乾清花苑  太白廡  略伝引得

藤堂家
藤堂梅花━━凌雲━━石樵 

 
津藩藤堂家の族、江戸の人、凌雲・石樵は津に住んだがのち江戸へ戻る。

藤堂凌雲(1811〜1886)

 津藩藩士。文化8年生。藤堂梅花の子。名良驥 字千里陵雲と號す。第11代藤堂高猷・ 第12代藤堂高潔の時代に藤堂家の一族にして宮崎青谷、 池田雲樵と共に絵師として活躍。門下生に大出重皐がいる。尾張の近世南画の巨匠山本梅逸の高弟。明治維新後、江戸に出て活躍した。
明治19年年歿、享年78歳。




千里

竹石圖

参考:立雛圖(1867)

 
藤堂凌駿 

 凌雲の子。號石樵亦詩畫を能くせりと云ふ―「三重畫人傳」。津藩士。名は凌驥、通称は喜四郎。。詩書に巧みで養正寮書道副師となったが、維新の前に飄然と津を去った(三重先賢傳)。

中京人書畫冊 1872

 

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