H24年12月21〜28日  九州一周の旅


年末の慌しい時期に九州一周の旅7泊8日

往復を入れると約10日間のキャンカーの旅に出掛けてきました。

九州内を反時計回りにほぼ一周してきましたが

↓がそのルート図です。



1日目(21日)

20日の夕方5時に我が家を出発して

夜通し走り続けて午前3時に

九州が目の前の壇ノ浦PAに着きました

夜食にラーメンを食べて3時間ほど仮眠したら

うっすらと夜が明けてきて

関門橋の向こうに対岸の門司辺りが見えてきました
九州自動車道の大宰府ICで高速を降りて

『太宰府天満宮』の駐車場に着くころに

生憎と雨がポツポツと当たるようになりました

参道は思っていたより狭くて

商店街も狭い地域に密集した感じでしたね
天神様といえば牛と梅の花ですよね
菅原道真公の有名な和歌

東風吹かば・・・・・の歌碑
心字池に掛かる太鼓橋を渡って行きます
立派な楼門ですね
『御本殿』

灯篭の陰になっていますが

本殿の右手前の梅の木が主の道真公を慕って

一夜にして都から飛んできたといわれる

神木の『飛梅』だそうです
生憎と雨が本降りになってきてしまって

慌しい参拝となりました

ゲンママがお守りを買いに行っている間

楼門の屋根の下で雨宿りをしている時には

ゲンさん達は韓国からの団体さんに囲まれて

盛んに携帯やデジカメで撮られていました

その中の一人でゲンさんを撫でてた子が

飛び切りの美人さんだったので

画像を撮っておくんだったなあ(笑)
大宰府名物といえば『梅ヶ枝餅』

暖かい出来立てのを

ゲンママがペロリと食べちゃいました(笑)
当初は吉野ヶ里遺跡に行く予定でしたが

雨が本降りになってきて犬連れには厳しいので

予定を変更して『唐津城』に来ました

でも生憎天守閣の石垣の修理中で

ろくな画像は撮れなかったですね〜

どちらにしても鉄筋コンクリートの天守閣なんで

イマイチなんですけどね
松浦川の河口の突端に在るお城です

左の長い海岸線が『虹の松原』
お城下の市営駐車場ですが

ここから最近宝くじ当選祈願で有名になっている

『宝当神社』の在る高島に渡る

海上タクシーが出ていました

歩道橋を渡った対岸の渡船場からは

定期船も出ているようです
ゲンさん鉄砲狭間から何か見えるかな?
唐津から海岸沿いの国道204号を走って

道の駅『桃山天下市』に来ました

ここで昼食休憩にしました
ゲンママが注文した佐賀牛を使った『焼肉定食』
すぐ近くにイカで有名な呼子の港が在るので

ゲンパパは『いか活造り定食』

とっても美味しかったですが

地元の割には観光地のせいか

値段は少々高めな設定ですね〜
いか活造り定食に付いてる『いかシュウマイ』



昨夜は3時間ほどしか寝てないので

食後に駐車場で少し昼寝していました
道の駅の目の前に在るのが

豊臣秀吉が朝鮮に攻め入る時に

前線基地として築造した『名護屋城跡』

当時としては大阪城並みの規模だったようで

かなり大きな城跡です

もちろん今では石垣くらいしか残っていませんが

生憎と入口近くの佐賀県立の名護屋城博物館

内部の耐震工事中で休館していました(泣)
天守閣跡の礎石です

晴れていれば絶好の玄界灘の景色が楽しめたのに
アチコチ発掘中なのかブルーシートで覆われてますね
自然の海岸の岩山を利用して

大規模な石積みした城跡です
周囲の広範囲の山々に

徳川家康などの戦国大名の陣跡が点在していて

非常に興味をそそられます

でも当時の大名達は秀吉の誇大妄想に付き合わされて

非常に迷惑な事だったでしょうね〜
名護屋城跡から伊万里市を通過して

松浦市の道の駅『海のふるさと館』

夕闇が迫る頃に到着しました

今夜の仮眠場所です

7時まで売店が営業していたので

ちょっと中で買い物中
道の駅から1キロほど街中に入ったところの

『松浦シティホテル』で入浴と食事にきました

食事客は入浴料500円が無料になりました

ゲンママの注文した『松浦水軍丼』
ゲンパパの注文した『特上すし御前』
すし御前には和牛ステーキも付いてます

ここは値段もお値打ちでお勧めのレストランですね

入浴が目的で来たのですがラッキーでしたね



2日目(22日)

九州上陸2日目の朝です

今朝もイマイチ雨模様の天気ですね〜

あまり幹線道路では無いせいか

非常に静かな夜を過ごせた道の駅でした
隣が公園なので散歩するには便利な道の駅ですね

さあ次の平戸を目指して出発です
平戸城跡に着きました

初めて知ったのですが

平戸って平戸島と言う島に在ったんですね
城跡に在る『亀岡神社』
入場料を払ってゲンパパだけ登城してきました
鉄筋コンクリート造の天守閣
隅櫓も何ヶ所か復元されています

