黄檗寺院 |
海會寺 |
松阪市垣鼻町 |
2011.9 |
法泉寺廃寺 |
三重県多気郡多気町相可 |
2012.2 |
江戸黄檗禪刹 |
東京都 |
2014 |
興福寺 |
長崎市寺町 |
2014.5 |
崇福寺 |
長崎市鍛冶屋町 |
2014.5 |
本山萬福寺 |
宇治市 五ヶ庄 |
2014.12 |
掃苔をはじめて一・二年のころ南伊勢旧碑を記録した『勢國見聞集』をたよりに松阪を訪問したのが、黄檗の寺院を初めて意識した出会いであった。このときは伊勢の書家蒔田必器(暢齋)の書丹したという「白雪塚之碑(三浦金龍の顕彰碑)」を捜索して、2011年9月「海會禪寺」を訪ねたのであった。
黄檗宗は日本の三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)のうち、最も新しく江戸時代に始まった一派。江戸時代初期に来日した隠元隆g(1592〜1673)を開祖とする。本山は、隠元の開いた京都府宇治市の黄檗山萬福寺。幕府の外護と、大名の支援を得、社会事業などを通じた民間の教化、明僧の積極的受け入れにより隆盛を極めた。
教義などは鎌倉に伝えられた臨済と異ならないとされるが、数百年を経て中国で発展した新様式の儀礼などが移入されている。木魚などは一休さんのイメージを持つが実は黄檗によりもたらされた新風であったそうである。
日本篆刻の租戴曼公は民末に日本へ亡命後、来日していた隠元の下で得度して、黄檗僧獨立禅師となったが、医術に長け、書法や水墨画、篆刻を伝えている。高弟に高玄岱があり北島雪山もその門にあった。
黄檗の寺院の扁額楹聯や碑石・墨蹟には唐様を伝えた諸僧の筆跡を見ることができるのも参、観する楽しみの一つとなった。 |
海會寺 単立 松坂市垣鼻町1764 |
2011年9月に訪問した「海會禪寺」は本堂一宇を残すのみであった。明治の廃仏以降はすたれて、また空襲のどさくさで人家が立ち並んだという。時中焼元祖の墓ももとは境内であったが、現在は神葬霊園として独立している。
地元の老人は「かえいじ」というそうである。目的の蒔田必器の「白雪塚之碑」は散逸したのか見当たらなかった。扁額に残るトルコ・ブルーがこれまで出会ったことのないお寺の雰囲気を醸し出していた。
|
石燈籠之銘 |
勢國見聞集所収 |
|
海會禪寺木額 |
開山慧極書 |
|
雲譽其雀居士之碑 |
勢國見聞集所収 山寺は 句碑 |
不見 |
霞侯之碑 阪倉氏 |
勢國見聞集所収 夏草に 句碑 |
M49333 |
地蔵台座梵字銘 |
文化2 |
|
東雲賀樂宗古之碑(橘宗古) |
勢國見聞集所収 |
不見 |
白雪塚之碑 三浦金龍顕彰碑 |
寛勢國見聞集所収政11 坂紹明撰 蒔田器書 |
逸碑?不見 |
成譽了道居士之碑 |
勢國見聞集所収 白樫巨知、北山門 |
不見 |
方筐印塔 |
|
M49334 |
草鞋石 |
|
|
|
海會禪寺 扁額
海會禪寺 |
法泉寺(廃寺) のびのびパーク天啓 三重県多気郡多気町相可 |
黄檗宗の古刹・法泉寺と涵養池(天啓池)を中心とした公園。法泉寺は万治2(1659)年に槇啓上人が庵を結んだのを起源とし、正徳5(1715)年に梅嶺和尚が開山して以来、悟心元明を輩出するなど南勢地区の黄檗宗の拠点として栄えた。山門や朱塗りの鐘楼などの史跡が残る。また、平成10(1998)年には付近一帯が公園として整備され、多気町民の憩いの場となった。
法泉寺の位置する相可の地は、江戸時代には熊野街道・伊勢本街道・伊勢南街道が交わる交通の要所であり、河岸としても発達、櫛田川下流から食塩などの物資が送られ、宿場や商家が栄え、江戸に支店を持つ大和屋や大黒屋なども現れるほどで、対岸の射和とともに栄えたところであった。法泉寺はそのような喧騒からやや離れた山端に位置している。
ここへは2012年2月とと2015年末に、『三重県の文学碑』所収の伊藤東涯詩碑を探索に行ったのだが、遂に未発見となっている。移転したのか藪に埋もれたのかいまだ不明である。下流の神山一乗寺の東涯詩磨崖碑は、2013年5月に再訪して廃道同然の旧参道にようやく見つけることができた。 |
