田邊玄々(1796〜1859) | ||||||||||||||
江戸後期の書家・篆刻家。名祐憲または憲、字伯表、号は玄々の他に尚松竹楓園・東田居などがある。通称は飛騨。京都の人。寛政8年東寺外山吹町の富裕な家に生まれる。幼い頃より書画を好んだ。武元登々庵に就いて書を学び、高野僧空居より太師流の書法を授かる。画は中林竹洞に師事した。篆刻に巧みで、中年以後は磁印の創作に没頭。粘土で鈕式を作って、印文を刻し焼成して磁印を製作する法を開発している。その精妙さは大いに賞賛された。東寺に候人として仕え、のちに法眼位に叙されている。頼山陽、青木木米、僧雲華院大含などの当代一流の文人と交流している。安政5年12月18日没。享年66。南部狐塚(京都市南区唐橋)に埋葬される。編著に 『玄々瓷印譜』一帙二冊 天保2年(1831年)、『拾玉印譜』 | ||||||||||||||
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