死の泉
ぼくらを殺した お母さん
ぼくらを食べた お父さん
ぼくらは 決して忘れない
いつか あなたの子を殺す
第二次世界大戦中のドイツ。恋人を兵士に取られ、私生児を産まなければならなくなったマルガレーテは、ナチスの施設レーベンスボルン(生命の泉)の産院に身を寄せることになる。芸術を偏愛する、施設の所長クラウスは、美しいボーイソプラノを持つ収容児エーリヒとフランツを養子とするために、マルガレーテに求婚。マルガレーテは我が子ミヒャエルを守るために、彼の申し出を受け入れる。打算による結婚。血のつながりのない、もろい絆で結ばれた擬似家族は、それでも束の間危うい均衡の中の安寧を築きかけるが、激化する戦火と狂気を帯びてくるクラウスの行動の果てに、ばらばらに砕け散る。
(死んでいく小鳥のような幸せ…)
第一部の最後で唐突に途切れるように終わった物語は、戦後、マルガレーテのかつての恋人ギュンターを、アメリカに亡命していたクラウスが訪ねてくることから再び始まる。激しい戦火を経た衝撃から精神に変調をきたしたマルガレーテ。声を保つためクラウスに去勢手術を受けさせられた後行方不明となり、彼への復讐に燃えるエーリヒ、そしてフランツ。成長した、マルガレーテとギュンターの息子ミヒャエル。第一部とは姿も心も変わった、登場人物たちが互いに引き寄せられるように集ったのは、ナチスの残した名画が眠る古城。数々の謎が解き明かされるにつれ、ぞっとする忌まわしい真実が次第に明らかになっていく。そして迎える絢爛たるカタストロフ…。
久しぶりに、すごい大作、傑作を読んだ気がしました。
ネタを並べると、結構こてこてしているかも。北欧神話、ナチスの人体実験や神秘主義、腰から繋がった双子にカストラート。それらを見事に料理して、夢とも現ともつかない独特の濃密な物語世界を作り出しているのが、まず、すごい。それしにても、資料調べ、大変だったでしょうね。
第一部はマルガレーテが残した手記となっていて、彼女の一人称で進みます。戦時中の雰囲気、異様な収容所の内部などすごくよく描きこまれていて、運命に翻弄されるマルガレーテの心情共々ぐっと引き込まれてしまいます。
それが、第ニ部に入ると、一瞬、あれ?って違和感覚えたり。第一部とは違って三人称になっていて、視点も様々な人物に移っていくため、何となく目の前を流れる映画の場面を観客として見ているような気分です。その中で、時々、マルガレーテの白昼夢を見ているかのような心情を表す文がふっと現れるものだから、その瞬間現実感がふいになくなり、悪夢の只中にいるような奇妙な感覚を味わいます。第一部の終わりから現在に至るまでの空白に残された数々の謎が解き明かされていくのですが、全てが完全に分かった訳でもなく、むしろ疑問も残って、読み終わった後も夢を中途覚醒したようなもどかしさがありました。そして、あとがきを読むわけですが、これをうっかり読まずに流すと、本当のどんでん返しを逃すことになるのでご注意を。
この物語、マルガレーテの恋人、ギュンターが自らの体験を基にした小説を野上晶なる架空の人が翻訳したという体裁をとっています。ご丁寧に『翻訳者』による『あとがき』も書かれているのですが、そこでは、翻訳者がどのような経緯でこの小説を巡りあったかが書かれています。翻訳者野上は作者ギュンターにも会いに行くのですが、彼を迎えた『ギュンター』が実際は何者であったのかが、最後の大仕掛け。これが、本当のオチだとしら、あの第二部は一体何であったのか。夢の中から覚めてもまた夢。終わりのない悪夢につかまったような不安感が後を引いて、じわじわと心を侵食してきます。こうなると、違和感を覚えた第二部の描き方も、作者の計算かなぁと思えて、構成の巧みさに脱帽。
とにかく、話の長さも苦にならず、どんどん読み進んでしまう面白さでした。表現も、すごい耽美に私好みの描写が出てくるもので、ぞくぞくしました。
それにしても、個人的に気になってることがあるんです。あの『エーリヒ』をカストールしたのって実際のところ誰なんですか? 深読みかもしれないけど、考えると余計に恐いような。クラウスではない。狼なんて、信じられる? それとも…?