『勢國見聞集』上に旧碑文字削去、新碑未建と見える
法泉寺と周辺の碑 |
「天照山」山門額 |
梅嶺和尚書 |
M46689 |
山門對聯 |
黄檗竺庵書 |
禁牌 |
|
M46690 |
伊勢州多気郡相可村天照山故法王梅嶺和尚塔銘並序 |
享保14 道蓮香國撰、元養百拙篆額・書 |
勢國見聞集巻20
M46693 |
伊藤東涯詩 |
長胤草 見当たらず |
勢國見聞集巻19 三重県の文学碑 |
神風花明の句碑 |
明治10 たたずめば 見当たらず |
三重県の文学碑 |
高見川伊六碑 |
明治2X年 |
M46691 |
衝天元統和尚塔文 |
享保 |
勢國見聞集巻19
M46698 |
當山護法義明元照居士塔 |
寛保2歿 淨明悟心誌・書 |
勢國見聞集巻19
M46697 |
當寺六代悟心元明和尚墓 |
天明5没 銘文なし |
M46696 |
中村子雄之碑 |
文政10 森島由文撰 苻彜篆 菅牛鳴書 |
勢國見聞集巻19
M46692 |
瑱啓上人之碑 |
元禄11撰 家城定恪書 |
勢國見聞集巻20
M46694 |
千鳥ヶ瀬 西行歌碑 |
明治45 矢土錦山書 |
M121825 |
相鹿上神社 伊蘇上神社碑 |
『勢國見聞集』に旧碑文字削去、新碑未建と見える |
勢國見聞集
M48366 |
蓮華峯 経塚顕彰碑 |
(佐田林庵の経塚)宝暦10 妙空慧海撰 森内其章書 |
M121765 |
|
法泉寺 牌楼門 |
射和の下流に中万という地があり、心光寺(浄土宗)には黄檗の元明悟心撰・篆額・書という「生鈍上人之碑」がある。また中万の共同墓地では大窪詩佛書丹など見るべき墓碣があったが、その由来を知らない。 |
中万墓地 (中野)タ翁先生之墓 |
山本信有文、大窪行書・篆額 |
M167725 |
中万墓地 映光孺人大川氏之墓 |
北山山本信有撰、東洲左潤(佐野氏)書 |
M167719 |
法性院得譽浄善居士・浄善府君碣 |
蘭園中野正明撰、醉晋韓天寿書 |
M167744 |
中万墓地 榮松院深譽貞月法尼 |
漢文銘 |
M167731 |
心光寺 生鈍上人之碑 |
明和4歿 元明悟心(禅僧篆刻家)撰・篆額・書 |
勢國見聞集巻19
M32601 |
心光寺 木庵扁額 |
「今日方知色是空 木庵 印」 |
一乗寺 水盥之銘 |
|
勢國見聞集巻20 |
一乗寺 伊藤東涯漢詩磨崖碑 |
安永中 奥田子享(三角)書 |
M32567 |
|
松阪市街では養泉寺(中町、曹洞宗)に東光心越の扁額が掲げられている。『勢國見聞集』には「超倫義宗居士之碑」「温山良穏師ノ碑
渡会正令誌・銘 彪山秦器書」「久嶽追永禅門ノ碑」「荒木電児之碑 籟參翁淨天居士 韓天壽書」「山翁水阿居士ノ碑
句碑」「竹内正平之碑 七対」「福寿院元仙孝和居士ノ碑 辞世歌碑」「養安追捕居士ノ碑 辞世歌碑」「利世女之碑
句碑」「荒木雷兒句碑 韓天寿書」「同寺ほかにも句碑あり」「芳蓮院清譽塋室貞信大姉之碑
寛政9歿」の記録があるがいずれも見当たらず。ここには小津安二郎の本家にあたる小津与右衛門の墓所があり、監督は帰省の際には必ず墓参に立ち寄ったそうである。
隣の清光寺(浄土宗)が韓天壽の菩提所というので寄ってみたが見当たらず。住持によると市街地の墓石の多くは篠田山(霊園)に移転してるとのことで、ここには韓天壽の養子先の中川家の墓石が残っているとの案内。ちなみにここの阿弥陀さまは国重文である。 |
養泉寺 「龍松山」木額 |
東皐心越書 |
M48344 |
養泉寺 荒木頼齋墓 |
篆隷風趣ある墓 韓天壽書? |
M48362 |
養泉寺 小津与右ヱ門墓 |
小津安二郎本家墓所 |
|
養泉寺 (堀西)米中先生之碑 |
画家、日下部鳴鶴隷額、明治24、岡山正■書 |
M48333 |
清光寺 中川家墓所 |
韓天壽の養子先 |
M48332 |
篠田山 清光寺墓地 |
韓天壽夫妻の墓 銘なし |
M48359 |
|
|
|
|
|
黄檗寺院
|