乾清花苑  太白廡  略伝引得

東條琴臺
 
清和源氏武田氏    武川義行
   ∴一条時信━━〇東條義信━━頼行━━隆信━━隆庸━━信庸━━庸行━┓
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗庸行━━━庸言━━━庸元━━━元胤━━━信名━━━信友━━━庸胤━━┓
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗庸貞━━━┳某
         ┣花笠文京(魯文の師)
         ┗信耕 琴臺          
    他山    ┝━━━━平尾信享━━━━鉐(下田歌子)
 平尾信從━━━貞            
東條琴臺(1795〜1878)
 江戸後期の儒者、考証学者。寛政7年6月7日生。初代花笠文京の弟。実践女子学園創始者・下田歌子の祖父。亀田鵬斎、大田錦城らにまなぶ。錦城の高弟身の岩村藩平尾他山の婿となるが、折しも林述齋の異学の禁により離縁。のち越後高田藩の江戸藩邸でおしえる。嘉永3年その著「伊豆七島図考」で幕府の譴責をうけた。明治11年9月26日死去。84歳。名信耕、耕。字子臧。通称は文左衛門。別号に呑海翁。著作はほかに「先哲叢談後篇」など。

琴臺





子臧

題畫 1869 右軍觀鵞圖 1865