乾清花苑  太白廡  略伝引得

奇峰 八木致恭(1806?〜1876)
 画家(四条派)。名は致恭字は子謙、近江東浅井郡下八木の農家弓削善左衛門の子に生まれた。初め山県岐鳳に学び後出京して新町三条南に住し松村景文の門に入った。嘉永元年の今書画目録には雪渚会禽図が出ている。
 弘化4年(1847)に京都御所内に桂宮本邸が建てられる際、その障壁画の製作に携わった業績により、京都画壇の一人として御所新造の絵師に推挙され、御花御殿(皇后御殿)に「四季海辺図」「雨中竹図」、御里御殿(准后御殿)に「鷹刈図」と大作を残した。几帳面で緻密な写実力の評価と共に、修復技術にも長けた職人気質を持つ八木は松村月渓の作品の修繕も任されており、江戸初期から明治初期にかけて京都四条派の画家として大成。
 明治九年、九月二十八日没。年七十一

奇峰

蛤蚌図

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