乾清花苑
太白廡
略伝引得
山本竟山(1863〜1934)
明治〜昭和前期の書家。文久3年9月28日生。日下部鳴鶴にまなび、清に遊学して楊守敬らと交遊した。京都に塾をひらき、泰東書道院などの顧問をつとめた。昭和9年1月24日死去。72歳。美濃出身。名由定。通称は右兵衛。別号聾鳳。著作に「竟山学古」など。
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