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青山霊園 (B:北西区) 港区南青山二丁目 32 外国人墓地 お墓のデーター(国際遺産を守る会) |
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(姓アルファベット順) | 種号側番 | ※ | 没年 備考 (※碑像マップ:外部リンク) |
アリス・E・ベルトン Alice E Belton |
南2-イ2-6/7 ベルトン |
-1904 東洋英和女学校英語教師 | |
オリーブ・ホワイティング・ビショップ Olive Whiting Bishop |
北1-イ7-65 ビショップ |
Olive Whiting Bishop オリーブ・ホワイティング・ビショップ アメリカ 1847-1914 ☆横浜海岸女学校長、青山学院教授 | |
ビショップ夫人の墓 | |||
デュ・ブスケ Albertus Carolus Du Bousquet |
北1-イ1-1-4,10-13 ジュ・ブスケ |
134479 | 明治15年(1882年)6月18日 治部輔 陸軍教官、法律家、初期図書館の指導者 ・佛人治部輔氏之墓 大給恒書[臥17326] ・佛人治部輔氏墓表 漢文銘 明治21 細川潤次郎撰 大給恒書・篆額[臥17321] |
レイモンド・テナドア・ブラッドベリー Raymond Theodore Bradbury |
北1-イ5-43 ブラッドベリー |
関西学院の石標あり | |
ダッシェール・ブライアン Dashiell Bryan |
北1-イ3-21 ブライアン |
1883-1886 明治学院修復銘あり | |
ブリュック Karl Anton Bruck |
北1-ロ1-1・2、10・11 ブリュック |
ドイツ 1839-1880 キヨソネの助手 銅版彫師 葬 青山霊園外人埋葬第一号 ・印刷局工師獨逸國人卡路安通不里攸詁墓 (漢文墓碑)明治13 得能良介撰[臥16104][臥16105] |
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チャペル夫妻の墓碑 | 北1-イ7-57 チャペル夫妻 |
150357 | ・Benjamin Chappell
ベンジャミン・チャペル カナダ 1852-1925 ☆青山学院宣教師、英文学部長 ・Mary Holbrook Chappell メリー・J・ホルブルック・チャペル ・アメリカ 1852-1912 チャペル夫人 海岸女学校教師 Phyllis Chappell フィリス・チャペル 1920-1921 |
エドアルド・キヨッソーネ博士 Professore Edoardo Chiossone |
南1-イ6-48・49 キヨソネ |
・江努安留努喜與曾禰先生墓 (1832-1898)明治31年(1898年)4月11日 印刷局 紙幣原版の彫刻指導 在日23年 |
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ルクレティア・H・クレメント Lucretia H. Clement |
北2-イ3-25 クレメント |
150335 | 1831-1908 アメリカ 関東学院 Ernest Wilson Clement(1860〜1941)縁者? |
W・C・コックス W.C. Cox |
南2-イ2-10・11 コックス |
150318 | コックス ウイリアム・ダグラス 1844-1905
東大駒場農学部英語教授 当所に埋葬、墓石なし コックス エデドワード・プール Cox,Edward Paul 1867-1942 イギリス人 教育(東京商船学校、慶応義塾:英語)帰国の船中で急死 コックス ヘンリー・オーガスチン Cox,Henry Augustin 1874-1940 イギリス人(のち、日本に帰化 日本名:古楠顕理) 教育(金沢中学、大倉高等商業学校ほか:英語)英語教師、WDの次男。 八王子市御殿峠に「コックス父子の碑」あり |
ドレッパー 宣教師 D.D. Gideon Draper |
南1-イ2-5〜6、14〜15 スミス |
・碑あり ・学校法人青山学院 |
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パーシー・アルメリン Percy Almerin Smith |
-1945 広島高等師範英語教師。アメリカにて死去 ・記念碑あり |
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エドウィン・ダン Edwin Dun |
南1-イ2-16〜18 ダン |
