橘家(楠氏) | ||
橘守部---冬照---橘道守 |
||
橘守部(1781〜1849) 江戸後期の国学者。天明元年4月8日生。実家は庄屋の家であったが、幼年母を亡くし、12歳の時破産、父のいとこに伴われ大坂に寄食するが、16歳で父が亡くなると翌年江戸に出て独学で国学をおさめる。「日本書紀」を重視して本居宣長を批判、天保の四大家のひとりとされた。嘉永2年5月24日死去。69歳。伊勢出身。本姓は飯田。中納言北畠具教の後裔と称す。橘は母の姓楠による。通称は元輔、源助。号は蓬壺,池庵など。著作に「稜威道別」「稜威言別」「万葉集檜嬬手」など。墓は向島長命寺。 |
||
橘冬照(1814〜1863) 国学者。通称茂松・茂三・元輔、号は椎本。守部の養子。武蔵幸手生、江戸住。家学を継承し平戸藩国学顧問を務める。また勤王の志も厚かった。著書に『淡海一露』『職原抄講記』等がある。文久3年(1863)歿、50才。 |
||
橘道守(1852〜1902) 歌人。通称金之助・東市。吉田安平の子。橘冬照の養子。上野桐生生、江戸住。冬照に師事。椎本吟社を創設して養祖父守部の遺著を出版、また養母東世子撰『明治歌集』を刊行した。著書に『明治千人一首』『詠進歌集』等がある。明治35年(1902)歿、51才。 |
||
※山崎弓雄は飛騨一宮の宮司で、歌人、美濃養老辨碑を再建した人。 |
||
|