乾清花苑  太白廡  略伝引得

清水氏
 
清水濱臣(1776〜1824)
 江戸後期の国学者、歌人。安永5年生。江戸不忍池畔で医を業とする。村田春海にまなび、狩谷棭斎らと古典の考証にあたる。賀茂真淵一門の著作「県門遺稿」を編集。春海没後、江戸歌壇の重鎮となった。文政7年閏8月17日死去。49歳。通称は玄長(はるなが)。号は月斎、泊洦舎(さざなみのや)。著作に「清石問答」など。
清水光房(〜1865)
 江戸後期の国学者、歌人。実は越後高田藩士の子。清水浜臣の養子となる。養父の跡をつぎ、国学を子弟におしえる。文政12年浜臣の遺稿「泊洦舎集」を刊行。慶応元年5月26日死去。本姓は中村。通称は真八、八十吉。号は泊洦舎(2代)。