雨模様なので霞んでて遠望が利かないですね〜
こじんまりとした湾内の港です
オランダ橋(幸橋)

背後の茶色い建物は市庁舎です
平戸港交流広場の駐車場から見える平戸城

雨でズームの写りが悪いですね
平戸の観光写真に載ってる代表的な風景の

寺院と教会が見える風景の路地ですが

肝心の教会が雨に煙ってうっすらとしか見えませんね
近づいてみるとこんな感じの

聖フランシスコ・ザビエル記念教会
石段の上が『松浦資料博物館』

平戸藩主松浦家の屋敷跡です

江戸時代を通じて藩主が松浦家から

変わっていないのは珍しいですね
平戸から佐世保を通り西九州自動車道から

長崎自動車道に入って

途中の大村湾PAで昼食にしました

ゲンママの注文した長崎名物『皿うどん』

愛知県では『あんかけ焼きそば』とか

『ばりそば』とか言う物ですね
ゲンパパの注文した長崎名物『ちゃんぽんめん』

両方ともPAの食堂にしては

期待した以上に美味しかったですね

でも肝心の長崎は以前に行った事が有るので

今回はパスです(笑)
諫早ICから高速を降りて

当初は雲仙温泉方面に行く予定でしたが

雲仙岳は雨雲の中に隠れていたのでパスして

海岸線を島原市方面に向かい

『島原城』に着きました
天守閣に登ってみましたが

まだ雲仙普賢岳は雨の中に隠れていますね
島原城は初代藩主の松倉重政が

わずか4万石の領主なのに

見分不相応に張り切って

立派過ぎる城を造ってしまった為に

領民に重税を課したので

後の島原の乱を引き起こす要因にもなっていますが

乱後に責めを負って松倉氏は取り潰されて

松平氏の居城になりました
鉄砲町の水路を挟んで

石垣の塀が続く武家屋敷街

狭い道を車が通って来たのにはビックリでした
島原港のフェリーターミナルに着きました

普賢岳はまだ頭を隠してますね〜
フェリーに乗って熊本港に向かいます

島原熊本間のフェリーは二つの会社が運航していて

今回は料金の安い九商フェリーに乗りました

入口が並んでるので事前に調べてないと

どちらにするかちょっと迷いますね
客室はこんな感じです
夕方になってやっと晴れ間が見えてきて

雲仙普賢岳が姿を現しました
乗船客が売店でカッパエビセンを買って出て行くので

何しに行くのかと思ったら

船尾のデッキでカモメに食べさせていました

ゲンママは居合わせたオジサンに半分貰って

ちゃっかり食べさせていました(笑)
フェリーを降りて熊本港から40分くらい走って

道の駅『不知火』に来ました

道の駅の食堂が7時までの営業なので

間に合うかどうか心配でしたが

6時30分位に入って

なんとか夕食にありつけました

ゲンパパの注文した『お刺身定食』
ゲンママの注文した『魚煮付定食』

どちらもお値打ち値段で美味しかったですね〜

特にブリのアラ煮は絶品でした

食後にワンコ達にも食事をさせてから

道の駅に併設されている温泉に入って

静かな2泊目の道の駅泊になりました



3日目(23日)

朝イチで『熊本城』に来ましたが

西大手門に近い二の丸駐車場が8時開門なので

入口で先頭に並んで20分ほど待機していました

駐車場に車を停めて大手門に向かおうとすると

駐車場脇の事務所の様な建物から

『熊本城おもてなし武将隊』の装束を着た人が出てきたので

一緒に記念撮影して貰いました

後ほど調べたら

戦国武将の加藤嘉明の役の人でしたね
『西大手門』に向かいます
ここはもう開門されていて入れますね
大手門の手前で声を掛けて頂いた

地元のゆうゆうさんに案内されて

入場券売り場に向かいます

ゆうゆうさんは武将隊のファンなので

いつもお城に来られてる様ですが

なんと年間パスポートが1.000円だそうで

自分も地元なら買いたいところですね〜
これは最初の築城当時から残る『宇土櫓』です

残念ながら左側の石垣が修理中でイマイチな画像です
城主の加藤清正さんの口上で入場口の開門です
エイエイオー!

の掛け声でいざ開門(笑)
このイケメンの武将は

加藤家三傑の森本義太夫さんかな?

