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松下烏石の碑  2018.5.28 2020.4.14追記
 松下烏石(1699〜1779)、江戸中期の書家。名は辰、字は君岳・神力・龍仲など。号は烏石の他に菽竇処士・青蘿主人・東海陳人・白玉斎など。修姓を葛として葛烏石・葛辰とも称した。江戸の人。
 幕臣の松下常親の次男として生まれる。書は佐々木玄竜・文山兄弟に学んだ。欧陽詢の流れを汲んだ唐様の書法だったという。また詩文を服部南郭に学んでいる。表面にカラスの模様のある天然石を磐井神社に寄進したことで知られる。この石は「烏石」と呼ばれ評判となり、多くの文人墨客が見学に訪れたという。
 江戸古川に住んでいたが明和年間に京都に移り西本願寺の賓客として晩年を送る『消間印譜』、その他多数の法帖を刊行している。門弟に韓天寿などがいる(Wiki)。
 
 東隅子が一時期烏石の書法を研究されていたこともあって、がらんもいくらか江戸の碑石を訪問してみた。またたまたま得た「文房四神之碑」に異文のある事を知り関西の碑もいくらか探索してみた。晩年を京都にすごした烏石の墓は大谷本廟にあるが、題も銘文もなくただ自筆の詩を刻むのみである。
 以下にあげた烏石の碑は碑像マップへリンクしています(Mではじまる数字)

〇松下烏石の墓 M53454
 京都 大谷本廟 第15区341号
(松下烏石之墓)
青龍幽谷裡 行藏此得佐 惟面一片石 化作暮雲飛
(同石標)
由緒墓地 松下烏石之墓 第十五区三四一号
碑陰:
江戸時代の書家で第十七代法如宗主・第十八代文如宗主の書を指南、法如宗主以降歴代宗主の書風に影響を与えた。 本願寺
平成七年十一月顕彰之

〇文房四神之碑と芹根水石標 M32605
 下京区木津屋橋通堀川西入下る東側
・文房四神之碑 宝暦3(1753) 藤公縄(阿野公繩)篆 岡白駒銘 葛辰書[臥13050] ※末尾に「烏石之徒」とみえているがこれより地中に埋もれていてさらに文字があるのかは不明。この碑はもと道祖神社境内の書聖天満宮に建てられた。

 文房四神之碑
書契代繩 天降此寶 精爽攸託 焉徙枯稾 爬管赤心 上應朱雀
琢磨所至 青龍卞躍
 文炳將開 厥象白虎 自陰顕陽 厥神玄武
維茲凶神 感斯格思 秉文君子 其可射思

 宝暦三年癸酉歳季之月  滕公繩篆 岡白駒銘 葛辰書 烏石之徒[建]

・芹根水(伝松下烏石書)[臥16051]  題名のみ

〇文房四神之碑 M34643
 兵庫県西宮市 鳴尾八幡神社
・文房四神碑 松下烏石銘・書[臥00042] もとは砂浜神社にあり。題字の膳所滕康桓とは膳所藩主七代目本多康桓(1714〜1769)。

 文房四~之碑
於爾~功 人用有嗣 四物維明 匪技斯技
既四乃~ 墨筆硯帋 維石益銘 維~攸止
 寛延二年己巳歳三月三日、膳所滕康桓篆、烏石葛辰并書、立于攝州砂濱~社

○四~碑
 東京都港区南麻布 天現寺
 西宮の文房四神碑とほぼ同銘の碑と別に標石がある。明和6(1769)。

 (石標)
四神碑 麻谷了善銘 烏石山人書 明和六年己丑秋九月 源師道立

 (銘碑)
於爾~功 人用有嗣 四物維明 匪技斯技

既四乃~ 墨筆硯紙 維石並銘 維~攸止


〇鑑井之銘 M32617
 京都市南区 吉祥院天満宮の弁天社横 石原の井戸
・宝暦4 松下烏石銘・書[臥13052]

