乾清花苑  太白廡  略伝引得

寺門靜軒(1796〜1868)
 江戸後期の儒者。寛政8年生。山本緑陰に師事。天保2年から執筆した「江戸繁昌記」が「敗俗之書」とされ、武家奉公御構の処分をうけた。のち各地を旅し、万延元年武蔵妻沼に郷学両宜塾をひらいた。慶応4年3月24日、胄山の門人根岸友山の邸宅で死去。73歳。墓碑も同所根岸家墓地。江戸出身。名良。字子温。通称は弥五左衛門。