HPのプロフィール画像と雰囲気変わってるので

ちょっと自信無いですが
ゲンさんを引いてるのは

加藤十六将の木村又蔵さん

体格も良くて戦国武将の雰囲気を醸していて

なかなか秋田犬と似合ってます

出来ればゲンさんが

もう少しキリッとした顔をして欲しいけど(笑)

左側は賤ヶ岳七本槍の糟谷武則さん
男性的なたたずまいの熊本城
大天守と小天守が並んでいて

圧倒的な迫力が有ります

明治時代の西南の役で破壊されたのが惜しまれます

コンクリート造で無く是非木造で再建して欲しいなあ

名古屋城も現在本丸御殿を木造で再建中だけれど

天守閣の方を木造にすれば良かったのに
石積みがとりわけ高くて見事ですね
再建された本丸御殿の下を通って

天守閣入口の有る広場に出て行きます
天守閣入口前の広場
ゲンパパだけ天守閣に登城してきました

最近再建された本丸御殿

案外小さいけれど

これで当初建てられた建物の全てなのかな?

加藤氏に続いて城主になった細川氏は

あまりにも戦時向きの城の御殿には住み難くて

別に御殿を造って住んでたってTVで以前見たけれど
『宇土櫓』

櫓と言っても他の城では天守閣並みの規模ですね
宇土櫓の最上階から写した天守閣です

はるかに高いですね
ゲンさんの後ろは『二様の石垣』

傾斜の緩いのが最初の石積みで

手前の急な隅石が細川氏になってからの

本丸御殿増築時に造られた石積みです
『二様の石垣』と天守閣

右側の緩い石積みの方が

傾斜が自然で綺麗かな?
築城400年を記念して造られた『城彩苑』

武将隊のイベントなども行われるようでしたが

城内が広くて見るのに時間を取ってしまったので

この先も有るので惜しいですが出発しました

熊本城にはまた是非訪れたいですね
熊本から九州自動車道に入って

宮原SAで昼食にしました

ゲンパパの注文したラーメンセット

チャーハンが少し暖め不足でしたね
ゲンママの注文した『炙りチャーシューメン』
人吉ICで高速を降りて

相良氏の人吉城に寄ってみました

再建された門ですが

看板が出てたけれど何門か忘れちゃいました(笑)
人吉と言えば球磨川下りで有名なので

一応観光地だとは思うのですが

人吉城はイマイチな整備状態なのかな?
ここが唯一の登城口の石段の様ですが

看板らしきものも見当たらないので

上がって行って良いのどうか迷いましたね
ここが最上部の本丸跡ですが

元々天守閣は造られなかったようで

ガラ〜ンとした山中です

相良氏は鎌倉時代から続く領主のようですが

元々は遠江の国の出身のようでしたね

そう言えば静岡県牧之原市に

田沼意次が藩主だった事も有る

相良藩って有りましたね
城近くの市街に在る『青井阿蘇神社』

立派な茅葺屋根の楼門

行くまで全く名前も知らない神社でしたが

地元では有名な神社のようですね
拝殿も茅葺ですね〜
ちょっと変わった注連飾りですが

なにか謂れが有りそうですね
人吉から再び高速に入って

宮崎自動車道の高原ICで降りて

『霧島神宮』に来ました
標高が高いせいか

陽も傾いてきて寒い境内ですが

まだ参拝客は大勢来ていました
3匹揃って記念撮影

この時ゲンパパの横には参拝客がずらっと並んで

ゲンさん達を盛んに撮影していました

行く先々でモデル業で忙しいワンコ達です(笑)
当初予定していた入浴と食事の出来る日帰り温泉が

食事が予約客で満杯で出来ないと言われてしまい

まあ年末の連休のど真ん中なので無理ないですが

急遽神宮入口の観光案内所で教えて頂いた

『黒豚の館』というお店に

15分ほど走って来ました

館って名前に付いてるので

大きなドライブインの様な建物を想像してたのですが

案外こじんまりとした食堂でした(笑)
↑はゲンパパの注文した『黒豚ロースカツ定食』


→はゲンママの注文した『黒豚の巣ごもり定食』


↓は追加で注文した『黒豚蒸しギョーザ』


どれも美味しかったですね〜
食後は近くの部落の中の日帰り入浴施設

霧島温泉『神乃湯』で温泉に入ってきました

ここは銭湯スタイルで

シャンプー石鹸類は設置して無かったですね

でもなかなか良い温泉でしたよ

当初道の駅『霧島』で車中泊予定でしたが

この夜は寒波でビュービュー風に白い物が混ざり

とても山の斜面の吹きっさらしの駐車場では

ユックリ寝られそうも無いので

観光案内所の駐車場で一夜を過ごしました



4日目(24日)

