乾清花苑  太白廡  略伝引得

立原家


鹿島成幹━━〇立原久幹┅┅┅┅     ┏春沙
                        ┣利子
(徳川斉昭側室)
〇立原蘭溪━━━翠軒━━━杏所━━┻朴二郎(水戸藩志士)
立原蘭溪(1713〜1771)

 江戸時代中期の儒者。正徳3年生。常陸水戸藩士。宝暦8年彰考館文庫役となった。明和7年12月24日死去。58歳。本姓は佐久間。名豊。字は子蔀。通称は甚蔵。
 立原翠軒(1744〜1823)

 江戸代中後期の儒者。延享元年6月7日生。立原蘭渓の子。常陸水戸藩士。徂徠学をまなび彰考館にはいり,天明6年総裁となる。「大日本史」校訂について門人の藤田幽谷と対立して享和3年総裁を辞任。文政6年3月14日死去。80歳。名は萬。字時。通称甚五郎。別号に東里、此君堂。著作に「西山遺聞」「此君堂文集」など。
立原杏所(1786〜1840)

 江戸後期の画家。天明5年12月16日生。立原翠軒の長男。常陸水戸藩士。3代の藩主につかえ、徳川斉昭の信任をえる。画を林十江、小泉檀山、僧月僊らにまなび、谷文晁の影響もうける。渡辺崋山と親交をむすんだ。天保11年5月20日死去。56歳。名任。字子遠、遠卿。別号に東軒、香案小史など。 篆刻にも長ず。
天御閣隱士圖
立原春沙(1818〜1858)

 江戸後期の画家。文政元年生。立原杏所の長女。幼時から父に書画をまなび、のち渡辺崋山に師事する。天保14年から加賀金沢藩主前田斉泰夫人溶姫につかえる。精密で写実的な花鳥画をえがいた。安政5年11月3日死去。41歳。名春子。字沙々。