ある双子兄弟の異常な日常 第一部
第1章 ちっぽけな楽園
SCENE 1


 真夜中に、汗びっしょりで、ベッドの中で目覚める。
 周囲はしんと静まり返って、感じられる音といえば、自分の胸の中でどきどき鳴っている心臓の音だけ。
 子供部屋に上がった時は一階のリビングでテレビを見ていた両親も、何時の間にか寝室に引きこもって休んだらしい。
 起きている人の気配は、自分以外、他にはない。
 緊張に強張った体をほぐそうと大きく胸を上下させて深呼吸をし、両手で顔を覆った。
(ああ、やっぱり、夢に見ちゃったよぉ…)
 寝る前に、あんな気持ちの悪いホラー映画を見たからだ。タイトルなんか知らない、ちょっと昔に話題になった、悪魔にとりつかれた子供の話。何が恐いかって、化け物みたいになった女の子の顔で、そんなに恐いなら見なければいいのに、隣で全然平気な顔をしている双子の兄弟の手前、ついやせ我慢をして最後までしっかり見てしまった。
 恐いものや気持ち悪いものは、忘れたいと思えば思うほどいつも夢に見てしまう。案の定、今夜も、あの映画の女の子に家の中を端から端まで追いかけまわされる、ぞっとするような悪夢にうなされてしまった。
 顔を横に向けて向こう側の壁にかけられた時計を見ると、闇の中にうっすらとうかびあがる針は、やっと深夜の2時を回ったところをさしている。
 どうしよう、夜が明けるまでまだこんなに時間がある。
 心細く不安な思いでいっぱいになって、自分が横たわる二段ベッドの下から上のベッドの底をじっと見つめた。 
 一瞬、そこで眠っている者を呼びたい衝動にかられ、口を開きかけて、やめた。
 11才にもなって、恐い夢を見たくらいで兄弟を呼ぶなんて、男らしくないぞ。
 口をぎゅっと引き結び、目を大きく見開いて、自分に向かってのしかかってくるような闇を睨みつけた。目を閉じると、またあの嫌な夢が戻ってきそうで、できなかった。唇が震えた。
 やっぱり恐かった。1人ではいたくない。
 すると、上のベッドで身じろぎをする気配がした。
 声に出さない彼の呼びかけが届いたかのように、二段ベッドの上で眠っていた片割れは目を覚まして、ベッドから上体を乗り出すようにして、低い声で問いかけたのだ。
「ねえ、レイフ、今呼んだ? 」
 レイフは、すぐには答えなかった。口許まで引き上げた布団の端をぎゅっと握り締めて、その陰で溜めていた息を吐いた。
「…おにいちゃん……」
 我ながら赤面したくなるくらい、心細げな声をしていた。
 レイフが起きていることを確認すると、答えも待たずに、彼はするすると上のベッドから下りてきて、床に降り立った。
「夢、見たの? 」
 あくびを噛み殺し、眠たい目をこすりながら、彼はベッドの中の弟を覗き込む。
「だから、見るなって言ったのに。苦手なくせに…」
 レイフは何か言い返そうとしたが、兄の手が布団を捲り上げるのに口をつぐんで、彼が入って来やすいよう、体を奥にずらした。
「馬鹿だね」
 レイフは唇をとがらせた。
「だってさ…クリスターがあんな平気そうな顔をしてるのに…オレだけ恐いなんてさぁ…」
「ふうん、じゃあ、僕のせいなんだ?」
「それは…違うけど……」
 しどろもどろになる弟に、クリスターは喉の奥で笑った。間近にある、その顔を、レイフはじっと見つめた。
 もともとレイフは夜目がきくので、明かりを消した部屋の暗がりの中でも、窓からうっすらとさしこんでくる外の道路沿いにある街灯の弱々しい光だけで、充分に相手の顔は分かった。
 もう1人のレイフが、そこにいる。
 12分だけ年上の双子の兄の笑顔を眺めていると、不安と緊張に固くなっていた体が次第にほぐれていくのが分かった。
「僕の顔に何かついてる? 」と、クリスターが不思議そうに聞く。
「笑顔が」
 レイフは、答えた。
「じゃあ、おまえも笑えよ」