車内でコーヒーを沸かして朝食を済ませて

霧島から南下して鹿児島湾(錦江湾)に向かいました

少し雲が掛かってますが桜島が見えていますね
少し遠いですが左の尾根から噴煙も見えてきました

桜島への国道沿いには

黒酢を作るカメの置かれている所が頻繁に有りました

黒酢レストランと看板に出てたので

黒酢の料理でも出す店かと思ったら

どうもそうじゃ無くて黒酢の直売店のようでした
溶岩の崖の間をフェリー乗り場に向かいます
途中の展望台に寄ってみました

噴煙がこちらに向かって吹いているので

ちょっと硫黄臭いですね

足元には火山灰が薄っすらと積もっていました
フェリーターミナル近くの展望所の眺めです

山は御岳(おんたけ)と云うそうですが

最高部分の北岳は1.117mも有るんで

けっこう高い山なんですね
道の駅『桜島』火の島めぐみ館に売ってた桜島大根

デカイっす!
桜島から鹿児島市街に向かう『桜島フェリー』

車検証を見せて乗船手続きをするのかと思ったら

有料道路の入り口の様な所で

係員に車の全長と乗車人数を口頭で申告して

料金を払って即乗船でした

24時間運行していて

自分達が乗った9時台は10分間隔で出ているので

船と言う感覚じゃないですね
たった15分間の船旅です(笑)
真新しい綺麗なフェリーの船内です
あっという間に鹿児島港に着きました

船から降りたら駐車スペースも無く

いきなり一般路を走り出さないといけないので

船内ではGPSの電波が届かないのでナビ設定出来ず

どちらに行ったら良いか焦りましたね(笑)
市内電車の線路敷が芝生になってるのは

珍しいな〜と思いましたね
鹿児島から知覧に行く為に

指宿有料道路を走ってきました

途中の駐車場に停めて

桜島と鹿児島湾をバックに記念撮影です

この道路は一応観光道路だと思うのだけれど

道路の左右は樹木が生い茂っていて見通しが悪く

PAなども殆ど無くて

通ってる車も極端に少なかったですね

一般路を通った方が景色が良かったかな?
昨夜はここら当たりでも雪がぱらついた様で

ベンチの上に少し雪が残っていました
南九州市の『知覧武家屋敷街』に来ました

駐車場近くのお店で500円の入場券を買うと

見学可能なお庭には共通して利用出来ました
石積みの外塀は沖縄に共通する雰囲気ですね
移築された建物ですが

やはり沖縄風の南国っぽい雰囲気です
作庭にあまり興味は無いのですが

素人に手入れは難しいので

けっこう管理するの大変なんですよね
石垣と植栽で完全に目隠しされているので

かなり閉鎖的な感じがしますね

武士団が住んでた地域なので

戦時防御の意味合いも強いのかな?
ここは森重堅(もりしげみつ)庭園
西郷恵一郎庭園
島津の家紋に床の間の鎧と

縁側で日向ぼっこする猫ちゃん
武家屋敷街から2〜3分車で移動した所の

『知覧特攻平和会館』も見学してきました
特攻平和会館などの在る

ミュージアム知覧の駐車場近くの

「知覧パラダイス」というお店で昼食にしました

系列店共通の名前かもしれませんが

イマイチ場違いなネーミングですね
ゲンパパの注文した『鶏飯定食』

奄美大島地方の郷土料理だそうです
ゲンママの注文した知覧名物『といのずし』

どちらも美味しかったです
知覧から南下して海岸線に出て

国道226号から『開聞岳』を眺めています

別名『薩摩富士』ですかね

標高は924mだそうです
指宿市の休暇村『指宿』に着きました

ここのフロントでキャンプ場の受付をして

ここで後ほど入浴をするので

指宿温泉名物の砂蒸し風呂の入浴券も購入しました
キャンプ場の管理棟

通年営業ですが閑散期なので無人ですね

ここにコインランドリーなども設置されてるので

キャンプ場を利用した主な目的の

洗濯物を片付けました
キャンプ場近くを散歩です

背後の島は無人島で

大潮の干潮時には砂浜を歩いて渡れるそうです
先客の2台は長期滞在の大型キャンカーです
キャンプ場と交渉して料金をかなり割安にして貰い

春まで滞在するそうですが

電気水道使い放題なので

アパートを借りるより安そうでしたね

でも指宿は良さそうな所ですが

何ヶ月も1箇所に居るのは飽きそうですね(笑)
この日はクリスマスイブなので

家から持ってきたワインと

指宿市街入口のスーパーで買ったチキンで乾杯です

後は同じくスーパーで買った

真空パックのシチューと御寿司という

アンバランスな食事となりました(笑)

今日でほぼ全行程の半分ほどを消化した訳ですが

天気がイマイチな日が多かったので

明日からの後半は晴天が続いて欲しいものです



5日目(25日)

