイナミックでスピード感溢れるモンタージュがそれを補って余りある臨場感を生み出しています。結末が何とも粋で爽快、これぞホークス!

『コンプリート・ビートルズ』 パトリック・モンゴメリー/1982年・アメリカ


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