乾清花苑  太白廡  略伝引得

吉田元陳(1728〜1795)
 江戸中期、鶴澤派の絵師。鶴澤探鯨の門人。諱は守清。京都の豪商・角倉家の縁者とされる。宝暦7年に法橋に上る。翌年から禁裏の御用を勤め、閏月の御月扇を進上している。明和8年御所の太宋御屏風を制作。安永6年法眼位を得る。探鯨の息子・探索と寛政度禁裏御所障壁画制作に参加した。跡は息子の吉田大炊(元椿)が継いだ。寛政7年没。