乾清花苑  太白廡  略伝引得

山本琴谷 (1811〜1873)

 名は謙、初め幽谷幾英、字は子譲、杉亭と号し、後改めて琴谷、癡々斎と号した。 津和野藩士吉田芳右衛門の子で文化8年に生まれ、山本幾連の名跡を継いだ。幼少より漢学と剣法を修め、壮年になって津和野藩家老多胡逸斎について絵を学び、江戸に出て桜間青崖・渡辺華山に師事した。 崋山没後は、椿椿山の塾に入り高久靄崖に就いて画技を磨いた。嘉永6年、津和野藩絵師を命ぜられ馬廻り格となる。明治維新後は東京に移住し、両国に住んだ。明治6年遊歴して信州上田に至り、病を得て旅先で病没した。享年63才。12代藩主亀井勤斎公から皇室に献上された「窮民図巻」は有名。


癡々斎

蘭圖

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