大隅半島に渡る為に

指宿の隣の山川港まで来ました

フェリーは午前8時の出航ですが

船が小型なのと予約が出来なく先着順なので

万一乗れないと困るので1時間ほど早く到着しました
山川〜根占(ねじめ)間の『フェリーなんきゅう』

こじんまりとしたフェリーターミナル

まだ受付は開いてなくて7時半からの営業でした

ポツポツと地元の人達が待合室に入って来たので

乗船する人かと思ったら

港にバス停が有るので殆どがバス待ちの人達でした(笑)
10台も車が乗ったら満車になりそうな

小型のフェリーです

この日は全部で5台くらい乗ってたかな

うちの車の前にバキュームカーが乗せられたので

臭くて閉口しましたね(笑)
さあ薩摩半島にお別れです

開聞岳がうっすらと見えてますね
全部で24席しかない小さな客室

大隅半島の根占(ねじめ)港まで50分程の船旅です
根占港が見えてきましたね

この日はあまり風の無い朝でしたが

船が小さいので多少揺れを感じましたね
九州の最南端の佐多岬へ行こうと走ってきましたが

手前の駐車場まで来ると

灯台へ通じる遊歩道入口のトンネル手前に

『展望台の取り壊し工事の為灯台まで行けません』

の看板が出てました

ガ〜ン!

なんてこったい

仕方ないので途中の神社まで行く事にしました
暖かい地方なので

亜熱帯雨林のジャングルの様な境内です
無人のこじんまりとした『御崎神社』

ここから周りの景色はまるで見えず

ガッカリな佐多岬でした
トボトボと駐車場への坂道を帰ります

佐多岬はもっと観光地かと想像してたのですが

な〜んにも無い所だったんですね〜

北海道の最北端宗谷岬で売ってた様な

車に張るステッカーを買いたかったのですが

途中の道の駅『根占』で売ってたのは

貧相な雨に濡れたら剥がれそうな代物だったので

一応買ったのですが何処かに仕舞い込んじゃって

帰ってきて見つかりません(笑)

まあ収穫は途中の道路で見掛けた

猪と猿の群れくらいかな(笑)
佐多岬から鹿屋市街を抜けて

都井岬に行く途中で

道の駅『くにの松原おおさき』に寄って昼食にしました

ゲンママの注文した『おおさきそば』

大崎町産の鶏・くず・大根・ちりめんを使った

食べるラー油付きです

ゲンパパは『黒豚ラーメン』を注文したのですが

画像を撮り忘れちゃいました
『都井岬』の灯台まで来ました
吹きっさらしで寒いです

冬なのに天気がイマイチで遠くが見えないですね〜
こっちが四国方面になるのかな?
野生馬はもっと群れをなして

たくさん居るのかと思ったら

途中の道路脇に

数えるほどしか見掛けませんでした
じゃれあって走り回ってた2頭
都井岬から飫肥(おび)城下に寄りたかったのですが

佐多岬へ行くのに時間を取り過ぎてしまったので

今回はパスしてどうしても寄りたかった

日南市の『鵜戸神宮』に来ました

初詣の準備が整ってますね
立派な楼門
海岸の石段を下った所の岩屋に本殿が建っています

本殿の真後ろに『乳岩』が有りますが

謂れは神宮のHPを見て下さい

参拝客が覗いている海岸の岩穴に

カワラケを投げ込むようになっていますが

ゲンパパは三つ投げて一つ入りましたね
奇岩の並ぶ海岸線
老体のゲンさんには結構辛い石段です
ゲンママが社務所でお札を貰っている間に

入口で記念撮影

ここも中国か韓国かは分かりませんが

大勢の観光客が来ていましたが

最近減っているそうですが

でも九州の行く先々で

かなりの大陸からの団体さんに出くわしますね
今夜は道の駅『フェニックス』で車中泊するつもりで

取りあえず近くのホテル『青島サンクマール』

入浴と夕食に来ました

ここは会席料理しか有りませんでしたが

フロントで予約して温泉に入ってから

海鮮鍋の会席料理をいただきました

今回の旅で一番の豪華な食事でしたね〜

おりしもクリスマスだったので

ホテルの特別なサービスも有りました



6日目(26日)

