乾清花苑  太白廡  略伝引得

臼井家
 足柄神社神職。
 足柄神社は元苅野の大明神といい、京都吉田家の配下として臼井氏が神職として入郷。代々宣命司と称し世襲。ただし寛延3(1750)年までの7代は隣村の弘済寺から尼僧を住ませ管理。この間元禄年間に臼井家は火災で記録を焼失。寛延三年正月免許により臼井家が大明神の神職として復帰。これより現在に至るまで9代。
 そもそも日本武尊御東征の砌、足柄越に奉齋、その後天慶三年(940)に足柄明神として創建され、後に矢倉岳に遷座し、矢倉明神という称す。いつのころか苅野に移転し、足柄上郡十八ヶ村の総鎮守となり、昭和十四年(1939)に足柄神社と改称。巡洋艦「足柄」に靈代を勧請。海上自衛隊 護衛艦「あしがら」に名が継がれ、2018年には臼井道利宮司により安全祈願が執り行われている。
 足柄と矢倉の旧社地には現在も講により参拝が行われている。矢倉岳は、深成岩体として特異なもので、その形状が、足柄峠を見張る櫓のようであることによる名称。足柄古道におけるランドマークでもある。

足柄社事(黄楊)



神宦臼井(鉄印)

櫓岡堂
蔵印