乾清花苑  太白廡  略伝引得

山口凹巷(1772〜1830)
 江戸後期の漢詩人。安永元年生。伊勢の人。本姓は遠山。別姓に韓。名珏。字聯玉。通称は長次郎。 楊庵また巓庵と号す。その居は山田上久保町にあるをもってまた凹巷と号す。遠山文圭の第二子、14歳の時山口迂叟の養嗣となる。山口氏はその先大内氏に出るをもって一に韓氏と称す。人となり沈毅、はじめ橋村癡亭に学び、のち漢学を皆川淇園、詩を菅茶山にまなぶ。ゆえに文に長じ詩を善くし、漢巍六朝より唐宗に至るまで、その門を窺わざるはなく、ついに一家をなす。もっとも詩学に長じて、恒心社をひらいて神都詩社の嚆矢となっと。かつて大和月ヶ瀬に遊び、「月瀬梅花帖」をあらわし、拙堂の「月瀬記勝」の先駆となった。文政13年10月3日死去。59歳。他著に「緑窓詩話」「櫻葉館詩文集」「東奥紀行」「芳野北越天橋泉南諸遊草」等(三重先賢傳ほか)。