昨夜は国道から脇道に入っていて静かな道の駅『フェニックス』で車中泊するつもりでしたが

さあ寝ようと思った午後10時頃に爆音を響かせて暴走族が集まりだして

どうやらクリスマス集会を始めるつもりらしく

とても直ぐに移動する様子も無いので

こちらが退散する羽目になりました。

近くに他の道の駅も無さそうなので暫く走って

宮崎ICから宮崎自動車道に入り清武JCTから東九州自動車道の宮崎PAに辿り着いて

ここで一夜を過ごす事にしました。

この高速道は通行量も少なくPAも小さくて閑散としていて安眠出来ましたね。

楽しい九州の旅でしたが唯一不愉快な宮崎での出来事でした。

事前の計画では

青島神社や鬼の洗濯板を見る予定でしたが

今更後ろへ戻る気にもならないので

宮崎PAから暫く高速を走り

途中で高速が途切れて

国道10号に降りたりしながら

延岡市から山間部に入って来て

高千穂町の『高千穂神社』に着きました
有名な神社にしては

案外こじんまりとした高千穂神社境内でしたね
拝殿もあまり大きくないですね

この境内の神楽殿で毎夜観光神楽が行われるようです
拝殿の左側に在る『夫婦杉』

この周りを夫婦・恋人・友達と手を繋いで三度回ると

縁結び・家内安全・子孫繁栄の

三つの願いがかなうそうです

我が家は家内安全かな?
高千穂神社から車で10分ほどの所に在る

『天岩戸神社』に来ました
『天岩戸西本宮』

ここでお祓いを受けると

この奥の天岩戸を拝観出来るようですね
天岩戸西本宮から谷川沿いに10分ほど歩いた所の

『天安河原』に来ました

天照大神が岩戸にお隠れになった時に

神々がこの河原に集まって相談したという場所ですね

神秘的な雰囲気ですが標高も高いので

とにかく寒かったですね〜
高千穂神社近くまで戻って

道の駅『高千穂』の食堂で昼食にしました

ゲンパパの注文した

『チキン南蛮定食と高千穂牛のコロッケ』
ゲンママの注文した

大根おろしとお餅の入った

『みぞれ手力うどん』

もちろんどちらも美味しかったですよ
道の駅から高千穂神社の脇の道を通って

途中から小型車しか通れないような

狭い急な道を谷に向かって降りていって

狭い有料駐車場に車を置いて

高千穂峡の遊歩道を少し歩いてきました
駐車場脇の『御橋』から見える『真名井の滝』

犬連れでなければボートに乗ってみたいですね
ゲンさんも見たいかね?
遊歩道側から見た『間名井の滝』
「思っていたより狭いな」という印象でしたね
陽の光の指し加減で

谷川の色が変化して見えるのが印象的でした
高千穂からは国道を阿蘇の外輪山の裾野を通って

豊後竹田まで行く予定でしたが

どうもナビの設定を間違えたらしくて

勝手に峠越えの狭い県道を通らされてしまい

対向車も殆ど無く心細い山道でしたが

途中で見えた雪を被った山並みは

九重連山なのかな?
竹田市の市街地に入って道に迷いながら

九重連山の見える豊後竹田城(岡城)

の駐車場に着きました
こちらの石垣の見える山肌が岡城跡ですね
城跡は石垣くらいしか残っていませんが

駐車場の受付で入城料300円を払って見学です
登城口からの急な石段
急な坂道を登っていきます
山の尾根沿いに造られた

かなり大きな山城ですね

初代藩主は秀吉の家臣だった

中川秀成(なかがわひでしげ)ですが

関が原の戦いで勝敗が決した後に徳川方に転じて

近隣の西軍の城を攻めて

所領を安堵されたようです
城内に重臣の屋敷跡も在ったりして

かなり広い城跡です

もともと天守閣は造られなくて

本丸隅に在った御三階櫓が天守代わりだったのかな
二の丸跡に在る『滝廉太郎』の銅像です

彼は幼少の頃父親の仕事の赴任先の関係で

2年ほど竹田に住んでいたようで

作詞した『荒城の月』はここがモデルのようですね

城は石段が多いので

ゲンさんお疲れのようです(笑)
向こうの石垣は西の丸跡のようですね

一旦下ってまた登らないと行けないようなので

ゲンさんもお疲れなので今回はパス
城下を少し歩いてみたかったのですが

夕闇が迫ってきていたので

今回は車中から眺めただけでした

冬季は日暮れが早いので慌しいですね〜
竹田市萩町の『萩の里温泉』に来ました

ここは食事の定食と入浴のセット券が

1.000円というお値打ち価額で

おまけには野菜券が付いて帰りに大根と白菜を貰えました

旅行中なので持ち帰るか迷いましたが

白菜は新聞紙で包んでいただいて貰ってきました(笑)

サービス満点で凄く繁盛しているようでしたが

地元の農協さんが経営している施設のようでしたね

来ている地元の人達の人懐っこい笑顔が印象的でした

この夜は国道57号沿いの道の駅『すごう』が車中泊地でした



7日目(27日)

