乾清花苑  太白廡  略伝引得

高柳快堂(1824〜1909)
 幕末・明治の画家。文政7年肥前久保田生。蓮池藩士。武富圯南に漢学、画法を学び、のちに大阪で篠崎小竹らに学び、特に詩文に励んだ。画は鉄翁、中林竹洞、田能村直入に学んだ。山水画を得意とした文人画家であったが、明治のはじめごろ有田の香蘭社につとめ大皿に画をえがいた。明治42年5月22日死去。86歳。名は高敬。通称は文次。