不治の病に冒された場合、、


終いの時を如何に迎えるか?

「終い」の時が近く時、心静かに、、お迎えを待ちたい、、
間違っても、、取り乱すような事が有っては成らない
願わくば、突然、お迎えが来て、逝くまでの時間が短ければ最善、、
仏壇にお参りしながら、その中の御先祖様にお願いしている。
「畳の上」で、大往生出来れば理想だが、、
畳の上で終いの瞬間を迎える人すら少ない今日この頃、、、
難しいかも知れないが、、
兎に角、、是だけがいまの、、小生の望みです、、


若い頃から、消化器系統が丈夫ではなく、食も細い、、
永い人生の中で、太った事は一度も無い。
古希を迎えた現在、既に「オマケの人生」に入っているかも、、

毎年、胃のレントゲン検査はしている。
昨年の11月の検査で、「胃の一部に変形が見られる」との市医師会の診断、
担当医の鈴木Clinicの医師は「以前の胃潰瘍の痕跡では?」との見解。
内視鏡検査は死んでも拒否
30年程以前から内視鏡検査を何度も試みたが、苦し過ぎて無理だった。
以後、内視鏡検査は死んでも拒否。この覚悟は現在でも変わりはない。
そんな訳で、鈴木医師の見解に「渡りに舟」とばかりに、検査はしなかった。
医師の見解が、良かったか?悪かったか? 終いの時まで判らない。
内視鏡検査が絶対に避けられなくなった時、「その時」は如何かな?
最後まで拒否出来るか? 其の時に成ってみないと自分でも判らない。

若し、不治の病に冒されたら、
  必要の無い検査や延命処置は一切望まない。
  痛み苦しみを取り除きを可能な限り取り除いて頂ければ幸いです。
  そして、終いの瞬間まで、普通に近い生活が出来たら嬉しい。
  病気が現実と成った時、その病と冷静に向き合う自信は全くない。
  故に、病名の告知は望みません。
  最後の瞬間まで騙し通して頂きたい。家族も同様です。

家族には、常日頃から話はしているが、反対かも、、
後々、家族やお医者さんに迷惑がかかっては成らない。
だから、書面で以てキチットして置こうと思う。