道の駅『すごう』で朝の散歩です

ここは大分〜熊本間の

長距離路線バスの休憩所を兼ねたバス停のようで

時々トイレの前のバス停に路線バスが出入りする以外は

非常に夜は静かな道の駅でしたね

この朝は九州に入ってから珍しく好天で

放射冷却で非常に寒く

道の駅脇の草地にも霜がビッシリ降りていました
竹田市から臼杵市に向かい

臼杵市街手前の臼杵石仏を見学に来ました
入城料を払って見学してきましたが

今は寺院等は殆ど残っていませんが

石仏が造られた当時には

かなり大規模な寺院が存在したようで

遺跡発掘の場所が石仏の在る山肌の前の平地に

公園として整備されていました



これはホキ石仏第二群の『阿弥陀三尊像』
ホキ石仏第一群の『如来三尊像』

うっすらと赤色なども浮かんでるので

当初は彩色された石仏だったようですね

下に開けられた穴は何の目的だったんでしょうね?
ホキ石仏第一群の

中央に地蔵菩薩を据えた『地蔵十王像』
『山王山石仏』

童顔の可愛い顔をした三体の如来坐像です
一番奥の『古園石仏』

中央は大日如来像

太い大きな線香を上げてきました

駐車場脇に在った

『ヤマコ臼杵美術博物館』を見学してきたのですが

臼杵城主の稲葉家の資料等を展示していましたが

この名前に付いているヤマコというのは

我が家の隣町の愛知県安城市に在る

海苔製造販売会社なんですよね

経営者とこの地に何か関わりが有るんでしょうかね〜?
臼杵市街に入って

『臼杵城跡』に来ました

稲葉家(五万石)の居城ですが

美濃出身の稲葉家は外様大名で

もう一つの春日の局に関わりのある

譜代の稲葉氏とは別家系のようですね
鳥居が建って神社の入口の様ですね
現存する『畳櫓』
この『大門』は再建された新しい物ですね
城内はかなり平坦な縄張りの造りですね