・Edwin Dun(1848-1931) 駐日米国公使、北海道に酪農を伝えた人、新潟の石油開発に寄与 ・James Dun(1898-1950) エドウインの子、ピアニスト ・Michiko Dun(1904-1990) エドウインの妻 ・Yuma Dun(1876-1906) Wife of Edwin Dun ・ツルダン之墓(-1888) .Wife of Edwin dun |
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フランク・W・イーストレイク Frank W. Eastlake |
南1-イ2-7〜9 イーストレイキ |
1856-1905 米国出身の英語教育家、慶應義塾教員、来日外国人、言語学博士 ・博言博士イーストレイキ先生墓 ・イーストレイキ先生之碑 |
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ウダー・エッゲルト Dr. Udo Eggert |
南1-イ8-64・65 | 1848-1893 ドイツ人 東京帝国大学財政学教授 | |
カール・フライク Karl Flaig |
南2-イ4-26・27 フライク |
1865-1907 帝国ホテル総支配人 西洋式ホテル経営の基礎を築く ・帝國ホテル総支配人カールフライク之墓 |
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チャールス・E・ガースト Charles E. Garst |
北1-イ5-52 ガースト |
アメリカ 1853-1898 キリスト教宣教師(単税論者)150362 | |
ハリス夫妻の墓所 | 北1-イ7-66 ハリス夫妻 |
150350 | ・Bishop Merriman Colbert Harris
ビショップ・メリマン・コルバート・ハリス
アメリカ 1846-1921 ☆メソジスト派宣教師、遺愛女学校創設の功労者 ・Flora Best Harris フローラ・ベスト・ハリス アメリカ 1850-1909 日本古典翻訳、「土佐日記」等 ・Little Florence Harris リトル・フローレンス・ハリス 1877-1878 |
ヘンリー・ハッホーン Henry Hartshorne |
南1-イ4-36 ハッホーン |
・Henry Hartshorne(1823-1891) 医師、米国医学の移植に貢献(津田塾大学 Anna C. Hartshorne の父) | |
金玉均 Kim | 北1-イ7-60 金玉均 |
日本名;岩田秋作 1851〜 1894 朝鮮独立党の指導者 ・金公玉均之碑 朴泳孝(山崎永春)撰 李呵O(李朝末年の皇太子)書 朝鮮開國513年甲辰(光武8、明治37)[臥11006] ※真浄寺(文京区向丘)にも墓碑あり67262 |
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G.W. Knoxの子供 | 北1-イ3-22 ナークス |
1886-1886 infant Knox child of G.W. Knox 明治学院の修復銘あり | |
フリッツ・ランディス Fritz Landis |
北1-イ5-40 ランヂス |
明治学院の修副碑あり | |
ジャルマー・リンドストーム Jalmar Lindstrom |
北1-イ5-41 ストロム |
日本同盟基督教団の副碑あり | |
J・M・マッコーリー J.M. McCauley |
北1-イ5-44 マッコーレ |
ジエムス・M・マッコレー 明治学院教授 夫人も同校で英語を教えた | |
テオドール・モンロー・マクネア Theodore M MacNair |
北1-イ3-23 |
アメリカ 1858-1915 明治学院教授 賛美歌作詞者 | |
ハザマ・ジョアネス・マツノ Johannes Matsuno |
南1-ロ4-26・27・35・36 | ・Hazama Johannes Matsuno 松野礀(1846-1908) ・正五位勲四等松野礀墓 カナ交り 江崎政忠撰[臥17170] ・副碑 説明碑 平成20 |
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・松野礀の妻クララ(説明碑) | |||
ヘンリー・スペンサー・パーマー Henry Spencer Palmer |
南1-イ6-40・41 パーマー |
・Henry Spencer Palmer(1838-1893)イギリス人、土木技師、日本近代化水道の恩人 | |
アルフレッド・ロバート・パッティソン Alfred Robert Pattison |
南2-イ4-23 パチソン |
-1907 海軍大学教授、海軍機関技術を指導 ・勲三等パチソン碑 カナ交り 昭和11 海軍中将・・・・撰 |
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シュヴァルツ博士の記念碑 | 北1-イ7-55・56 シュヴァルツ |
