渡家 | ||||
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祖は三河碧海郡の人新左衛門忠景、太郎左衛門忠遠の時近江高島郡へ移る。さらに長兵衛政教の時、陸奥三戸郡へ移る。東嵎が江戸で独立。墓は谷中天王寺墓地。 | ||||
渡東嵎(1811〜1887) 岩崎藩儒官。名、政輿。字、子礼。通称、長三郎。号、東嵎。陸奥出身。長兵衛政教の第十二子。若年立志、笈を負うて江戸に至り学ぶ。原田立夫・清水純齋・宮崎拡堂とともに、芳野金陵の4門人のひとり。折衷学派。陸奥諸侯同盟に対抗。門下に市村讃次郎。77歳。著書:「中庸集説」、「老子集説」。 |
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渡松齋(1841-1905) 岩崎藩儒官。名、侗。字、伯愿。通称侗太郎のち楫雄。松齋は号。陸奥出身。芳野金陵に師事。明治維新後は、宮内省に勤務した。折衷学派。65歳 息男勝、号臺岳(1873〜1897)は父に先立つ25歳。 |
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渡東皐(1843〜1921) 漢学者。名、欽のち欽次。字、仲慎。通称、致雄。号、東皐。東嵎二男)陸奥出身。岩崎藩儒官。芳野金陵に師事。折衷学派。維新後は、宮内省に勤務する。大正10年2月9日歿、79歳。墓は天王寺で東嵎家とは別郭 |