乾清花苑
太白廡
略伝引得
八田高容 初号青翠
(
1882
〜
1944
)
明治15年京都生。初号・青翠。初めは中島有章に手ほどきを受け、14歳で竹内栖鳳に師事し四条派を修得する。明治40年の第l回文展入選、大正8年からの帝展にも入選を重ねた。昭和4年には帝展推薦となる。昭和19年没。 享年 63才(高美堂)。
又浅深紅白處と称す。通称 竹次郎。栖鳳に学ぶ。山水花鳥が得意、栖鳳門下で西村五雲・西山翠嶂と共に三羽烏と云われた(青魚洞)
また西廬とも号す。
主從圖
z鞫椙、
1899
山水圖
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