今は市街地の中ですが

元々は海岸の島の岩山に造られた

天然の要害を利用した城郭のようでした
『天守閣跡』

こちら側には何も残っていませんが

反対側の生垣の向こうには

多少石垣が残っているようでした
街中を少しブラブラしてきました
お寺の在る狭い小路が

多少城下町の雰囲気を残しているようです
電線は地中化されたのか

電信柱などが無いのが良いですね
自分は全く読んだ事無いので初めて聞く名ですが

『野上八重子文学記念館』
『稲葉家下屋敷旧平井家住宅』

明治になって稲葉氏が里帰りした時に住んだ屋敷ですが

建物の中には展示物は殆ど無かったですね
臼杵市から杵築市に向かう途中の

大分自動車道の『別府湾SA』

上下線共通のSAのようですね
後ろに見えるのは何て山なんだろう?
SA内のお店で昼食にしました

ゲンパパの注文した『ビーフカレー』
ゲンママの注文した『とり天定食』

まあ両方とも普通のSAの味ですかね(笑)
大隅半島の根っこ辺りに在る杵築市

『杵築城跡』まで来ました
岬の突端の様な所に建つ模擬天守

幕末には松平(能見)家

三万二千石の居城だったようです

能見松平家は今の岡崎市能見町辺りに領地の在った

三河松平氏庶流の家系ですね
別府湾に注ぐ『八坂川』
こちらの河口が別府湾ですね
天守閣の前でワンコは待機中
お〜いゲンさん

こっちこっちだよ〜
杵築市から国道10号を走って

豊後高田市に少し入った所の山中に在る

『熊野磨崖仏』に寄ってみました
自然石を乱雑に積み上げたような

百段あまりの急な石段です

まあ歩き難いったらない石段ですね

ゲンさんを連れてこなくて大正解でしたね
転げ落ちそうな石段です

入口の入城料を払う受付で

脇に置いてあった

竹の杖を借りてきて大正解でしたね(笑)
大きな磨崖仏が二体

左が『不動明王』で右後方が『大日如来』だそうです

でかいですね〜
国道10号を走って

宇佐市の『宇佐神宮』に来ました

ここは全国の八幡社の総本宮ですね

表参道の大鳥居
寄藻川に掛かる神橋を渡って境内に入っていきます
境内に入ってまた大きな鳥居が在りますね
上宮の『南中楼門』で記念撮影

生憎と奥の本殿は足場が掛かって修理中のようでした

祭神が3箇所も有ったので

賽銭の用意が大変でした(笑)
こちらは下宮ですが

こちらも祭神が3箇所ですね

神宮には午後4時前に着いたのですが

この神社は仕事が早く終わるのか

4時過ぎには巫女さんが扉を閉めて回っていました

なんか追い出されるようで

世話しない参拝になってしまいましたね(笑)
中津市に入って中津バイパス沿いの

日帰り温泉の『ひとの港太平楽』に来ました

温泉に1時間ほどユックリ入った後

館内の食堂で夕食にしました

ゲンママの注文した『そば満巻定食』
ゲンパパの注文した『鶏釜飯うどん御膳』

どちらもボリュームが有って美味しかったですね〜

温泉もユッタリした造りで良かったです

この後はバイパス沿いに2キロほど行った

道の駅『しんよしとみ遺跡前』で車中泊となりましたが

ワンコの散歩をさせて食事を済ませた頃には

夜には雨が降り出してきてしまいました



8日目(28日)最終日

最終日ですが今朝も生憎の雨降りです

道の駅から中津市街に入って

中津藩出身の福沢諭吉の旧居に来てみました
諭吉はここで生まれたわけではなく

大阪の中津藩の下屋敷で生まれているのですが

生後間もなく父が亡くなって

中津に帰ってから母の実家に身を寄せたようです
小さな離れの土蔵
この土蔵の2階で勉強にいそしんだようです

賽銭が散らばっていたけれど

諭吉さんて神様だっけ?
土砂降りの中『中津城跡』に寄ってみました
コンクリート造の再建された天守閣ですが

展示物も有りそうなので

ゲンパパが一人で登城する事にしました

譜代大名奥平家10万石の居城ですが

最近城の所有や運営で揉めたのって

ここじゃなかったっけ?
城跡には奥平神社が在ったりして

何かゴチャゴチャと狭苦しい城内です
中津市街から国道212号を通って山中に入り

耶馬溪の『青の洞門』に来ました

この車の通れるトンネルは元々の洞門では無くて

少し奥に入った所から右側に洞門が残っていました
こちらが『青の洞門』ですね
もっと幅の狭い洞窟を想像してたのですが

「案外と広いな」というのが感想です
中央あたりにお地蔵様と思われる石仏と

ちゃちな造りの禅海和尚の石像が置かれてました
雨に煙って見えるのが『競秀峰』なのかな?
ちょっとズームでパチリ

雨降りで無ければね〜
近くの石造りの『オランダ橋』(幸橋)

通行止めになっていましたが

最近の台風で壊れたのかな?
国道212号を進んで日田市街に着く前に

道の駅『やまくに』に寄ってみました

やっと雨があがり始めたようです
ちょっと昼食時間には早いかなと思ったのですが

11時から食堂でバイキングが始まったので

食べていく事にしました

ここのバイキングは超お値打ちで

「素うどん・そば」が550円でバイキング食べ放題でした

ゲンパパは肉うどんが確か600円でバイキング付
ゲンパパが取りあえず皿に取ってきた料理
ゲンママが注文した『舞茸そば』

でっかい舞茸のてんぷらです

ゲンママももちろんバイキング付
ゲンママはもちろん何度も

取り皿を持って往復してましたね(笑)

他のお馴染みさん達は

「素うどん・そば」にバイキングの野菜天を載せてたので

自分達もそうすれば良かったかな?

と後悔しちゃいましたね(笑)

とにかく超お値打ちな道の駅のバイキングでした
日田市街の町並保存地区に指定されている

豆田町の町並みを散策してきました

『薫長酒蔵資料館』
こちらも薫長酒蔵資料館ですね
電線も地中化されて整備された町並みですね
日田は江戸時代は天領だったので

商業で栄えた町のようですね
白壁造りの多いスッキリした町並みです
古い蔵を改装した土産物店
街中は偶然車の通行が途絶えてただけで

別に通行規制が敷かれている訳では有りません

日田は「焼き蕎麦」が名物らしいのですが

道の駅でお昼のバイキングを

腹一杯食べたばかりだったので

今回は指を咥えて我慢しました(笑)
日田ICから高速に入って

大分自動車から鳥栖JCTで九州自動車道に入り

関門海峡を渡って次の下関ICで降りて

壇ノ浦の『赤間神宮』に来ました

ここは折りしも最終回を迎えた大河ドラマの

壇ノ浦の戦いで入水して亡くなった

「安徳天皇」を祀った神社ですね
止んでいた雨がここで再び降り出して来て

雨雲を追いかけて走行してきたようです
竜宮城のような楼門ですね
拝殿の左を奥に入って行った狭い所に

平家一門の墓所が在りました
平家一門の清盛の息子で知った名前や

後列には正妻の時子の墓碑も見えますが

天気が悪いのと夕方で暗くなってきてるので

画像が汚くて読み辛いですね
墓所の脇には『耳なし芳一』のお堂も有りました
雨に煙る関門海峡

対岸の九州に別れを告げて帰路に着きました

今回の九州の旅は天気に恵まれず8日間の滞在中前半の2日と

最終日が雨にたたられてしまいした。

ワンコ連れには雨降りはちょっと厳しいですね。

殆ど毎日が移動日だったので

流石に旅なれたゲンさんもストレスが溜まるようで

キャンカーのベッド下のケージの木の扉を

帰りの山陽自動車道を走っている時に齧って破壊して

ノソノソとワンコスペースから脱出してしまいました。

壊れた時にバキッという大きな音がしたので

車に飛び石でも当たったかとビックリしましたね(笑)

まあ事故も無く無事に家に帰れたので良かったですが

次回長期間の旅をする時には

途中で移動しない日を入れて少し休養日を作らないと

ゲンさんも老体なので無理は出来ないですね。


蛇足ですが今回九州を運転していて気付いた事ですが

トンネル内でヘッドライトを点灯しない車と

片側2車線の道路で左側の走行車線がガラガラなのに

右側の追い越し車線を右折する訳でも無いのに

ダラダラとノンビリ我が道を行くドライバーが多かったのですが

これって九州の人の特徴でしょうか?(笑)