中学校時代
H19(2007)年 作成
昭和28年四月、稲沢町立稲沢中学校入学。 東西二つの小学校の卒業生が、稲沢中学校に集められる。 矢張り、、マンモス中学校だ。 入学してすぐに大事件、、否、、事故だが、、 町の公民館を兼ねた、中学の「講堂」の吊り天井が落下した 土曜日の三時間目、芝居が上演されていたと記憶するが、、、、 受業中だったので、生徒に被害者は無かったが、、 もう一時間、遅かったら、ヒョットすると生徒も、、 亡くなった人が10名・負傷者も多数、、 竣工後、半年位しか経って居なかった?? 小さな町の大事件、、我が周囲で起こった最大の事故だ。 現在ほどではないが、当時も「いじめ」は有ったと思う 身障者の自分が、いじめの対象に成るのに時間はかからなかった。 クラスにいじめっ子が居た。名前は、長屋〜?、名前は忘れた、、 しかし、助けて呉れる級友も居た、、 苛めた記憶の消えるのは速いが、苛めを受けた方は終生忘れない、、 苛めた方が怪我をしたり、有っては成らないが、亡くなったり、、 そうなれば、記憶が消えるとか、そんなレベルでは有るまい、、 ヒョットすると、終生、恨みが残るかも知れない、、 苛めっ子諸君!!一生恨まれるかも? 其の事を肝に銘じて欲しい、 同級生の久留宮章君、、現在もお茶講仲間としてお付き合い願っている、、 彼は身体は大きくないが、足が速く、動きが素早い、、 もう一人、蜂須賀隆盛君だ。彼は私より一歳年下だが、 両君は「弱きを助け強きを挫く」、言葉其の儘だ、、 現在の自分が有るのは、両君のお陰かもしれない 本当に有難う、心よりお礼言います。 |