黒は森、白は雪
雪の下に伸びるは赤き薔薇―
森の城で育った王女アルパツィアは14才の冬、侵略者ドラコに陵辱され、身ごもる。
ドラコの妻となり女王となったアルパツィアだが、誰にも心を開かず、鏡に向かってのみ語りかける彼女は美しい魔女王として人々から恐れられた。
一方、アルパツィアが産んだ娘コイラは母から忘れられながらも、美しく成長していく。
18年後、かつての美貌を失いつつあるアルパツィアと若き日の彼女そのままの姿に成長したコイラは邂逅する。
母に愛を求めながらも拒絶されたコイラ。美しかった頃の己の写し身である娘を見出したことでもはや己が若くも美しくもないことを知ったアルパツィア。
鏡に映った虚像と実像のような2人が出会った時、母子の愛憎は燃え上がり、彼女らを過酷で悲劇的な運命へと導いていく。
これはイギリスで刊行された『大人のためのおとぎ話』シリーズの中の一冊。ダークで耽美で官能的なファンタジーを数多く書いてきたタニス・リーによる、もう1つの『白雪姫』です。そう言えば、日本でも何年か前に『本当は恐い○○童話』とかはやっていましたね。そんな雰囲気のシリーズだったのでしょうか。
リーの作品の日本語訳はしばらく出ていなかったので、長年のリー・ファンの私がついに『こうなりゃ原書に挑戦してやる』とこの話が出版された時ネットでイギリスから取り寄せ、四苦八苦しながら読破したのが、かれこれ4年前。英語力不十分な私でも、リーの美しい文章の雰囲気には浸れました。でもやっぱり日本語訳が読みたいと思っていたところの、この邦訳です。まぁ…訳は完璧に私好みかというと微妙なんですが、もっと古風で耽美な言い回しにこだわってくれとか、タニス・リーなんだよぉとか。でも邦訳で読むのはやっぱり楽でしたわ。
タニス・リーといえば、絢爛たる色彩表現、神話的モチーフを駆使したひねりが魅力なのですが、この作品はまさにリーのそうした個性を楽しめます。黒々とした森、すべてを塗りこめる白い雪、その中で流される少女の血…と物語の出だしでまず象徴される物語世界。ギリシャ神話のデメテルとペルセフォネに重ねられる母と子。キリスト教の七つの大罪を象徴する小人達。物語の後半で登場するもう1人のコイラの写し身のような地底の王子。それらを素材として様々な形で執拗に繰り返される鏡のイメージ。ちょっと材料に凝りすぎて上滑りしたというか使いこなせていない感も若干あるけれど、私なんかはこのこてこての耽美妖美な世界に酔いましたね。やっぱりタニス・リーだ、万歳って。
ただ物語自体は賛否両論あるかもしれません。特に『めでたしめでたし』のラストじゃなきゃ嫌という向きには、主人公2人の辿った、このあまりにも残酷で過酷で容赦のない運命は嫌われるかもしれません。ただ、私は別にそんなに後味悪くはなかったです。あれはあれで再生を思わせる終わり方だった。子供を宿し恋人と共に旅立つコイラ。穢れのない子供の自分をずっと取り戻そうとしていたアルパツィアは今度はコイラの子供に重なり、そうして新たな母と子の絆がつむがれていく。そんなふうに感じられたのです。
最後に、いかにもリーらしいキャラクターやモチーフが満載のこの作品ですが、私が気に入ったのは、まずは大罪の名を持つ7人の小人達。それと、王子はどこなのさーと思っていたところに現れた地底の王子ハドスには参りました。鏡に向かって話しかけるアルパツィアよりもいっちゃってるかもしれない。自分を投影する鏡として恋人を愛する。あれです、何より自分を愛しちゃってるナルシスト。脱帽しました。