乾清花苑  太白廡  略伝引得

田能村家
〇田能村竹田━━━━直入────小齋━━━┳小篁     ?
                           ┣小竹 ?
                                 ┗直雙━━━━直外

田能村竹田(1777〜1835)
 
江戸後期の南画家で文人。旅を好み日本各地を遊歴。詩文を得意とし画論『山中人饒舌』などを著した。 幼名は磯吉、後に玄乗、行蔵。名は孝憲。字は君彜。通称は竹蔵。別号は九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・秋心・随縁居士・九峯無戒衲子・紅荳詞人・田舎児・藍水狂客・三我主人・西野小隠・秋声館主人など。更に斎号に竹田荘・補拙廬・雪月書堂・対翠書楼など多数。

「咏研」七絶
田能村直入(1814〜1907)
 幕末〜明治に活躍した日本画家。日本最後期の文人画家。田能村竹田の養継子。幼名は、はじめ松太、のち傳太。諱は、はじめ蓼、のち痴。字は、はじめ虚紅、のち顧絶。号は、はじめ小虎、のち直入。通称は小虎とした。別号に竹翁、忘斎、煌斎、芋仙、布袋庵、無声詩客などがある。豊後直入郡竹田町生。

花暦 1849 墨竹

癡印

竹翁

小虎

田・𠈴

竹影横山




九十三翁直入𧗟

松帆浦吟詠

  游牛圖賛 1907





















 
山水小品 
1875(旧蔵)
  短冊 1895頃
(旧蔵)
 

𠈴:異体癡字 :異体仙字
田能村小斎(1845〜1909)
 幕末〜明治の画家。弘化2年生。播磨の人。養父の田能村直入に文人画をまなぶ。武道にも長じ,豊後)岡藩主につかえ,維新後は大阪,京都ですごした。明治42年12月31日死去。65歳。本姓は大野。名は順。字は子慎。通称は順之助。
田能村小篁(1879〜1910)
 明治の画家。明治12年生。祖父田能村直入と父小斎に文人画をまなんだ。明治43年5月27日死去。32歳。本名は直太郎。
田能村小竹(1880〜1945)
 日本画家。大分県生。竹田の曽孫。名は孝知、通称は力、別号は春香・龍孫。京都で田能村直入・川村雨谷に学び、のち東京にて独学し東美校日本画科に入学した。山水・人物画に長じた。得意の語学を生かした『仏語捷径』の箸もある。昭和20年歿、66才。


? 山水 1935
田能村直雙
 名備雄、直入の養子小斎の三男として京都に生まれる。初号・小竺 後に直雙 と改め活躍



任自然

山靜日可

田備・小竺
還暦春
田能村直外(1903〜1997)
 日本画家。京都生。田能村直入曽孫。田中柏陰に師事する。京都日本画家協会会員、京都書画院理事長。平成9年歿、93才

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