乾清花苑  太白廡  略伝引得

富岡鐵齋(1837〜1924)
 明治・大正の画家。天保7年12月19日生。国学、漢学、仏教、詩文をまなぶ。勤王家とまじわり、維新後、各地の神社の宮司となる。明治14年郷里の京都にかえり、読書と画業に専念。自由奔放で独自な文人画の世界をきりひらいた。帝室技芸員、帝国美術院会員。大正13年12月31日死去。89歳。名は猷輔、百錬。字無倦。別号に鉄崖、鉄史。作品に「旧蝦夷風俗図」など




画帖跋文(旧蔵) 
1876
零餘子并賛