戀(いとしい、いとしいという、こころ) あとがき

 もともと、この話は、恋の旧字体は『いとしい、いとしいというこころ』って書くのだと友人に教えてもらったことでした。何ていうか、古い日本語って耽美なのねと思ってるうちにむらむらと話がわきあがり、興が乗るままに一気に書きなぐったものです。

 ちょっとレトロな純文風JUNEをめざしたつもり。いっそのこと舞台も昭和初期くらいにして、文体もそれっぽくしてみようかともくろんだこともありましたが、さすがに、そんな力量はありませんでした。いや、もっとこうまったりと酔えるような文章力欲しいなぁと痛感させられた作品でもあります。はふう。

 そもそも、現代の日本を舞台にした話自体書くの初めてかもしれない。いつも書いてるものとは随分毛色の変わったものですね。

 兄弟もの自体は好きですが、あえて、ラブラブハッピーにはしませんでした。所詮兄弟は兄弟でしかありえないというのが、この主人公達の見つけた答えだったわけです。それでも、一瞬とはいえ自分達の想いを伝え合って昇華できたわけだから、悶々としている時よりは、はるかに救われた訳ですが。この終わり方、ハッピーエンドと捕らえるか、アンハッピーエンドと捕らえるかは、ある意味読み手任せ。最後の兄の独白も、もしかしたら、このままでは終わらないかもという含みだったり。

 個人的に、はっきりこうだと結論付ける終わり方より、疑問形で終わる方が面白いなと思うこともあるんです。色々考える余地があったり、余韻を味わえるような。例えば、ジブリの作品では『もののけ姫』が私は一番好きなのですが、『あのラストはよくない、結論が出てないから』って言う人もいて。いや、私は、あの終わりかただから好きなんですがねぇ。あれは、観客に対して、映画の中で提示された問題にどう向き合えばいいかラストで問いかけてるんだから。感じ方は人それぞれ。まあ、比べるのおこがましい、私の書いたもので、ちっとでも『余韻』が成功してるかどうかはまた別の話ですが、はい。

 最後にキャラのこと。このネガティブ兄弟のイメージは、一昔前にはやった『NIGHT HEAD』ってカルトなドラマの主人公だったりします。あの頃はトヨエツも若かったなぁと思いつつ、『エ・アロール』のヒゲの彼もカッコイイと思って見ている、今日この頃。






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