楊草仙(1838〜1944) | ||||
中國書法家、名夢臺、字永光、號草仙、號をもって世に行われる。中國四川簡陽縣の人、祖籍達縣。草書に長じる、1927年來台、台湾各地廟宇に墨跡が少なくない。 作詩、中医に通じ、医は一生を義診に尽くした。辛亥革命以後しばらくして1918年ごろから売書の生活をはじめ、1922年には日本へ赴き東京書道大会に参加して日中の名家と交流した。関東大震災では大阪と東京で揮毫、売り上げを義捐にあてている。1925(大正14)年正月には87歳の高齢をもって日本へ来遊、同月20日、東京本郷燕樂園にて頭山滿、松林桂月、中村不折他発起の歓迎会の記録がある*。 晩年は各地を雲遊、足跡は、満州、山東、朝鮮、日本に及ぶ。(維基、*ヤフオク過眼) |
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