・Karl 2nd Schwartz? カール2世 ハーバート・ウッドワース・シュヴァルツ アメリカ ハーバート・ウッドワース・シュヴァルツ 青山学院教授 記念碑「米國醫學博士スワイツ師日本宣教自千八百八十四年至千九百十六年、千九百二十一年米國セラキユス市就眠」 ・John Frazier ジョン・フレイザー Schwartz ・Mary Frazier メアリー・フレイザー Schwartz ・Mary Vance メアリー・ヴァンス 1858-1892 |
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M・D・デュシモンズの記念碑 M.D. Duane B Simmons |
南1-イ4-25・26、33・34 シモンズ |
-1889 伝染病予防に貢献、回虫駆除剤「セメンエン」の創始者、福沢諭吉邸に寄居 ・in memory of Duane B Simmons M D of New York For many years a resident and friend of Japan who died Feb 19, 1889 at Tokyo. This stone is erected by his Japanese friends. 明治22 福沢諭吉誌[臥16037] |
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ジュリウス・カール・スクリバ | 北2-イ1-4-6 スクリバジュリウスカール |
ドイツ 1848-1905 東京帝国大学名誉教授 外科医 | |
F.W.ストレンジの墓と副碑 | 北1-イ3-28・29ストレンジ | Frederick William Strange
フレデリック・ウイリアム・ストレンジ
イギリス 1854-1889 ☆近代スポーツの先駆者、東京英語学校(旧一校)の英語教師 ・日本の近代スポーツの父F.W.ストレンジ 日本陸上競技連盟 2013 |
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エリザベス・ソントン | 北2-イ1-7-9 ソントンエリザベス |
イギリス 1852-1904 ☆香蘭女学校教師 | |
マリア・ツルーの墓 | 北1-イ5-45 トルー |
Maria True マリア・トゥルー アメリカ 1841-1896 桜井女学校内に看護婦養成所を創設 | |
宣教師フルベツキ Guido Fridolin Verbeek |
南1-イ6-46・47ヴァーベック | (1830-1898) 政府顧問 日本の教育制度の確立、勝海舟に英語教授 |
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ゴットフリード・ワグネル Dr. phil. Gottfried Wagener |
南1-イ8-55・56 | Dr. phil. Gottfried Wagener(1831-1892) ドイツ人 東大教授 美術・工芸教育 陶磁器製造指導 | |
チャールズ・ディッキンソン・ウエスト Charles Dickinson West |
南2-イ4-24・25 | 1847-1908 アイルランド 東大工学部教授 船舶機械学の功労者 | |
ウイリス・ノートン・ウィットニー Willis Norton Whitney |
北1-イ1-5〜9、14〜18 ブレスウエイト夫妻、ホイットニー |
赤坂病院創設 | |
アンナ・ホイットニー Anna Whitney |
ウィリアムス・ホイットニーの母、勝海舟碑文(骸化士霊帰天)[臥16101]1834-1883 | ||
カトリック麻布教会 | 南1-ロ2-1〜5・10〜14 | ・麻布教会創立100周年記念碑 | |
・Petrus Maria Osouf
ペトルゥス・マリア・オズーフ(マリー・ピエール・オズーフ)
フランス 1829-1906 カトリック初代東京大司祭 白百合高等女学校 暁星学校設立 |
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・Michael Steichen ミッシェル・スタイシェン フランス 1857-1929 カトリック司祭、キリシタン研究による「キリシタン大名」の著者 | |||
濱田彦蔵 (浄世夫 彦) |
南1-イ4-27 ジョセフ・ヒコ |
134473 | 明治30年(1897年)12月12日 兵庫出身。江戸へ向かう船が遭難して漂流。米船に救助されて米国へ帰化。ハリスの通訳、日本新聞の父 ・Joseph Heco 浄世夫彦之墓[臥17327] |
濱田銀子 | ・濱田銀子の碑 高顕院法壽妙操大姉 昭和21年1月20日歿 86歳(昭和31 田端大龍寺から改葬)[臥17328] | ||
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