 鑑井之銘
石原之井 徹底而清 菅神寫影 千歳留名 
涌出弗渇 四時盈盈 鑑焉永嘆 厥徳維明
宝暦四年甲戌春、 烏石葛辰銘并篆

〇楊柳水銘 M33079

 東京都港区元麻布 善福寺参道
・明和2 藤原公繩篆 藤原貞vチ 松下烏石書

 楊柳水銘
彼石泉 盈科而流 空海所呪 其靈永留
阿那楊柳 水中影浮 飲者治疾 徳潤千秋
明和二年乙酉中秋前一日
 藤公繩篆  藤定福銘  葛辰書

〇服部温卿墓 M33623
 東京都品川区 東海寺大山墓地
・服温卿之墓 延享5 烏石葛辰書

〇服部愿卿墓 M33640
 東京都品川区 東海寺大山墓地
・服愿卿墓 元喬識 源君岳(松下烏石)書

〇矢口新田神君之碑 M33664
 東京都大田区 新田神社
・矢口新田神君之碑 延享3 松平頼寛建・篆額 服部南郭撰、松下烏石(葛辰)書[臥13027]

 矢口新田~君之碑
昔 元弘帝出居南山、足利氏立 光明帝于京、於是南北分朝、諸國各據其黨、戰爭數年、而新田氏擧族勤王南朝、宗人在中将源公義貞卒、其族衰、~君者中将公庶子、名義興、勇氣掩世、延文中以兵衛助、爲 南帝文徇東國、勢將復張、先是足利氏使其子基氏、居鎌倉令關東、畠山國清爲副、時共出次武州、患之、畠山以幕中士竹澤、嘗事~君因使圖之、乃陰共謀、佯與竹澤有隙逐之、竹澤使謂~君、曰臣無罪見疑於國清、若得再事舊君、願有所效、~君納焉、乃飾美女進之、有寵既而請饗己家、因圖害之、美人有夢惡、懼止、~君不出、竹澤不克果、而~君亦不猜近之、乃又密請畠山、使江戸氏二人助焉、亦佯遂之、二人因竹澤來、~君納焉、於是三人比事焉、勸襲鎌倉、且曰有衆難襲、使分士卒先、~君至矢口津、從者十三人耳、竹澤預與舟人謀、竅舟而塞之、使待于岸、既而~君與其人乘焉、中流舟人佯失、墜船具於水、没而求之、陰去其塞、泳而逃、水入舟將沈、竹澤江戸夾岸伏甲、噪而出、~君悟、既不可為乃怒呼曰、吾爲歯女、自屠其脇腹而没、十三人從死焉、後害者至津雷電晦冥、~君介而見、皆死、詞ゥ不已、津民懼、乃爲立廟、追祀其~、至今四百餘年、人猶懼威靈、不敢襄慢云、今年丙寅、守山侯源頼寛、遣使立碑、自書篆額、乃又使元喬、據舊史、叙其略勒石、係以迎送絲、其辭曰、
霹靂激兮電揚光、龍車驚兮玄雲翔、~之至兮翅已常、儼如在兮水中央、
被犀甲兮張彫弓、既一怒兮奮鬼雄、
仇且殪兮陰未窮、将以憺兮茲壽宮、
蒸肴醴兮采蘭宦A顧余祀兮神無鎗、固既毅兮曾以氏A掃妖氛兮永不替、

水澹澹兮清以洌、徃又來兮羌可濟、良辰和兮天門霽、檮余降兮雲之際、
 延享三年春三月、守山源頼寛篆、平安服元喬撰、烏石葛辰書

〇草塚銘 M52864
 上京区 北野天満宮
・艸冢銘 本多康桓篆額、堀景山銘、書は松下烏石 「拾遺都名所図会」
名碑だと思いますが苔蒸すまま剥落崩壊の危機に、

 艸冢銘
鳥蹟已降 人文聿興 衣帛木葉 亦與斯文 惟顛将聖 克念入神
書草蘊崇 功進成山 肯比鶏肋 龍蛇所蟄 毋乃生雲 

 藤康桓篆、屈正超銘、寛保三年癸亥夏四月、烏石山人書、立於北野廟側

※一部、『拾遺都名所図会』により補てん

〇烏石先生退筆塚 M57819 佚碑?
 東京都港区 白金氷川神社
 燕石齋架蔵烏石山人法帖類(近世能書伝所引)、烏石先生退筆塚圖(一枚刷)
元文四年三月服元喬銘源君岳并立于白金邑冰川神祠前 元文四年三月白金村鎮守山報恩寺
※報恩寺は氷川神社の東側に幕末まであった別当、所在未確認

〇烏石書額 M57821 所在不明
 東京都港区 麻布氷川神社
※森山孝盛『賤のをた巻』に、
「翁は次男にて稽古歩行廻る頃養兄と連立ち所々に行く。兄もと烏石が弟子にて麻布一本松の氷川の麻布総鎮守と云額は烏石が書たると語りられし故、彼辺往来する頃心を付て見れば、いかにも烏石が筆と見えて見事なりし(deepazabu所引)」

