乾清花苑  太白廡  略伝引得

下郷家       鳴海の酒蔵、松尾芭蕉が逗留して一家挙げて門人となる kotobank
 
∴@下里知足━━━┳A下郷蝶羽━━━┳C常和
             ┃            ┗━蝶羅(江戸店)
             ┗B下郷龜世━━━━D學海
下里知足(1640〜1704)
 江戸前期の俳人。家は尾張鳴海海宿の酒倉。幼名は金五郎、のち勘兵衛、字は吉親、別号に蝸廬亭。はじめ西山宗因門、のち松尾芭蕉に師事し、鳴海の六俳仙の一人として知られた。また黄檗木庵・月舟和尚に参禅した。句集『千鳥掛』がある。宝永元年(1704)歿、65才。
下郷蝶羽(1677〜1741) 
 江戸前・中期の俳人。延宝5年生。下里知足の長男。酒造業の千代倉をつぎ、姓を下里から下郷にあらためる。父および松尾芭蕉にまなび、芭蕉から蝶羽の号をあたえられた。作品は安井小洒編「蕉門名家句集」に収録。寛保元年11月12日死去。65歳。名季雄。別号に習々軒、風和。
下郷常和(1715〜1785)
 江戸中期の俳人。正徳5年8月13日生。下郷蝶羽の9男。俳諧を横井也有にまなぶ。叔父下郷亀世の養子になり、酒造業の千代倉をつぐ。作品は下郷学海編「春の笠」に収録。天明5年2月2日死去。71歳。名昌雄。別号和菊、透翁、如羽。
下郷蝶羅(1723〜1776)
 江戸中期の俳人。享保8年生。下郷蝶羽の14男。酒造業千代倉の江戸北新川支店をいとなむ。俳諧(はいかい)を大島蓼太(りょうた)、岡田米仲(べいちゅう)、横井也有(やゆう)にまなぶ。俳諧紀行に「松のわらひ合歓(ねむ)のいひき」「続多日満句羅(ぞくたびまくら)」など。安永5年5月6日死去。54歳。名は玄雄。別号に春麗園、鈴波。
下郷龜世(1688〜1764)
 江戸中期の俳人。元禄元年11月23日生。下里知足の4男。7歳のとき松尾芭蕉から亀世の号をあたえられる。俳諧を父や兄蝶羽にまなぶ。のち兄の養子となり、酒造業の千代倉をつぐ。古稀賀集に下郷常和らの編による「こきの芽」。明和元年9月18日死去。77歳。名は元雄。別号に鉄叟、蔵六岡。
下郷學海(1742〜1790)
 江戸中期の俳人。寛保2年生。亀世の4男。下郷常和の養子となり、酒造業の千代倉をつぐ。俳諧を横井也有に、儒学を宮崎筠圃にまなぶ。建部綾足や池大雅らとまじわった。寛政2年8月2日死去。49歳。名寛。字君栗。別号に莓苔園、楽山。著作に「詞草小苑」「伊良虞紀行」など