 そう悪戯っぽい声で囁いて、クリスターはレイフの脇腹に手を這わせ、くすぐった。たまらず、レイフは身をよじって、甲高い笑い声をたてた。
「やめろよっ、くすぐったいよ!」
 足をじたばたさせて布団の中で逃げようともがく弟を押さえつけ、クリスターは尚も脇腹を攻撃しつつ、言った。
「しっ、あんまり大きな声は出さないで。父さんや母さんを起こしちゃうよ」
「うっ…ぐぐぅ……だから、やめろって……」
 両手で口を押さえて必死で笑い声を押さえているレイフの上にのしかかったまま、クリスターは、やはり声を殺して笑った。そうして、笑いの発作に小刻みに震えている弟の体に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
「双子でよかったね。本当の一人ぼっちになることなんて、ないんだもの」
「うん」
 すっかり気持ちが和らいで、嬉しそうにそう答えるレイフから体を少しずらすと、クリスターは彼のパジャマのボタンを一つずつ外して、脱がしてやった。それから、自分もパジャマを脱いでしまうと、弟の隣に横になって、ぶつかるようにしがみついてくる体を包み込むようにしっかりと抱きしめた。
 兄弟は、お互いの存在を確かめあうかのように、相手の体をさすったり、鼻先を押しつけて、どこか甘いような肌の匂いをかいだりした。子猫のようにじゃれあった。
「気持ちいいね…」
 やがて疲れてきたレイフは兄の胸に頭を預けると、小さなあくびをして、目を瞑った。夢に対する不安は、すっかり消えてなくなっていた。とても親しく馴染み深く感じられる暖かい肌を通して伝わってくる、規則正しい心臓の鼓動を子守唄のように聞きながら、とても安らかな気持ちで、やがて彼は眠りに落ちていく。
 そんな弟の肩をあやすように叩いてやりながら、クリスターも再び催して来た眠気に小さくあくびをして、目を閉じた。
 こうやって2人で寄りそっていると、こんなにも安心できるのは何故だろう。まるでこの世には何も悪いことなどない、自分達を傷つけることのできるものなどないといった気分になれる。
 そう言えば、彼らの母親が、いつだったかこんな話をしてくれた。
(あなた達が生まれた時、しばらくの間、何故か二人とも元気がなかったのよ。別にどこが悪いわけでもない、健康そのものなのに、レイフはずっとぐずっているし、クリスターはあまりミルクを飲んでくれないし…どうしたらいいのか分からなくて、困り果てていたわ。そうしたらね、2人を一緒にしてみたらって、一人のナースが言ってくれてね。赤ちゃんにとって、外界に出てくるのは大変なストレスなのよ。だから、少しでも生まれる前にいた場所に近いようにしてあげたら、安心できるんじゃないかって。それで、あなた達を同じ保育器に入れてあげたら、たちまちそれまでの不調がすっかり治ってしまってね。ぴったり身を寄せ合って、安心してすやすや眠っているあなた達を見て、こんなに小さいのにちゃんとお互いが分かるのねって、驚いたものだわ)
 双子でない人達は、一体どうやって、夜、たった1人の寂しい時間に耐えて過ごしているのだろうかと、クリスターはいつも不思議に思う。
 規則正しい弟の寝息と肌に触れるその温もり、少しくすぐったい髪の感触に微笑みながら、クリスターは体を傾けて、その頭に、すべすべした頬に唇を押し当てた。
 ここは、とても安心できる。
(いつまでも、ずっとこうしていたい)と思いながら、静かに寝息をたてている弟の隣で、クリスターもまた幸せな夢の世界に飛び立っていく。

 クリスターとレイフ、兄弟二人きりの、この子供部屋。

 ベッドの中のこの温かい暗がりの中で寄り添いあい、肌を合わせ、お互いの体に回しあった腕の中に存在する、それは、閉じられた、彼らだけのちっぽけな楽園だった。


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