乾清花苑
太白廡
略伝引得
柴野栗山(1736〜1807)
江戸中・後期の儒者。元文元年生。昌平黌にまなび、京都で国学をおさめる。53歳で老中松平定信にまねかれ幕府儒官、昌平黌の教官となる。朱子学の振興をはかり、「寛政異学の禁」を実施した。尾藤二洲、古賀精里とともに寛政の三博士と称された。文化4年12月1日死去。72歳。讃岐出身。名邦彦。通称彦輔。別号に古愚軒など。著作に「栗山文集」「栗山堂詩集」など。
五峰
邦・彦
五律