乾清花苑  太白廡  略伝引得

安田半畊(1868〜1938)

 本名来吉、明治元年生まれ。氷上町田中安田耕逸の次男。父耕逸と菅沼定之に漢学を生び後に安田家の大本家の家督を継ぐ。本家代々の「半畊」襲名。先代の養父半畊はかの蘭学医シーボルトに就いて学んだという人で、三丹の名医と称された(明治27年没79歳)。来吉もそれに倣い医学の道を志し二十歳になると東京へ赴き「済世学舎」で勉学に励み医術前後期試験に合格。帰郷の後 丹波の地で開業。更に学ぼうと再び今度は東大の桜井博士の研究室で眼科の勉強をして、後に福知山、明石、綾部に開業するなど医師として大活躍。
 また兄で南画家の安田鴨波の影響もあって 漢詩や南画にも秀でた。鴨波に南画を習い、一時は医業を休んであちこち歴遊するなどしてその腕前に今でもファンが多いという。昭和13年12月20日、綾部にて69歳で亡くなる。
丹波Web美術館 http://www.eonet.ne.jp/~zarigani/hp5.htm

戻る