幕末長崎で活躍した南画家。木下逸雲・三浦梧門と共に長崎南画三筆とされる。本姓日高氏。諱祖門、道号鉄翁。別号に明言・魚光・銕道人・蓮舟人など、室号は太素軒。
寛政3年2月10日生。長崎銀屋町の桶職人日高勘右衛門の子。11歳で父を亡くし、華嶽山春徳寺13世玄翁和尚に養育される。
幼少より画を好み、はじめ唐絵目利の石崎融思に漢画を、文化元年からは来舶清人の江稼圃に師事して南画を学ぶ。師が没した文政3年に春徳寺14世住持となる。
文政10年、51歳の田能村竹田が春徳寺の鉄翁を訪問。ふたりはこの邂逅を「前世からの知己」と大いに喜んだ。天保年間には親友木下逸雲とともに清人陳逸舟の門下となり、山水図や蘭竹図の画法を伝授された。56歳のときには京都・大坂・江戸に遊歴。特に京都では貫名海屋・日根対山・中西耕石・安田老山・金子雪操・鼎金城・前田半田らと交わった。
嘉永3年(1850年)、60歳で退隠すると東淵山雲龍寺に移り、居室を「太素軒」とし書画禅三昧の日々を過ごす。この時代を特に太素軒時代といい墨蘭竹図・山水図などに名品が多い。蘭竹画、とりわけ四君子のひとつ蘭画の第一人者として知られた。
維新後、再び春徳寺に戻り最晩年を過ごす。明治4年12月15日81歳にて入寂。。明治16年に、門人・倉野煌園により『鉄翁画談』が上梓されている。WIki
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