乾清花苑
太白廡
略伝引得
谷口廻
瀾
(1880〜1942
)
明治〜昭和前期の教育者、漢学者。明治13年9月5日生。山村勉斎の次男。島根師範卒業後、郷里島根県内の中学でおしえ、雑誌「島根教育」で健筆をふるう。昭和9年東京帝大嘱託となり「詳解漢和大字典」の編集にたずさわった。昭和17年3月10日死去。63歳。本名は為次。別号は黙渓。著作に「論語と教養」「山中鹿介」など。
行書 張説「送梁六」紙本立軸(旧蔵)