〇禹稷合祀碑記(神道碑) M59822
 大分県臼杵市家野 禹稷合祀の壇 旧参道
・禹稷合祀碑記 元文五 稲葉泰通建 服部南郭銘 源君岳書 荘子謙撰[臥14014]

 禹稷合祀碑記
維元文五年庚申、今侯嗣位之四年、命建禹稷祀壇于松崎、初勝公移封臼杵、于今百有餘年矣、惟茲臣庶、莫弗安寧、逮明公野季年、螟螣入境野無青草、民抱持其老幼、胥𥸤咨嗟、明公乃貶食務穡、振廩勸分、民以得不死、尋明公即世、未復安、比年風雨不若、邑或被水、廼至經界覲存、農離先疇者、而不堪土石、大夫有事大恤、夕タ以思民于安、私要羣言之首、都君子謀告曰、農邦之本、庶民所以恃而生也、比年凶儉、水屢傷稼、民之不安、凶々不知所底止、徒望歳自必、不亦無俚乎、古之人窮、則未嘗不呼天祈鬼神也、而彼蒼者何主唯祈鬼神言有依、方此時神其不助、將何以勝、我聞、昔大堯之時、洚水方割、乃命禹治、克治績成、於是焉、后稷教民稼穡、播時百癨、烝民乃粒、萬邦作乂繇是觀之、々二神、即人之天、民之父母也、昔我皇京亦祀帝禹、今大夫有事、夕タ以思民于安、無佗與民奉祀以祈焉、大夫有事悦曰、批瘴博q之言、先君保斯民、同其憂樂、上下以安、民何能忘、即欲曁斯民、戴少弱君、斯籍神靈、俾本固邦寧、以揚先君烈、諸子其莫為國謀、遂乃卜地之正、鳩工造壇於松崎降、二神以合祀焉、立碑其旁為表經、於是乎神之眷之、水為順流、而縷畝永治矣、乃俾民春祈秋報、秋之秋百穀惟熟、其不来獻以稻與麥、告成于神、鬼神無常享、享于克誠、力穡而祈、明信以供、簠簋普淖、銀褂イ盛、則神其能吐、艾人必豐、賚以多福、何患水殻、與蝗虫、亦唯大夫有事、克念厚生問民疾苦、寧不闔神心哉、
 元文五年庚申春正月、邦人荘允益謹記、赤羽源君岳拜書、

〇大禹后稷合祀碑銘 M59823

 大分県臼杵市家野 禹稷合祀の壇 
・大禹后稷合祀碑銘 元文五 稲葉泰通建 服部南郭銘 源君岳書 荘子謙撰[臥14013]

 大禹后稷合祀碑銘
稻葉侯世食封豐臼杵、惟元文五祀、合祀大禹后稷于厥土、有衆胥議、其君蔽志龜筮協從、士民咸喜、其祀壇而不屋、崇式社稷、乃建石表蹤、邦人莊允益作碑記、昭怖厥事、喬乃重以銘、其狛曰、
維水不道、民亦聚石、帝之攸佑、乃乂既作、曰若歳古、大禹底績、
明徳遠矣、匪直也跡、萬世永頼、罔方弗祀、匪比雎柔、遠乃可迩、
興國聽民、冀其穣穣、邦君馨徳、神格乃饗、
原濕底平、農工乃即、
維昔攸曁、時維后稷、于社于稷、配功比徳、言肇厥杷、銀蜚T新、
維侯作福、靡弗在民、貽我来牟、續古之人、

 皇和元文五年庚申、平安服元喬謹銘、赤羽源君岳謹書、

〇烏石 M68920
 東京都大田区大森 磐井神社渡殿 松下烏石の寄進 篆書銘がある。
・烏石 服部南郭銘 松下烏石書 邨惟貞刻 [臥14033]

『烏石銘』
匪日匪星 烏石天墜 不黄維烏 書傑所致 取而祠之 穀城是視 
 服元喬銘爲烏石山人 邨惟貞謹刻   井逸 伊正休 森喜等 

〇竹岡先生書学碑 M68967
 
東京都大田区大森 磐井神社 烏石書を集字した篆額
・竹岡先生書学碑 考亭豊士卿撰 集烏石君岳篆 集師(井竹岡)行草 碑陰:寛政8 向陵豊瑛之書 中慶雲刻字[臥14030]